特集の傍流

2018.2.5

厳しい冬の山形を生き抜いた先人たちに思いを馳せながら、彼らの〝豊かさ〟を知る。

2018年3月号(161号)やまがた冬の農村文化。



 〜鳥羽天皇の御代とか、羽州金井荘宝沢の里に炭焼藤太という人が住んでおった。毎日炭を背負って寒河江、白岩の里までも炭売りに行くことを業としておったという。
 その頃、京都一条殿に豊丸姫という美しい姫君が住んでおった。豊丸姫は日頃信仰している清水観音の霊夢によって、自分の夫となる人は羽州宝沢の里の住人炭焼藤太という人であると確く信じ、京都からはるばる宝沢の里をめざして、遠い旅路を辿ったのであった。
(中略)
 やがて千歳山の麓を通り、馬見ヶ崎ぞいにさか登って行くと、山坂の道があった。姫はこの坂を登れば果たして宝沢
の里に辿りつけるのだろうかと、ためらいながら五度も行きつもどりつしたのであった。それでこの坂を「五度坂」と呼ぶようになったという。
 五度坂を過ぎて、右の方を沢を見ると、煙が立登っておる。やれ嬉しや、ここが藤太の住む里かと、そこまで沢を登ってみると炭焼小屋があるだけであった。姫は仕方なしにその沢を引き返したのである。今でもこの沢を姫沢と呼んでいる。姫は疲れた足どりでなおも山路を辿って行くと、こんこんと湧き出る泉があった。姫は大いに喜びその水を飲み旅の疲れをいやした。この泉は「股旅の清水」と呼ばれている。漸く宝沢の里の藤太の住居に辿りつき、事情を話しその妻となった。
 あるとき、豊丸姫は夫の藤太に小判を渡し、これで米と味噌を買って来るようにたのんだ。藤太は炭を背負い山形の国分寺の近くまでさしかかると、池に鶇(つぐみ)が遊泳しているのを見つけた。
 藤太は「よし、あの鳥を獲ってやろう」と、思わず手にした小判を池の中の鳥に投げつけた。小判は鳥にあたらず水中に沈んでしまった。平気な顔で帰った藤太に、豊丸姫は「小判は都では大変値うちのあるものです。おしいことをなされました」というと、藤太は「ああ、あれか、あんなものなら裏の山に行けば沢山ありますよ」と事もなげに答えた。姫は驚いて裏山に行って見ると果して、そこには金が山ほどあったのである。藤太は大金持になった。その池は鴻の池といって今もなお存在している。〜

 

※ 炭焼藤太の伝説 出典/『唐松観音とその周辺 : 山形市東沢の史跡と文化財』(東沢郷土研究会)より抜粋
横川啓太郎 著

 

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 〜昔、山また山のその奥に貧しい村があった。この村、なぜ貧しいかと言うと、村には川も池もなく、稲を育てることができなかったからだ。村人は雨水を溜めて畑を耕していたが、それでも田んぼを作るには不足だった。それで、村に田んぼを作ることが村人の長年の悲願であった。
 この村に、与左衛門という信心深い若者が、年老いた母親と共に暮らしていた。この与左衛門、村の虚空蔵さま(こくぞうさま)の前を通る時は必ず手を合わせるのであった。

 さて、ある日のこと与左衛門はふもとの町に用足しに行くため、村を2~3日離れることになった。与左衛門が山を降り町に着くと、そこには満面の水をたたえた大川が流れていた。町での用事を終えた与左衛門は、大川の岸辺で一休みすることにした。すると子供たちの声が聞こえ、与左衛門の頭に小石が当たった。
「こらぁー、石なんか投げたら危ねぇでねえだか!!」
「逃げろー!!」
 与左衛門は、子供たちが何をしていたのだろうかと不思議に思い、子供たちのいた辺りに近づく。そこには小さな白蛇がいた。子供たちはこの白蛇をいじめていたようだった。与左衛門は可哀想に思い、白蛇に向かって「今度、出てくる時は気をつけるだぞー」と言い白蛇を撫でてやる。
 すると、与左衛門の傍らに突然きれいな娘が現れた。娘は、自分は竜宮城の乙姫であり、今日は白蛇に化けて地上で遊んでいた。危ないところを助けていただいたお礼に竜宮城に招待したいと言うのだ。

 竜宮城に着いた与左衛門は竜王からもお礼を言われ、見たこともないような贅沢なご馳走で歓待された。与左衛門は夢のような日々を竜宮城で過ごしたが、ある日自分の村のこと、年老いた母親のことが思い出され、村に戻る旨を竜王に伝えた。
 竜王と乙姫は悲しんだが、お礼に宝物殿からどれでも好きな宝物を持っていってよいと言う。宝の山の中で、二つの徳利が与左衛門の目に留まった。聞けば、それは「水の種」であると言う。「これさえあれば、村で田んぼを作ることが出来る!!」と思ったところで与左衛門は夢から覚める。

 与左衛門が寝ていたのは、元の大川の岸辺であった。馬鹿な夢を見たものだと思いながら与左衛門は帰路を急ぐ。山を越え、与左衛門がいつも手を合わせる村の虚空蔵さまの前まで来ると、そこには夢で見た徳利と少しも変わらぬ徳利が二つ並んでいた。そして与左衛門が徳利を振ると、徳利からは際限なく水が溢れ出したのだ。こうして、村人は悲願であった田んぼを作ることができ、村は豊かになったそうだ。〜

 

※ 水の種 出典/まんが日本昔話〜データベース〜より(山形県村山地方に伝わる話)

 

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 冬の厳しい山形には、暮らしの貧しい時代があった。日本一の貧乏藩と言われた藩政時代以降も、清貧を良しとする県民性が根付いたこともあり、農村の人々は生きるために黙々と働き続けてきた。それでも、昭和56年には「富裕度」の統計で全国最下位だったこともある(朝日新聞社「民力」1981年度版より)。
 しかし、そのように厳しい生活の中でも、貧しい者がある日途方もない富を得たり、超人的な手段で水を確保し、稲の実りを得て村が豊かになったりという、民話ならではの世界が語り継がれてきた。ちなみに、全国的に様々なバリエーションに富む「炭焼き長者」伝説だが、貧しく農村恐慌の激しかった東北地方では独自の展開をしているという。

 

「炭焼藤太」や「水の種」などの山形の民話には、裕福への憧れや、生活の不安の解消をも含んだ、山形の心が表れている気がしてならない。こういった民話からは、慎ましやかに生きる中にも希望を持つことの願いや知恵、未来への夢などが感じられ、貧しくとも人々の心はとても豊かだったとうかがえる。
 そんな豊かさに着目し今回は、雪に埋もれて困窮の中耐え忍んできた先人が、特に農閑期に何を楽しみにし、何を自分たちの生活の糧や精神的な支えとしてきたかを探る。そこから、農村の精神的な豊かさや、信仰の形に触れていこうと思う。
 gatta!3月号特集「やまがた冬の農村文化」。特集のレポートは、順次更新します。お楽しみに。

 写真は、松田甚次郎による農村劇の様子(新庄ふるさと歴史センターにて撮影)。

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