だれかの散文

2019.1.15

第9回:柴田恭兵さんとのおもひで


柴田恭兵さんは、大学卒業後、サラリーマン生活を経て、1975年ロックミュージカル劇団「東京キッドブラザース」に入団。舞台『十月は黄昏の国』でデビュー。そのキレのある動き、良く通る声、そして甘いマスクで看板役者になるのにさほどの時間は要しませんでした。いい役者はいないかと小劇場に足を運んでいた村川透監督が恭兵さんに惚れ込み、「恭兵を優作と共演させたい」との想いで、監督がメガホンを取った『大都会 PART II 第15話 炎の土曜日』(77年7月)にゲストでテレビ初出演。

 

これは、すんなり決まった訳ではなく、東京キッドブラザース主宰の東由多加さんに村川監督が「あの柴田という役者をテレビドラマで使わせてくれ」と直談判したら「本人がいいんだったら」と許可を得た村川監督は酒を酌み交わしながら恭兵さんを直接誘いましたが、単調なサラリーマン生活に嫌気がさしてキッドに飛び込み、汗と涙の熱い舞台にやり甲斐を見出した恭兵さんにとって、テレビドラマの世界も単調に思え、首を縦に振りませんでした。それにもめげず熱く語る監督に恭兵さんは「やってみてもいいか」と出演を承諾したのでした。

 

恭兵さんのテレビ初出演は監督の狙い通り好評を博し、第36話『挑戦』(同年12月)で再び招かれ出演。そして1978年に村川監督がメインで演出をした刑事ドラマ『大追跡』(日本TV)に初レギュラー出演。TBS『赤い嵐』(’79)で連続ドラマ初主演。『俺たちは天使だ!』(日本TV ’79)でその人気を不動のものとしたのでした。そして映画は村川監督の『最も危険な遊戯』(’78)、『白昼の死角』(’79)に端役ながら出演。短い出演場面ながらその存在感をしっかりとアピールしたのでした。その後、『あぶない刑事』(日本TV ’86〜)、『風の刑事・東京発』(TV朝日 ‘95.10〜96.3)、『はみだし刑事・情熱系』(TV朝日 ‘96.10〜2004.6のpart8まで)シリーズでもタッグを組み、特に人気を博した『あぶ刑事』映画化では『もっともあぶない刑事』(’89)、『あぶない刑事リターンズ』(’96)、『さらば あぶない刑事』(2016)で三度に亘り一緒に取り組んだのでした。

 

村川透監督は山形県村山市の出身。1994年1月に出会ってから親しくさせて貰っていた私は、この郷土が生んだ映画監督の偉大さを地元の人に知って欲しい一心で『村川透映画祭』を企画し、3年越しに漸く村山市で実現したのが2005年2月のこと。映画祭の目玉はゲストとして招く村川監督ゆかりの俳優です。監督から「呼ぶゲストは誰がいい?」と名だたる俳優の名前を挙げて下さいましたが、私は「柴田恭兵さん!」と迷わず答えたのでした。

 

『大追跡』『俺たちは天使だ!』と、私が20歳の頃から恭兵さんファンだった上に、1996年5月『あぶない刑事リターンズ』(96年9月公開)撮影現場の取材で2度お会いし、同年9月の完成披露上映の際、東映本社でインタビューをさせて貰う等、その人柄に触れ一層、恭兵さんへの尊敬の想いを強くしていたので当然のことでした。『あぶ刑事リターンズ』2度取材の内1度は端役ながら共演させて貰ったのでした。

 

カルト集団のテロリストが銀行に潜入したという情報を聞きつけた鷹山(舘ひろし)と大下(柴田恭兵)が、銀行強盗を装ってテロリストを炙り出そうとした際、銀行ロビーにいるサングラスにをしてジュラルミンケースを持つ怪しげな男の役で、荷物検査をした大下役の恭兵さんからケースに隠し持っていたSM用の鞭で背中をシバかれる情けない設定でしたが、恭兵さんと同じ画面に映れるという喜びが大きかったです。そして村川監督が恭兵さんに直接依頼し快諾を得たのでした。

