だれかの散文

2019.7.18

第15回:須藤正裕さんとの想ひ出


中国で俳優として活動して8年になる須藤正裕さんが今年は3月・6月の一時帰国ごとに山形を訪れ、村山市湯舟沢温泉旅館に泊まり、地酒を呑みながら岩牡蠣、蕨の一本漬、芋煮、さくらんぼ等の山形の食に舌鼓を打っていきました。

 

今年3月、FM山形スタジオで『あらいゆきひろのシネマアライヴ』に出演した須藤さん。右は筆者。

 

須藤さんは1956年12月17日東京目黒で生まれ、高校まではバスケットボール部で活躍。同時にブルース・リーに憧れを抱き、明治大学卒業後、武道家を志し台湾、中国に渡って武術修行を始め、帰国後「月刊空手道」の記者となり中国武術雑誌“武術”の創刊号に携わりました。その間、日本各地の武術の諸先生を訪ね、武術の修行に明け暮れたそうです。そんな須藤さんが26歳の’82年、六本木でスカウトされ武術家から俳優の道へ。

 

今年6月中旬 東根市でさくらんぼ狩りをして、木に実るさくらんぼを初めて見て感激している須藤さん。

 

今年4月中国ドラマ『一代洪商』をアフレコ中の須藤さん。

 

後に私も『伴淳映画祭』でお世話になる瀬川昌治監督に見出され監督の事務所に所属し、ビートたけし主演のTBSドラマ『刑事ヨロシク』で俳優デビューを果たします。その後、黒澤明監督『乱』(’85)や角川春樹監督『天と地と』(’90)など得意の殺陣や乗馬を活かせる時代劇で主に活躍。山田大樹監督『湘南爆走族』(’87)では主演の江口洋介、織田裕二の兄貴分を演じました。88年村川透監督『行き止まりの挽歌 ブレイク・アウト』で演技開眼。俳優として一層本腰を入れるようになります。

 

以降、村川作品に続けて出演していることからも村川監督との出会いは須藤さんにとって大きいもので「村川監督は、俺がこの世界で“オヤジ”と呼べる唯一の人です」と明言。前後して、滝田栄さん・藤岡弘さん・榎木孝明さんらが師事している東郷秀信氏率いる「斬新塾」に弟子入りし、殺陣・武道・居合道など武術に磨きをかけます。この斬新塾では阿部寛さん、加藤雅也さんなども鍛錬したそうです。

 

須藤正裕さんと初めて会った頃。1996年7月『あぶない刑事リターンズ』銀行強盗の場面を撮影した横浜市山下公園近く日本郵船本社前で(正確には茨城の廃工場に続き2度目)

 

私が須藤さんと出会ったのは、1996年5月 村川透監督がメガホンを取った『あぶない刑事リターンズ』の撮影現場でした。

村川監督から「オレが目をかけてる須藤正裕っていう俳優がいるんだ。武道家から俳優になった男で、デカイし動けてマスクも声もいいんだ!」とそれまで何度も訊かされていました。因みに須藤さんは身長187cm、体重85kgの鍛えられた体躯をしていました。

 

監督が『あぶない刑事リターンズ』を撮ると決まった時に、当時 山形放送(YBC)夕方の情報番組『ピヨピヨ卵ばくだん』で私が担当していた“Mr.アライのシネルーム”という映画紹介コーナーで撮影現場取材をすることになり、鷹山(舘ひろしさん)、大下(柴田恭兵さん)両刑事とテロリスト集団の銃撃戦を撮影する茨城県の廃工場にディレクター兼カメラマンとADと私の3人で訪れたのでした。

 

須藤さんはテロリスト集団のNo.2木内を演じ、舘ひろしさんとの格闘シーンを控えていました。

須藤さんとは初対面でしたが、村川監督作品に出演した3作品を観ていたので直ぐに分かりました。『行き止まりの挽歌 ブレイクアウト』(’88年7月)では蟷螂拳を操る殺し屋で、その風貌が髪の毛を逆立て丸サングラスに黒の拳法着姿。大柄ながら俊敏で鋭い動きで主人公の刑事役の藤竜也さんを徹底的に攻め追い詰める凄みは、観客が眼を背けたくなるほどのもの。

尚、須藤さんが演じた篠原の出で立ちは、翌年11月公開の『ブラック・レイン』で松田優作さん演じた佐藤がそっくりなのには驚きました。

 

須藤さんは、その後の村川作品『BEST GUY』(’90)では織田裕二さん演じる主人公・梶川らをパイロットとして指導する航空自衛隊の気のいい教官をスキンヘッドで演じ、『よるべなき男の仕事・殺し』(’91)では、主人公の殺し屋役の加藤雅也さんを追う根津甚八さん演じるベテラン刑事の相棒の若手刑事を七三ヘアで爽やかに演じました。3作品を並べると、とても同一人物が演じたとは思えない程のものでした。

以降、映画、テレビドラマ、Vシネマを中心にアクションも芝居もできる本格俳優として順調にキャリアを重ねていたのでした。

 

