だれかの散文

2019.4.3

第11回:新沼謙治さんとの想ひ出


東日本大震災から8年目に当たる2019年3月11日に、新沼謙治さんがコロッケさんと共にNHKテレビ「ごごナマ」にゲスト出演されました。お二人とも被災地に何度も足を運び、様々なボランティア活動を続けている方。

コロッケさんが「震災直後は交通網が遮断されていたので山形の友人と共に山形廻りで被災地に入りました。」と当時の状況を語り始めた後、新沼さんは「私の故郷 大船渡も大きな被害を受けたので直ぐに現地入りしたかったんですが、妻が重い病気で臥せっていましたので、離れられず、行けなかったんですよ。お袋からも、いつ来るんだ!と何度も催促されるんですけど、妻の病気を内緒にしていたので、本当に辛かったです。行けたのは震災からひと月ほど経ってからでした。」

 

新沼謙治さんと初対面の2004年12月29日。当時山形市にあった温泉施設ラッキーにて。

 

新沼さんの奥様は、元バドミントン世界女王の湯木博恵さん。全英オープン選手権・女子シングルで2年連続の計4回、ダブルス1回の優勝を飾るなど、1960年代から1970年代にかけて女子シングルスで圧倒的な強さを見せ「世界女王」の名を欲しいままにしていました。

博恵さんは、1981年現役を引退直後に新沼さんの地元・岩手県大船渡市を訪れました。元々バドミントンが趣味だった新沼さんが、博恵さんにバドミントンの指導を受けたことをきっかけに意気投合し交際がスタート。二人は約5年間の交際を経て1986年目出度く結婚。

博恵さんは、母校・日本女子体育大学バドミントン部の監督を務める傍ら、7歳年上の姉さん女房として内助の功に務めました。1男1女の2人の子供にも恵まれた仲睦まじい、おしどり夫婦でした。しかし最愛の博恵さんは2004年に乳がんの手術を受け、完治したと思いきや、7年後に再発、肺などへの転移が見られ病床に伏していた時に3月11日の東日本大震災が勃発。新沼さんの故郷で、二人が結婚式を挙げた思い出深い岩手県大船渡が壊滅的被害を受け、親しかった人、お世話になった人たちの中で犠牲になった人もいて、被災地に駆けつけられない二人は抱き合って泣いたそうです。震災から半年後の 2011年9月7日に博恵さんは甲状腺癌で62歳の若さで永眠。結婚から25年の銀婚式を迎えた年のことでした。

 

最愛の妻、博恵さんが亡くなった2011年9月7日、新沼謙治さんは山形県かみのやま温泉ホテルニュー村尾浪漫館でディナーショーのステージを務めていました。これは、私が旧知である新沼さんの大石マネージャーに10ヶ月前に依頼し快諾を受けてのことでした。博恵さんの病気のことは全く知らされていなかったので、大震災により新沼さんがディナーショーに来れなくなるのではと心配しましたが、「もちろん予定通りやらせてもらいます」というマネージャーの言葉に安堵したものでした。

そして9月7日かみのやま温泉ニュー村尾浪漫館で開催の「JA山形まるごと山形食の旅」での新沼さんのディナーショーは、新沼さんの故郷、大船渡へのチャリティを目的とした《新沼謙治 東日本チャリティコンサート》として12時50分からと18時50分からの2ステージ開催。私は進行役を務めました。

 

新沼さんご一行は、チーフマネージャー、現場マネージャー、音響担当者、専属司会者の総勢5名。午前11時に会場到着するなり新沼さんは大浴場へ。
スターが大浴場に行くというのは珍しい。なんて気さくな人だと思いましたが、今思えば、その時点で奥さんの博江さんは危篤状態だったのではないでしょうか。

新沼さんにとって日本テレビ「スター誕生」の先輩にあたる山形県舟形町在住の最上由紀子さんに前座を務めて戴く。
最上さんのステージは、12時25分から45分までで、12時50分から新沼さんにバトンタッチの予定でしたが、最後の曲が始まった42分になっても、新沼さんと大石マネージャーはステージ袖に現れません。最上さんに1曲追加でお願いしようとした矢先に新沼さんたちはいらっしゃったのでした。
博江さんが息を引き取ったのが12時21分でした。覚悟されていたとはいえ、深い悲しみに沈まれていたのでしょう。新沼さんは、そのことをおくびにも出さずにバックヤードに現れたのでした。

 

奥様の悲報を押し隠してディナーショーが幕開け。

 

最上さんの20分ほどのステージの後、新沼さんの専属司会者・金子ひとみさんがステージに登場。その間、新沼さんが最上さんに呼びかけ、ギターで音あわせ。曲はトワ・エ・モア「誰もいない海」。新沼さんは先輩である最上さんを前座で終わらせることを良しとせず、新沼さんのステージに再び上がってもらいデュエットすることを提案していたのです。