 

1996年5月、「あぶない刑事 リターンズ」(村川透監督)で銀行強盗の撮影現場にて。柴田恭兵さん(大下)と舘ひろしさん(鷹山)の間で座っているサングラスの男が筆者。

 

恭兵さん(大下)に荷物検査をされるシーン。

 

それは映画祭の4ヶ月前の2004年10月後半の事。私は早速ブログで2005年2月5・6日に開催する『村川透映画祭』初日に柴田恭兵さんがいらっしゃることを告知。当時、私のブログへの訪問者は1日100人前後でしたが、恭兵さんの『村川透映画祭』参加を報じた途端に1,500人を突破!改めて恭兵さん人気の凄さを思い知ったのでした。そして、1人の女性から「柴田恭兵さんは若い時は別にして今はトークショーなどなさらない方です。そちらの映画祭に参加するというのは本当ですか⁈」というメールが届きました。電話番号が記されていたので電話をかけた処、彼女は恭兵さん公認ファンサイトの管理・運営をなさっていて、誰よりも恭兵さんの事を知っている人でしたので、その疑問は尤もでした。私は「恭兵さんは、“村川監督は僕を映像の世界に引っ張ってくれた恩人ですので伺います”と承諾して下さいました。」と応えたら納得し、ファンサイトでも告知をしてくれたのでした。そして、会場の村山市民会館のキャパシティ約1,000席分のチケットは忽ち売り切れたのでした。

 

10月末、恭兵さんに、映画祭実行委員会で些少ながら謝礼を用意していることをお伝えすると「恩人の村川監督のお役に立てるならということで伺うのですから、受け取れません。」と主張されました。
それでも、予算化してご用意致しましたので何とか受け取っていただけないでしょうか!とお願いすると、恭兵さんは「*新潟中越地震の被災地に義援金として映画祭の名義で寄付して戴けませんか」申し出られました。恭兵さんの素敵な提案を受けて、直ちに村川透映画祭として寄付させて戴きました。
このことを公表するのは、恭兵さんの本意ではないことは承知しておりますが、尊敬する恭兵さんの恭兵さんたるエピソードということで、敢えて公表させてもらいました。ご容赦下さい。

 

2005年2月5日 村山市民会館で開催された「第1回 村川透映画祭」でのトークショー。

 

左から、村川透監督、柴田恭兵さん、筆者。

 

映画祭当日の2月5日、大雪の村山市に柴田恭兵さんは山形新幹線でいらしたのでした。会場の村山市民会館へ向かう車窓からの真っ白な世界に「雪、凄いね!」と驚嘆する恭兵さん。地元の我々が驚くほどの豪雪でしたから、静岡県出身の恭兵さんが驚くのも無理はありません。

会場に到着し、控え室で待つ村川監督と恭兵さんが顔を会わせるや否や、互いの目と目を見合いながら抱擁し固い握手を交わされました。前年まで『はみだし刑事』でご一緒していた二人ですから久しぶりという訳ではないにも拘わらず、この感激ぶりに「30年来のお二人の絆も強さ」を垣間見、大感激したのでした。

近くの手打ち蕎麦の店「そばのみ」で昼食をご一緒する。

恭兵さんは、席に座るなり「お酒お願いします!」

私は蕎麦屋で日本酒とは粋だ!と思いながらも、これからトークショーなのに呑むんだ?!と思いながらも、板蕎麦を啜りながら地酒を手酌で呑む恭兵さんの姿が実にカッコ良かったのです。店主も嬉しかったのでしょう。「別の蕎麦粉の蕎麦も召し上がりませんか?!」と勧めたら「戴きます!」と恭兵さん。恭兵さんは「でわかおり」と「最上早生」の板蕎麦2枚とお酒3合程を、美味しそうに召し上がったのでした。

