だれかの散文

2018.11.9

第7回:ビリー・バンバンとのおもひで


ビリー・バンバン菅原孝さん、進さん兄弟と初めて出会ったのは、2000年11月10日米沢市市民文化会館でしたから18年前になります。ソロプチミスト主宰のコンサートで米沢にいらっしゃるということでインタビューを申し込んだ処、快く応じて戴き、リハーサル後、本番までの15分間の時間を戴いたのでした。

 

米沢市市民文化会館でコンサート。初対面でインタビュー後に。2000年11月10日

 

楽屋でテーブルを挟み孝さん、進さんが並んで座り、私の拙い質問に真摯にお二人は答えてくれました。冒頭で、ビリー・バンバンのお二人がデビュー間もない1969年1月、日曜夕方近くのTV番組に出演した際、若手気鋭の落語家として人気の立川談志がスーツ姿で番組コメンテーターでいました。

当時の若者の多くがそうしていたように長髪でジーンズ上下姿の二人に談志が「テメエら、テレビに出んのに、そんな汚ねえ格好で来やがって!」といきなり先制パンチを繰り出すと、新人の二人は当時、小学5年生の私でもはっきり判るように動揺を露わにしたのでした。「あの時はかなりビビったのではないですか?」という私の問いかけに、孝さんが「えーっ!あれ、こっちでもオンエアされたんだ⁈ でも、俺たち、あの時の口惜しさがあったから今日までやってこれたんだよね。」と進さんと顔を見合わせながら語ってくれたのでした。

 

それからは何でも話してくれました。大ヒットしたデビュー曲「白いブランコ」誕生秘話、デビュー前のバンド・メンバーだった、‘せんだみつお’さんのこと、兄弟の音楽性に距離が出てきて解散しソロ活動をしたこと、「いいちこ」CM曲を担当するようになったこと、ご両親のこと、そして再結成し現在に至るまでを伺っていたらアット言う間に1時間が過ぎていました。そう、15分の約束が1時間も話して貰えたのでした。

 

そしてコンサートが幕開け。1.000人のホールは満席の盛況ぶり。私は最後列左端に座らせて貰い鑑賞。艶があり澄んだ進さんの美声に、同質ながら太く低い孝さんの歌声が包み溶け込むような絶妙のハーモニーは至高のもの。ウットリと聴き入っていた中盤、孝さんがMCで「この会場に山形放送でリクエスト番組を担当している荒井幸博さんがタダで座っていると思います(笑)これから荒井さんのリクエストに応えて、ブラザーズ・フォアをメドレーでやります」と「500マイル」「七つの水仙」「グリーン・フィールズ」「パフ」などお馴染みの曲を唄ってくれたのでした。

私はリクエストもしていないし、リハーサルでブラザーズ・フォアを唄っていなかったのを知ってるだけに驚きました!インタビューの中で、歌唱法や音楽性について尋ねた時に「ブラザーズ・フォアの影響を受けたのではないですか?」の問いに対して、孝さんが即座に否定し、恩師・浜口庫之助先生の教えであることを具体例を出しながら丁寧に教えてくれただけだったのでしたが、臨機応変にプログラムを変えられるビリー・バンバンのレパートリーの広さと、その実力に舌を巻いたのでした。

 

翌日、マネージャーから電話で「あの二人が帰りの新幹線で珍しく隣合わせで座り、“あの荒井さんて、俺たち以上に俺たちのことを知ってるよね”なんて言いながらずっと荒井さんの話をしていたんですよ!」と涙が出るほど嬉しい報告。以来ビリー・バンバンのお二人とは、バンドマスターのギタリストで「また君に恋してる」等の作曲家でもある新庄市出身の森正明さんと共に親しくさせてもらうようになりました。

 

山形グランドホテルのディナーショー楽屋にて、菅原孝さん・荒井・進さん。2004年10月2日

 

