特集の傍流

2017.12.11

身近なところでゆったりできるのも、この方々のおかげです。

2018年1月号(159号)やまがたの温泉伝説。
小野川温泉、瀬見温泉
山形県米沢市、山形県最上郡最上町

 温泉はその歴史が長いほど、山中や川辺などに自然と湧き出ていたものを、傷ついた動物や里人、あるいは通りかかった歴史的人物が偶然見つけた、またはお告げによって発見したと伝えられることが多いもの。だが、発見のきっかけは何であれ、温泉の利用が広まっていったのは、湯浴みをした人々がその身で良さを実感し、周囲に広めていったからに他ならない。
 開湯伝説はあくまでも言い伝え。そのため、話自体の真偽を確かめることはできない。内容の真偽はさておき、歴史上の人物や動物、神仏の導きで温泉が見つかるという、「日本昔ばなし」のような、誰もが親しみ楽しめる温かさとともに、神秘的で謎めいた面も感じられるからこそ、温泉は人々を惹きつけてやまないのかもしれない。

 

歴史的によく知られるあの人も、山形に伝説を残しています。

 美女と謳われた平安時代前期の女流歌人、小野小町の伝説は全国各地に存在するが、この小野川温泉の発見者としても語り継がれている。開湯834年の小野川温泉は米沢の奥座敷といわれ、かの伊達政宗や上杉鷹山も湯治したと伝えられる。高温と低温の2本の源泉を巧みに併用して温度管理をしており、湯温もバラエティーに富んでいる。

 

小野川温泉にある2つの足湯のうちの1つ。こちらは飲泉場も兼ねている。

 

小野川温泉の温泉水の飲泉は、コップ2杯までが適量(ただし、小学生以下は温泉水の効能が強いため控えるようにとのこと)。

 

足湯に流れ出てくる温泉水。小野川温泉の泉質は中性で肌に優しく、ラジウムや化粧水にも含まれるメタケイ酸が豊富。科学的にも美肌に効果的と証明されている。

 

温泉水や熱、蒸気を利用した「ラジウム卵」、「小野川豆もやし」などが有名だ。

 

日本美人の象徴、小町に彩られた美人の湯。

 さて、小野小町は京都から、出羽国で郡司をしている父の小野良実(よしざね)を訪ねて旅に出る。西暦834年に桧原の難所を越えて米沢に入るが、旅の疲れからこの地で病み伏すことに。苦しむ小町だったが、夢枕に自身が信仰する峰の薬師が現れ、近くに薬効に優れた湯の湧く所があると告げられる。
 お告げを信じた小町はその地を訪ね歩くが、吾妻川を下っている時に道に迷ってしまう。ところが、小町の袖に葦の葉が触れると、片方の葉だけが落ちて行き先を示したといい、この葦は「片葉の葦」と名付けられたと言われている。

 

近辺を流れる最上川源流の水は現在も飲用できる清流で、3種類のほたるが原生する。毎年6月〜7月には温泉街で「ほたるまつり」が開催され、大勢の人で賑わう。

 

 ようやく吾妻川のほとりにたどり着いた小町は、水面に映った自分の顔を見て、気を失わんばかりに驚く。花のようだった美顔はやつれ果て、乱れた黒髪と相まってさながら鬼女面のようだった。そのことから、吾妻川は鬼面(おもの)川とも呼ばれるようになった。

 

小野川の甲子大黒天本山境内地にある、小野小町伝説について記された小町碑。左後ろの木標は、現地での小町の住居跡。

 

小町碑のアップ。

 

住居木標のアップ。

 

小町碑のある甲子大黒天本山は、弘法大師作の甲子大黒天を祭る日本唯一の本山だ。

 

笑顔の大黒様。

 

 小町が川辺を掘ると、お告げ通り湯が湧き出る。小町はこの湯に入り続けて病を癒やし、再び絶世の美女に生まれ変わり、無事に父と再会したという。以来、湯には小野の名がつき、「美人の湯」と呼ばれるようになった。小町が見つけた湯元は、現在の「尼湯」であるといわれており、温泉街には小町に温泉を授けた峰の薬師を、湯神として祀った薬師堂がある。

 

小野川温泉の共同浴場で最も長い歴史をもつ「尼湯」。名前から誤解しそうだが、もちろん男湯もある。

 

尼湯の前には、霊泉「峰の薬師」が。こちらも飲泉できる。

 

小町に温泉を授けた峰の薬師を祀っている薬師堂までは、やや狭まった道が続く。

 

 

薬師堂外観。

 
 
 

ふかし湯で有名、小国川を臨むかつての御殿場。

 開湯は1187年。瀬見温泉は古くから「新庄の奥座敷」といわれ、江戸時代には新庄戸沢藩の御殿湯として栄えた。この頃から既に城主が、全国的にも珍しいオンドルの一種「ふかし湯」をしていたことが記録に残っている。

 

共同浴場「せみの湯」にて。塩化物泉でよく温まる。婦人病、神経症に効果があるという。

 

 

床穴から源泉の蒸気を浴びるふかし湯の後に入浴することで、温浴の相乗効果も期待できる。

 

 近くを流れる清流・小国川では、川釣りやアウトドアを楽しむことができ、川で育ったアユは「松原アユ」の名でよく知られている。

 

最上小国川に架かる「義経大橋」にて。

 

悲劇の武将、義経一行の足跡を語る子宝の湯。

 

「義経大橋」の義経の像を前に、亀割山方面を臨む。

 