 

トークショーは司会の私が先にステージに登場し、村川監督、恭兵さんを呼び出すという形で始まります。「はみだし刑事」のテーマ曲が流れてから村川監督が下手から登場する段取りでしたが、せっかちな監督はすぐに飛び出そうとして、スタッフに腰を抑えて止められ、それを上手袖で観ていた恭兵さんが手を叩いて大笑い。そして恭兵さんが「あぶない刑事」のテーマ曲で登場!監督同様に逸る気持ちを抑えられず、フライングしようとして止められたのはご愛敬でした(笑)

 

恭兵さんがステージに登場するや、写真撮影のフラッシュが一斉に光り続けていました。九州から北海道まで全国津々浦々から大雪の中駆け付けたファンにとっては待ち望んだ瞬間だったのでしょう。

 

トークでは、村川監督、東京キッドブラザース、松田優作さん、舘ひろしさんたちとの楽しいエピソードや、故郷・静岡での少年時代の話などを私の問いかけに楽しそうに、時にはユーモアを交えながら話してくださり、会場一杯のファンを大いに湧かせてくださいました。村川監督も嬉しそうにそれに応えてくださっていました。当日、会場最前列には「柴田恭兵」「村川透」というお二人と同姓同名の人を無料招待。恭兵さんは小学2年の柴田恭兵君に「この名前で苛められたりしない?」と訊いたり、盛んに語りかけていたことが印象に残りました。

トークショーを終え、会場を後にする際も、監督と再び抱き合っていました。

 

2005年2月5日《村川透映画祭》で着席前の村川透監督、柴田恭兵さん、筆者。3人が座るディレクターズチェアは、恭兵さんと映画祭の名入り。

 

恭兵さんは、帰りの新幹線を待つ間、村山駅駐車場での車中待機を良しとせず、沢山のファンが待ち構えているであろう駅構内に「行きましょう!」と入っていきました。案の定、ファンに取り囲まれ、握手・写真・サイン責めに逢いましたが、嫌な顔一つしないで、一人ひとりの要求に笑顔で応えていらっしゃいました。

お陰様で念願の『村川透映画祭』は大盛況裏に幕を下ろすことができました。

 

村山駅ホームで新幹線に乗り込み、別れを惜しむ柴田恭兵さん。左が筆者。

 

同じく村山駅ホームでの恭兵さん。

 

その後、鳥井邦男監督『まだまだあぶない刑事』(2005年10月22日公開)撮影最終日の5月5日には、ロケ地となった赤坂の氷川公園で再会し、私のインタビューに屈託なく応えて下さったのでした。

現場では、いつもと同じように“いい空気、場作り”をされ、鳥井組の集合写真撮影では恭兵さんが手招きした下さり私も加えて戴いたのでした。現場で恭兵さんが座るディレクターズ・チェアは『村川透映画祭』トークショーで座り、恭兵さんに贈った[TORU MURAKAWA FILM FESTIVAL][KYOHEI SIBATA]と黒字に黄色でプリントされたチェアだったことに恭兵さんの優しさを感じ、また感激!

 

ただ、この日、恭兵さんから私に「監督、何か言ってなかった?」と3〜4回訊かれ、其の度「いいえ」「何も」とお答えするやり取りを繰り返したことが少々気になったのでした。

 

2005年5月5日、「まだまだあぶない刑事」撮影現場、東京赤坂の氷川公園にて。恭兵さんにインタビュー。

 

同じく、氷川公園でのインタビューの様子。

 

