特集の傍流

2017.4.17

夫婦で守り続ける、愛すべき味。

2017年5月号(151号)界隈証人
岡崎文夫さん、欣子さん
つり味(山形市緑町)

その街の、ひと昔をたぐる散歩「界隈証人」。「餃子を食べるならココ!」と言われるほど、餃子ファンが足繁く通う店。今では、“山形の焼きそば”の代名詞にもなった「後掛けソース」が生まれたのもこの店から。餃子、焼きそば、地元っ子の胃袋を満たし続けてきた名店「つり味」にお話をうかがった。

 

郷愁をくすぐる、街の食堂。

店内にはテーブル席とお座敷席があり、お昼時は相席になるほどの混み様。次々とお客さんがやってくる。餃子と焼そばを頼んでみる。創業当初からの看板メニューだ。餃子350円、焼きそば500円。なんとリーズナブルな!

 

簡潔、これが本来あるべきメニューの姿。

 

餃子は、皮はモチモチ、羽のついたところはカリッとして美味しい!中にはニンニク控えめで野菜たっぷりの具が。噛んだ瞬間、旨みがじゅわ~っと口の中に広がる。焼きそばは塩、こしょうをかけたあっさり塩味。「黒いキャップのソースをかけてね」と、女将さん。テーブルには赤と黒の両方の容器が。黒いキャップの容器に入ったソースを自分の好みでたっぷりとかけてみる。これが、山形の「後掛けソース」焼きそば。麺に絡んだ卵の優しい味に、ソースの風味が効いた素朴なおいしさ。少しやわらかめの麺とシャキッとした野菜の異なる食感。コテコテとした油こっさがない。

 

 

お二人の思い出とともに、店や界隈の話をしていただいた。

 

餃子と焼きそば、創業から変わらない味。

ガッタ(以下G):一番人気は、やっぱり餃子と焼きそばですよね。

岡崎文夫さん(以下F): 創業当初から餃子と焼きそばだね。父は戦時中、満州で暮らしていたんだけど、その時に中国人から餃子の作り方を教えてもらったそうです。終戦の年に山形に戻ってきて、それから五年後に店を出しました。その頃、餃子を食べさせる店は他に無かったから。

好みでソースをかけて食べてもらう「後掛けソース」の焼きそばも、父の代から始めたもの。今でこそ、卵は手軽に手に入るようになったけど、店を始めた戦後は、栄養失調になりそうなほど食べるものに困っていた時代。父は「何か栄養のつくものを食べさせたい」という思いで、当時は高価だった卵を焼きそばに入れることにしたんだそうです。

 

 

耳たぶほどの柔らかさの生地を型で抜き、一枚ずつ具を入れて包む欣子さん。多い時は200個の餃子を作る。

 

G:創業は何年ですか?

F:昭和27年に父が店を開きました。私がまだ5歳の頃。最初の店はアズ七日町の道路を挟んだ角(現:モスバーガー)のところにあったんです。

岡崎欣子さん(以下K):高校生の時に毎日のように店の前を通っていたの。まさか、そこに嫁ぐとはね。(笑)

 

G:店名の由来は?

F:先代は川釣りが大好きだったので、そっちの川、あっちの川と釣りに行っては、釣ってきた魚を店の前に作った大きな水槽に放していました。馴染みのお客さんが来ると「魚の唐揚げでもすっか?」と言って天ぷらにして出したり。それで店名も「つり味」にしたんだね。釣りの醍醐味みたいなものを「味」で表したいっていう気持ちもあったのかな。

私?私は海釣りのほう。(笑)スズキ釣り専門だから、若い頃は夜釣りしては夜中に帰って来て。

 

G:緑町にお店を開いたのはいつ頃ですか?

F:七日町店を開いた五年後。最初の頃は人に貸していたんだけど、私が成人してこの店を継いだのが昭和43年だから、来年でちょうど50年になります。

K:継いだ当時は弟が手伝ってくれていたんだけど、その後、七日町にあった店は旅籠町に引っ越すことになり、そこは弟夫婦が任されることになって。

 

 

焼く、炒める、煮る担当は文男さん。阿吽の呼吸であっという間に料理が完成する。

 

G:この辺りも変わりましたよね?

F:南隣り一帯は県の官舎があって、北隣りには法務局、道向かいには村山保健所がありました。今、改修工事をしている山形工業高校も当時からあったね。その後、官舎は全部撤去され、駐車場になってしまったのでポツンと一軒だけ建っている感じになってしまったけど。桜の頃や薬師祭りの時期は今よりもずいぶん人通りも多かったなあ。

 

G:お客さんは常連の方が多いですか?

K:七日町に来てくれていたお客さんが懐かしんでいらしてくれたり、学生の時に通ってくれていた人が「自分が食べてた懐かしい味を子どもや孫に食べさせたい」って来てくれます。三世代で来てもらえるなんて嬉しいよね。

F:60代位の方だと「親からよく連れてきてもらったんだ。山形の実家に戻ったついでに寄ってみたんだけど店あって良かった。」ってね。時間が経っても「味」の記憶はずっとあるんだね。

K:今はSNSで流してくれたりするので、初めてのお客さんもいらっしゃるよ。

 

常連だったという山形市出身の歌人、結城哀草果の色紙が。

 

先代「つり味」のマダムも、とても美しい方だったのだろう。

 

G:長く続けてほしいなぁ。

K:ご年配の方からは「つり味さんだけでも辞めないで続けてけろな」って言われるのよ。

F:細く長くやっていきたいと思うけど、年齢を考えると太く短くかな。(笑)

K:「じゃあ人を雇えば?」って言われるけど、それもダメなのよね。何十年と二人でやってきたもんだから、息がぴたっと合ってるわけ。他の人が入ってくると、そこが崩れてしまう。お客様に迷惑かけずに美味しいうちに早く出してあげたいんだけど、そうはいかない部分もあって。お客様にわがままさせてもらいながら、やらせてもらってるのよ。

F:回転寿司だの、ファミレスだのっていっぱい出てきたからねえ、「つり味に行って食べるのかが楽しみだった」っていう時代と、今は違うもの。

 

ご夫婦二人三脚で切り盛りする店。 ふと食べたくなり、ふらっと立ち寄る。いつも変わらない笑顔にホッとする。

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