JAやまがた合併10周年記念ビリー・バンバン トーク&コンサートの後、遠藤芳雄 JAやまがた組合長(当時)から山形牛を贈られて感激しているビリー・バンバンの二人。2006年10月12日

 

上山市ホテルニュー村尾にて。ビリー・バンバン菅原進さん・孝さん、ギタリスト森正明さん。2010年10月7日

 

私がパーソナリティを務めるラジオ番組に何度も出演戴くだけでなく、山形県内でのコンサートを山形市で2回、東根市、上山市、村山市で計5回やってもらいました。また、《荒井幸博と唄おう!昭和歌謡のひろば》という荒井個人の歌のイベントにも菅原孝さんがサプライズゲストで米沢まで来てくださいました。進さんからは森さんと共に2015年9月に上山市旧尾形家住宅、2016年6月に米沢商業高校でコンサートをやって貰いました。

 

山形市テルサ大ホール。2011年8月20日

 

『東日本大震災宮城びっきの会チャリティコンサート』後、仙台市「山形蕎麦としゃぶ鍋 焔藏」トラストタワー店にて。菅原進さん、孝さん、森正明さん。2012年2月24日

 

南青山「居酒屋るー」にて
ビリー・バンバン。仲睦まじい菅原孝・進 兄弟。2012年11月12日

 

2012年度キネマ旬報日本映画1位に輝いたヤン・ヨンヒ監督『かぞくのくに』が2012年12月山形上映の際、ヤン監督が舞台挨拶にムービーオン山形にいらしたのでインタビューを致しました。

その際、「ビリーバンバンと親しくしているんですが、公開前からビリーバンバンのお二人から“自分たちの‘白いブランコ’が有難い使われ方をした素晴らしい映画が公開されるので是非観て欲しい!”と薦められていたんですよ」と伝えたら、ヤン監督は飛び上がらんばかりに喜びました。

ヤン監督は在日コリアン二世。ご両親は大阪の朝鮮総連幹部でヤンさんの兄二人が帰国事業で1970年代に北朝鮮に渡ったのでした。うち一人が脳に腫瘍ができ、25年後に治療の為に一時帰国した事実を基に映画化したもので、ヤン監督は、ビリー・バンバンの大切なデビュー曲を私の特殊な映画に使ってしまい迷惑に感じているのではと思っていたそうです。

 

そして、2013年8月に南青山「居酒屋るー」で、ビリー・バンバンにヤン監督を紹介して呑み語るという楽しい時間を過ごしたのでした。笑い唄い語り合う中で、ヤン監督が北にいるお兄さんを思い「兄がこの場を見たら喜ぶだろうなあ」と涙ぐむ場面も。

 

南青山「居酒屋るー」にて、
ヤン・ヨンヒ監督を真ん中にご機嫌な孝さんと進さん。2013年7月24日

 

荒井、 佐々木昌志さん(ビリー・バンバン所属事務所ハブ・マーシー社長)、菅原孝さん、ヤン・ヨンヒ監督、菅原進さん

 

それから約1年後の2014年7月に兄・孝さんが脳出血で倒れたのでした。自宅トイレで倒れ、90代半ばのお母様が進さんに電話して、進さんが救急車を呼び病院に搬送。私は、その時、東京国際フォーラムで開催されたギャレス・エドワーズ監督『ゴジラ』ジャパンプレミアに参加する渡辺謙さんにインタビューをするために偶然、東京に居たのでした。

新聞で孝さんが倒れたことを知り、進さんに救急病院を訊き見舞いに行きました。看護士さんが身内と勘違いして集中治療室に寝かされている孝さんの下に連れて行ってくれ、言葉を交わすことができたのでした。進さんに報告すると逆に病室を訊かれたのですが、山形在住の私が家族より先に面会できたというのもご縁があったのでしょう。

 

荒井、菅原進さんと自由が丘の焼き鳥 とり正にて。2018年2月14日

 

