だれかの散文

2019.5.20

第13回:ジャイアント馬場さんの想ひ出


1995年1月24日(火)、ジャイアント馬場さん率いる全日本プロレス<新春ジャイアントシリーズ>が山形県体育館で夕方から開催されるというので、試合当日、馬場さんが山形放送ラジオ午後の情報番組「ハッピーロード」に生出演。

番組の顔である秋山裕靖・奥山さち代 両アナウンサーに加えて「力道山時代」から筋金入りのプロレスファンの私が助っ人として聴き手を務めさせて貰ったのでした。

 

山形放送ロビーにて

 

当時の馬場さんは、メインイベンターから一歩退いた立場でラッシャー木村や永源遥、渕正信らと楽しいプロレスを実践していたので、そういった話題から話を向け、当時、どんなダメージも厭わない激しいプロレスを繰り広げていた三沢光晴、川田利明、小橋健太、田上明の‘全日本プロレス四天王’の話へ移行。

 

全日本プロレス「四天王」。三沢光晴、小橋健太組 vs 川田利明、田上明組(1995年1月24日)

 

彼らの熱闘は、絶対エースのジャンボ鶴田が病気療養のために長期欠場していた大きな穴を埋めるどころか、新たな“全日ブーム“を呼び起こすほどのもの。私が彼らのハイレベルな闘いに如何に感動したかを語ると馬場さんは相好を崩し喜んでくれました。

更に私は「四天王の中で一番地味で目立たず四番手と見做されている田上明〈元・大相撲 玉麒麟〉選手が潜在能力では一番上じゃないかと思うのですが⁈」と申し上げたら「やっぱり、そう思いますか。実はボクもそう思うんですよ!」と馬場さんは上機嫌で応えてくれたのでした。

 

山形放送スタジオにて、馬場さんと荒井

 

1995年 新春ジャイアントシリーズのパンフレット

 

全日本プロレス「四天王」。三沢光晴、小橋健太組 vs 川田利明、田上明組

 

その3か月後「春の祭典」と言われている全日本プロレス主催ヘビー級選手による総当たりリーグ戦《チャンピオン・カーニバル1995》で田上明は決勝で三沢光晴にタイガースープレックスで敗れ準優勝に終わったものの確実にポテンシャルの高さを示しました。

そして翌年の《チャンピオン・カーニバル1996》ではスティーブ・ウィリアムス、スタン・ハンセン、三沢光晴、川田利明、小橋建太、ゲーリー・オブライト、ジョニー・エースら強豪ひしめく中、決勝でスティーブ・ウィリアムスと闘い、田上はノド輪落としで下し見事に優勝。この年は更に三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座、世界最強タッグ決定リーグ戦を全て制する活躍を見せました。山形での《新春ジャイアントシリーズ》の後、馬場さんが田上選手に特別な発破をかけたのではないかと勝手に思っています。

 

馬場さんとの生放送後、夕方、山形県体育館に足を運ぶと、馬場さんは前座の第1試合から会場入り口に設けられたグッズ売り場に座り、若手の試合を熱心に観戦。私が「馬場さん!」と声をかけると「オ″ッ!」と独特の籠ったような声で右手を挙げて応えて下さいました。

 

ジャイアント馬場、スタン・ハンセン組入場

 

ジャイアント馬場、スタン・ハンセン組 vs アブドーラ・ザ・ブッチャー&ジャイアント・キマラ組

 

馬場さんの空手チョップがブッチャーに炸裂

 

馬場さんはスタン・ハンセンとタッグを組みアブドーラ・ザ・ブッチャー&ジャイアント・キマラ組と闘い勝利を収めたのは言うまでもありません。馬場さんの対戦相手だった長年の好敵手ブッチャーが、試合前夜の1月23日、七日町セブンプラザ5階にあった映画館「ヌーベルF」に映画を観にきて、スタッフにハンバーガーを10個差し入れてくれたのでした。

椅子に座れるのか心配でしたが、窮屈そうにシートに収まって映画を楽しんでくれました。イメージとは違い、知的でフレンドリーな人で気軽に握手して私と記念撮影をしてくれました。ピンク・フロイドの『吹けよ風、呼べよ嵐』を入場テーマ曲として”黒い呪術師”と恐れられた最凶の悪役レスラーで、馬場・鶴田等の日本人レスラーとの抗争だけでなく、ドリーとテリーのファンクスとの凄惨な流血抗争で震撼させ一大ブームを巻き起こしたものでした。

 

1979年、河口仁によるブッチャーをモデルとしたユーモラスな漫画『愛しのボッチャー』が『週刊少年マガジン』で連載され、それまで恐怖の対象だったブッチャーが親しまれる存在となっていったのでした。来日数は140回を超え外人レスラー最多を数えたことが、取りも直さず集客力と人気を物語っています。

 

アブドーラ・ザ・ブッチャーと、ヌーベルFにて

今年2019年2月19日に日本武道館で引退セレモニーを行ったばかりでした。

山形大会は、他にスティーブ・ウィリアムス、ジョニー・エース、ダニー・クロファット、ダグ・ファーナスらが参戦した豪華なシリーズでした。
試合後は、友人と山形駅前の中華料理店「五十番」に行ったらスティーブ・ウィリアムス、ジョニー・エース、ダニー・クロファット、ダグ・ファーナスら外人レスラー6名が入口横のテーブルに陣取っていてその迫力に驚愕したものでした。 勿論、通訳を兼ねていたレフリーのジョー樋口が居たのは言うまでもありません。

 

馬場さんの著書「16文の熱湯人生」にいただいた直筆サイン

 

ブッチャーは1970年から日本プロレス・全日本プロレスに参戦していましたが、‘81年から’85年までアントニオ猪木の新日本プロレスに引き抜かれ戦いの場を移しましたが、‘87年に全日本プロレスに帰ってきました。それはブルーザー・ブロディも同様。ドリーとテリーのザ・ファンクス、ミル・マスカラスなども一時的に多団体のリングに上がっても最終的には全日本のリングに帰ってきました。

そして、スタン・ハンセン、アンドレ・ザ・ジャイアントは新日本プロレスから全日本プロレスに主戦場を移したのでした。トップレスラーたちが揃って口にするのは「Mr.馬場は約束を守ってくれる。」でした。馬場さんがプロレスラーとして超一流だっただけでなく、人として誠実で彼らからの信頼と人望が厚かったことが伺われます。

 

ジャイアント馬場さんが1999年1月31日に61歳で亡くなり20年が経ちました。

いつの間にか私も、馬場さんが亡くなった年になっていました。

 


幸博荒井

プロフィール:

荒井幸博

1957年山形県山形市生まれ。地元での銀行員、自主上映及び映画館スタッフとして勤務し、1995年4月から独立。山形を拠点にシネマ・パーソナリティとして映画の魅力の醍醐味を語り、執筆し、映画ファンの裾野拡大に奮闘中。

公式サイト「いい日。ミーハーでいこう」
http://www.araiyukihiro.com

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