 源頼朝に朝敵として追われ、後世に悲劇の武将と語り継がれてきた義経と、瀬見の縁は深い。
 1187年、義経たちは追っ手を逃れ、平泉の藤原秀衡(ひでひら)を頼って落ち延びる。途中、身重だった義経の北の方が、現在の瀬見温泉近くの亀割山で急に産気づき、玉のような和子、亀割丸を産んだ。その産湯を探し求めて山を下りた弁慶は、小国川のほとりで、岩陰から立ち昇る湯けむりを見つける。弁慶が持っていた薙刀「せみ王丸」で岩を突き崩して掘ったところ、こんこんと湯が湧き出した。これが瀬見温泉の始まりだと伝えられている。
 このことから、瀬見温泉は「子宝の湯」といわれ、亀割山の中腹にある「亀割子安観音」に参り、湯治をすると、子を授かると昔から伝えられてきた。

 

瀬見温泉にある「湯元 喜至楼」にある、瀬見温泉発見当時を描いたという絵。瀬を渡っている様子が分かる。先頭の黒衣の男が弁慶、すぐ後ろが義経、右隣の従者に背負われているのが北の方だ。

 

 瀬見温泉の名前の由来には諸説あり、一行が「瀬を見て」渡ったため、または弁慶の薙刀「せみ王丸」から、などと言われている。子どもに対しては「傷ついた蝉が湯で羽を癒していた」と説明しているとのことだ。

 

弁慶が見つけた源泉は、現在、小国川のほとりにある天然の岩風呂、「薬研の湯」であるという。

 

 また、温泉街には、出産後に一行が休んだ「湯前神社」があり、湯の守護神が祀られている。さらに、現地で毎年9月1日に行われる「亀割子安観音法要」には平泉の中尊寺、毛越寺(もうつうじ)からも住職が参列しており、現在も義経の縁で深い交流が続いている。

 

湯神神社外観。

 

神社の前には飲泉場も。

 

 また、別の面から興味深い話もある。瀬見温泉にある旅館、「湯元 喜至楼」は、現存する旅館建築物としては山形県内最古の貴重な宿だが、中でも必見の「ローマ式千人風呂」は、山の神様の機嫌で湯が濁ると言われているのだ。

 

「湯元 喜至楼」(本館)外観。

 

本館の玄関。ノスタルジックな佇まいが、静かに出迎えてくれる。

 

玄関左で「いらっしゃいませ」と迎えてくれる女性の彫刻。

 

玄関右のこちらは「ありがとうございました」。宿の心遣いが感じられる。

 

「喜至楼」は、明治初期の建築である木造4階建ての本館(日帰り受付専用)と、その裏にある大正昭和年間建築の別館(宿泊受付専用)が内部の階段でつながっているという造り。創業は江戸時代安政期で、元は宇和島藩(現・愛媛県)の家臣だった先祖がこの地に移り住んで湯宿を始めたといい、さすがに館の造りや装飾品などには贅が、そして遊び心が尽くされている。

 

かつて屋根についていたという木造の屋根瓦。

 

四つの「キ」で、「キシロウ」を表現している、障子枠。

 

客室の細部にそれぞれ、めでたい縁起物の姿が。

 

 

 
 

 館内浴場は、昭和当時に流行したという西洋式の浴槽が多く、「ローマ式千人風呂」もその一つだ。

 

大迫力の「ローマ式千人風呂」。

 

 千人とはいかないが、一度に30人ほどは入れる大浴場で、円柱台座上部から山水が注がれ、浴槽したの円柱底部から源泉が湧き上がる仕組みとなっている。源泉が熱すぎるために、このように山水で割っているのだが、山の神様の機嫌が悪いときには、この湯舟の底に砂が沈殿して湯が濁ると言われており、まさに〝入浴できる伝説〟なのだ。

 

「ローマ式千人風呂」浴室内の、タイルで描かれた西洋画。

 

こちらはオランダ風風呂。他にも、滝湯のできる岩風呂など、多彩な浴室が当時の姿で残っている。

 

 また、「喜至楼」では、何とも知的好奇心をくすぐる、貴重な民俗資料や収集品などが常設されており、こちらも訪れる人の目を楽しませている。

 

 
 

利用者横ばい状態の今、山形に初の空白地が。

 山形県内の温泉延べ利用者数は、 山形県「やまがたの温泉2016」によれば、約1400万人と、近年、横ばいの傾向にある。また、この中の宿泊者数は平成4年度の約450万人をピークに減少に転じて以降、足踏み状態が続いている。

 県民にとっては当たり前で、実感が湧かない点もあるのかもしれないが、全市町村に温泉が湧いているというのは、とても有り難いこと。源泉を掘り当てることもそうだが、それを維持していくのにも莫大な費用がかかる。我々が今も温泉を楽しむことができるのは、関係者による想像もつかない苦労があってこそなのだ。

 ところで、「山形は全国で唯一、全市町村に温泉が湧いている」と言えるのも今年2017年中まで。新庄市の奥羽金沢温泉が、老朽化に伴い、今年末に閉館してしまうことで、新庄市が初の「温泉空白地」になってしまう。温泉の利用拡大を呼びかけてきた地元の市民団体は、どのような形でも、施設を存続させてほしいと話している。

 

いで湯に感謝をこめて、満ち足りた温泉ライフを。

 最初は小屋や柵などで囲った小さな湯場でも、次第に人が集まり、地元民が共同で湯を利用、管理するようになった。やがて他地域の人々との行き来が始まり、旅人を泊める旅籠が現れ、温泉場というのは形作られていった。県内にも歴史ある温泉街に受け継がれてきた共同浴場はもちろん、新しく開発された日帰り温泉施設も数多くある。そのいずれもが温泉を愛する人々が心身を癒す場で、裸の社交場であるとともに、地域の発展にとても大きな影響を与えるものだということを忘れてはならないだろう。

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