その引っ掛かりは、5か月後の2005年10月に判明したのでした。

恭兵さんのご子息・鮎さんが、前年暮れに20歳の若さで急逝していたことが公表されました。死因は持病の喘息による心臓発作。鮎さんは当時、九州芸術工科大学でコンピューター音楽を学ぶためにアパートで一人暮らしをしていて自室で発見されたそうです。バスケットボールと音楽に打ち込む、恭兵さんの自慢の息子さんでした。誕生の際は、鮎さんの名前の入ったタンクトップシャツを、当時の撮影スタッフに配るほどの喜びようだったそうです。

 

恭兵さん、そしてご家族の悲しみは如何ばかりだったのか想像もつきません。恭兵さんは『まだまだあぶない刑事』の撮影に支障きたすことを慮り「息子さんの死」を10か月余りも伏せて、映画が完成し公開間際になったタイミングで公表したのでした。後で思えば、最愛の息子さんの死から、一ヶ月ちょっとでの『村川透映画祭』への参加です。

 

悲しみの底で、誰とも会わずに、家族だけで過ごしていたかったことでしょう。ましてや、‘祭り’の文字が躍る映画祭なんて出られる精神状態ではなかったと思います。それでも、恭兵さんは、村川監督と、楽しみに待ってくれているファンのために、悲しみを胸にしまって、いらしてくださったのです。

 

あの時、監督だけは、恭兵さんの抱えた深い悲しみを全て知っていて、誰にも言わずにいたのでした。あのトークショーでステージに上がっていた3人の内、私だけが、その事情を知らずにいたのです。私のことだから、知っていたら配慮・配慮で、無邪気に少年時代の話を訊いたり、楽しくは出来なかったことでしょう。

 

恭兵さんは、そんなことをおくびにも出さず、満員の観客を笑いの渦に包んでくれたのでした。あの時、トークショー前にお酒を呑んだこと、小学生の柴田恭兵君に語り掛けたこと、そして村川監督との熱い抱擁は、この事実を知り、漸く合点が行ったのでした。

あの時の恭兵さんの心中を想うと今も熱いものが込み上げてきます。

 

2005年5月5日、撮影オールアップ。柴田恭兵さんと舘ひろしさん。

 

恭兵さんは翌2006年、肺ガンを患い、2年間の抗ガン治療を余儀なくされます。

NHKドラマ『ハゲタカ』出演を控えていましたが延期。演出の大友啓史監督は恭兵さんの代役を立てずに復帰を待ちました。恭兵さんもその期待に見事応えて病を克服し『ハゲタカ』撮影で復帰。2007年2~3月に放送され、大好評を博し2009年には映画化もされたのでした。

 

2012年には阪本順二監督『北のカナリアたち』で吉永小百合さんの夫を演じ、2016年には『さらば あぶない刑事』(1月30日公開)で村川監督と再度タッグを組み、変わらずキレ良く軽妙でアグレッシブな演技を見せてくれたのでした。

 

デビュー当時、若者の代表のようだった柴田恭兵さんも67才。ところが、複数の野球チームの3番セカンドで草野球を盛んにやられているそうです。

 

恭兵さん、『さらば あぶない刑事』から3年が経ちました。野球の試合数を少し減らして、そろそろ映画やドラマに取り組んでもらえませんか。

そして、舞台挨拶で山形へいらしてください。奥様同伴で温泉と地酒、食を楽みましょう!

 

*新潟県中越地震は、2004年10月23日17時56分に、新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13 kmの直下型の地震。1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以来、当時観測史上2回目の最大震度7を記録した。強い揺れに見舞われた小千谷市、十日町市、長岡市、見附市を中心に、全体で68名が死亡した。家屋の全半壊はおよそ1万7000棟に上った。

 


幸博荒井

プロフィール:

荒井幸博

1957年山形県山形市生まれ。地元での銀行員、自主上映及び映画館スタッフとして勤務し、1995年4月から独立。山形を拠点にシネマ・パーソナリティとして映画の魅力の醍醐味を語り、執筆し、映画ファンの裾野拡大に奮闘中。

公式サイト「いい日。ミーハーでいこう」
http://www.araiyukihiro.com

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