オープニング曲「嫁に来ないか」は長いイントロバージョンのもので、最上さんとの音合わせを済ませた新沼さんが何事もなかったかのようにステージ上で「♪よ~めに~来ないか~♪」と大歓声に迎えられ唄いだしたのです。妻の死の25分後にはステージで歌を唄っている。それも「嫁に来ないか」。胸が張り裂けんばかりの思いだったことでしょう。

 

握手をしながら客席を廻る新沼さん。

 

曲後、金子さんが、改めて新沼さんを紹介。互いに褒め称え、謙遜するという掛け合いで客席に笑いが生まれる。そして、新沼さんは、大浴場に一人で浸かった幸せを語る。「青春想譜」「酒とふたりづれ」「情け川」を唄った後、客席のテーブルを廻りながら「旅路」「風列車」。
ひとりひとりと握手をして、気軽に写真撮影に応える新沼さん。

続いては、椅子に座って得意のギター演奏。「禁じられた遊び」、ボサノバから古賀メロディのイントロ。そして「酒は涙か溜息か」を弾き語り。先ほど、前座を務めてくれた最上由紀子さんをステージに招き、昔話をした後で、「誰もいない海」をデュエット。土の香りのする純朴なトワ・エ・モアでした。

 

最上由紀子さんと「誰もいない海」をデュエット。

 

東日本大震災での故郷、大船渡の惨状、そして復興への想いを語り、新曲「雪の川」を唄い、ラストソング「津軽恋女」。退場するやいなや「アンコール」の掛け声と手拍子が湧き上がる。
新沼さん再登場。「この曲に‘しあわせの~’という部分があるから好きなんです。阿久悠先生は、俺に素晴らしい曲を書いてくださいました」と言って、アンコール曲「ヘッドライト」を熱唱。
最後の2小節で、新沼さんが突然、感極まり、涙ながらの絶唱となりました。
その時は、てっきり郷里 大船渡を想っての涙だと思っていました。新沼さんは、悲しみを押し殺して、明るく力強く、観客とふれあいながらステージを務めて、お客さんを大いに楽しませてくれたのでした。

 

アンコール曲「ヘッドライト」を涙ながら唄う。

 

夜の部は、昼の部で唄った「青春想譜」「酒とふたりづれ」「情け川」を「小さな春」「待たせたね」「ふるさとはいいもんだ」に差し替え、
会場一杯の観客の前で、濃密なステージを務め、アンコール「ヘッドライト」にジミヘン風のギターサウンドでニューアレンジした「黒潮列車」が続く。
ツイスト時代の世良公則ばりの力強いアクションで観客を魅了。思わず「カッコイイ」と呟いてしまいました。

 

かみのやま温泉ニュー村尾浪漫館でのディナーショー昼の部を終えて、楽屋の窓辺で一人ギターを爪弾いていた新沼さんにお邪魔して。

 

夜の部の前、休憩時間に控え室を訪ねたら、新沼さんは窓辺に腰掛け、ひとりでギターを爪弾いていました。
スタッフは、悲しみに沈む新沼さんを気遣い、一人にしておいたのでしょうが、そんな事とは露知らない私は、30分ほど、新沼さんとお話をして、後で訪ねてきた最上さんと共に無邪気(無神経)に記念撮影をしたのでした。

 

スター誕生!の先輩にあたる最上由紀子さんも加えて3人で。

 

奥様の死を伏せての渾身のステージを務めて下さったことに言葉では語り尽くせないほどの感謝の想いで一杯です。そしてプロ歌手の凄みを見せて戴きました。
新沼さんは2ステージを終え、最終の新幹線でマスコミが大挙して新沼さんを待ち受けている東京駅へと向かっていったのでした。私は翌朝6時、最上由紀子さんからの電話で起こされ「今朝の新聞に、ケンちゃんの奥さん亡くなったって載ってる」の叫びで初めて博恵さんの死を知ったのでした。

新沼さんは、悲しみに浸る間もなく、翌日も宮城県加美町の中新田バッハホールのステージに立ったのでした。

 

そして3年後、私の依頼に応えて下さり再びニュー村尾浪漫館のステージに立ち、自作の「ふるさとは今もかわらず」を披露してくれたのでした。あれから何度もこの歌を聴いていますが、その素直で美しい故郷や人への想いに涙するのです。

先日3月11日にNHK「ごごナマ」での歌唱でも涙したことは言うまでもありません。

 

今年は是非「紅白歌合戦」で聴きたいものです。

 


幸博荒井

プロフィール:

荒井幸博

1957年山形県山形市生まれ。地元での銀行員、自主上映及び映画館スタッフとして勤務し、1995年4月から独立。山形を拠点にシネマ・パーソナリティとして映画の魅力の醍醐味を語り、執筆し、映画ファンの裾野拡大に奮闘中。

公式サイト「いい日。ミーハーでいこう」
http://www.araiyukihiro.com

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