仙台市定禅寺通りにある東京エレクトロンホール宮城で開催された《夢のスター歌謡祭》楽屋にて。菅原進さん、荒井、森正明さん。2018年4月4日

 

今年5月4日に放送されたTV朝日『決定番!これが日本の名曲だ!豪華スター奇跡の共演&復活SP』で、浅丘ルリ子さんとビリー・バンバンが「さよならをするために」をデュエットするという夢のコラボが実現。この曲はルリ子さん主演ドラマ『3丁目4番地』(1972年)の主題歌で、作詞は、当時ルリ子さんと新婚生活を送っていた当時の夫、石坂浩二さん。作曲は坂田晃一さん。ビリー・バンバンにとって80万枚を売り上げた最大のヒット曲にして唯一出場した紅白歌合戦(1972年)で唄ったどちらにとりましても思い出深い曲でした。

ドラマ最終回にビリー・バンバンの二人はゲスト出演していますが、 ルリ子さんには会えず仕舞いで、46年の時を経て今回のコラボで初めて対面したのでした。

私はどちら共、親しくさせて貰っていたので、事ある毎にどちらにも夫々の話題を出していましたので、3人で唄っている姿を観た時は感慨無量でした。

 

東京エレクトロンホール宮城で開催された《夢のスター歌謡祭》楽屋にて。菅原孝さんと荒井。2018年4月4日

 

孝さんは4年前7月に脳出血で倒れてから、左半身のマヒは残り車椅子生活を余儀なくされていますが、懸命にリハビリに励み、昨年からステージに復帰。

実は孝さんが倒れる2か月前の2014年5月に、弟・進さんが大腸癌と判明し摘出手術を行っていたのです。これは兄が倒れたこともあり1年以上過ぎてから公表されたのでした。ステージ3だったそうで、今も毎月の検査を欠かしません。

実は二人が病に倒れた年はデビュー45周年の節目の年で、記念コンサートが企画されていたのですが、中止せざるを得なくなりました。それで昨年3月に「3年越しの45周年、兄と弟の復活祭」と銘打ち、ステージに立ったのでした。そして9月には初の自伝エッセイ「さよなら涙 リハビリ・バンバン」を上梓。

 

以降、コンスタントにステージを重ね、今年10月26日から12月11日にかけて全国21か所で、「夢のスター歌謡祭」というビリー・バンバンをメインとしたコンサート・ツアーに取り組んでいます。嬉しいことに山形県は11月20日鶴岡市/酒田市、21日山形市、22日寒河江市/米沢市の5か所でコンサートを開催してくれます。

 

衝突しがちで険悪な関係に陥りデビューから8年後に解散し、其々の道を歩み始めた二人でしたが、10年後、両親の願いもあり再結成。以前のように目立ったヒット曲がでることはなかったが「いいちこ」のCMソングを中心に「今は、このまま」「また君に恋してる」「僕らはいつも片方の靴」「ずっとあなたが好きでした」「さよなら涙」等、良質な歌を毎年リリースし第一線で活躍し続けている姿には敬服。何よりも今は互いをリスペクトし、唯一無二のパートナーと尊重し、労り合いながら歩んでいる二人の姿を見て、今は亡きご両親、そしてファンが喜んでいます。

年が明ける2019年1月15日にはデビュー50周年を迎えます。90歳になっても歌い続けると意欲を燃やしている二人にとっては通過点でしかありませんが、共に祝おうではありませんか!

 


幸博荒井

プロフィール:

荒井幸博

1957年山形県山形市生まれ。地元での銀行員、自主上映及び映画館スタッフとして勤務し、1995年4月から独立。山形を拠点にシネマ・パーソナリティとして映画の魅力の醍醐味を語り、執筆し、映画ファンの裾野拡大に奮闘中。

公式サイト「いい日。ミーハーでいこう」
http://www.araiyukihiro.com

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