『あぶ刑事』の現場でお会いするなり、初対面という気がせず、須藤さんに私はこの想いを一気に話し、須藤さんもまたそれに呼応して下さったのでした。以降、私が上京すればお酒をご馳走になりながら映画談義に花を咲かせたのでした。

 

《第2回村川透映画祭》でトークする村川透監督・須藤正裕さん・荒井(2006年5月27日)

 

映画祭 後の懇親会でスタッフTシャツに名前を書いて貰う先頭で村川監督からサインして貰っているゴキゲンな須藤さん。

 

柴田恭兵さんの回で書きました『村川透映画祭』にも、2006年5月開催の第2回にゲスト参加戴きました。映画祭に参加した米沢の映画仲間の強い要望に応えてこの年は12月には米沢市に来て小野川温泉で私の映画仲間たちとも懇親して貰いました。

 

関係者のサインがぎっしり入った「村川組」Tシャツを着てポーズを決める須藤さん。

 

Tシャツの背面には、筆者(荒井)のサインも!

 

2006年12月、米沢市小野川温泉「寿宝園」前で。

 

須藤さんはお父様が長野県松本市に本社を構えるジャム会社を経営。目黒に自宅を構え、奥様がバレエ教室を経営していて経済的には恵まれた環境にありました。そういったこともあり、村川監督など自分を理解してくれる監督以外の仕事で意に沿わないものは断ってきました。

私は生意気を承知で「若い監督とも仕事をすべき」「斬新塾に傾倒し過ぎでは」などと意見を言ってきましたが、当時は聞く耳を持ってもらえませんでした。それが災いしてか、50歳を過ぎた辺りから思うように仕事が来なくなっていきました。この頃は名前を正裕から雅宏に改名したり暗中模索の時期だったようです。須藤さんは、’90年前後の村川作品で全く別人と思えるキャラクターに成りきったように、ロバート・デニーロやクリスチャン・ベールのように作品ごとに体格や人相まで変えるスタイルを目指してきましたが、日本ではアイドルやお笑い芸人が映画やドラマの世界でも幅を利かせ、プロとしてのこだわりの仕事が過小評価されることへの疑念と憤りを抱えるようになり、どんどん増幅していったのでした。

 

ちょうどそんな時、1932年のロサンゼルス五輪で唯一中国代表として出場した陸上選手・劉長春を描いた中国映画『たった一人のオリンピック』(2008)に日本軍人役で出演。中国映画界の活気あふれる現場を体験した須藤さんは活躍の場を中国に移すことを決意。努力家で既に英会話や韓国語もある程度身に着けていた須藤さんらしく中国語を猛特訓。そして遂に2011年中国に渡ります。それは東日本大震災の直前のことでした。

 

当初は「抗日・反日ドラマ」で中国人を迫害する残忍な日本兵ばかりでしたが、次第に同じステレオタイプの役ばかり演じることに疑問を持ち「リアルにこだわりを持つ」ことを重視しするようになっていきました。また、悪い癖が?と心配しましたが「捨てる神あれば拾う神あり」「どこかで神様は観ている」

 

路奇(ルーチー)監督、孟(モン)プロデューサーと出会い『血盟千年』に出演すると、その実力を高く評価され、2014年『東方戦場』では山形県鶴岡市出身で‘帝国陸軍の異端児’、‘軍事の偉才’と謳われた石原莞爾を演じることになり、関係本をむさぼり読み、酒田市出身の活動弁士・佐々木亜希子さんに庄内弁の指導を受けてから撮影に臨む徹底ぶり。監督からは「日本語の方言の違いは中国人には分からない」と言われても庄内弁を駆使。また、石原莞爾のふてぶてしいイメージを表現したいと監督に提案するなど、その熱心な取り組む姿勢は路奇監督、孟プロデューサーからの信頼をより厚くし「次回作にも是非!」と声をかけられるようになりました。

 

中国 時代活劇ドラマ『武当一剣』撮影現場の須藤さん。

 

時代活劇『武当一剣』(’16)では、敵役ながら中国人武術家役で主役の若手人気俳優と壮絶な戦いを繰り広げました。『一代洪商』では、30年間中国映画界を牽引している陳凱歌監督『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)等でお馴染みの張豊毅(チャン・フォンイー)との共演を果たしました。

 

今年4月中国ドラマ『一代洪商』をアフレコ中の須藤さん。

 

同じく『一代洪商』アフレコの様子。

 

中国での撮影が一段落すると3か月に一度は帰国し、日本で映画やドラマに出演をしています。2012年9月に一時帰国した際は、三池崇史監督が大沢たかお、藤原竜也主演の『藁の盾』を撮影していました。ラストシーンで山崎努演じる蜷川の部下役に「須藤正裕さんみたいな俳優が欲しい」と三池監督が助監督に云ったら、たまたまその助監督が須藤さんが一時帰国していることを知っていて「須藤さん帰ってますよ!」で急遽、須藤さんが呼ばれ出演。

 

2013年7月、中国から一時帰国して目黒の自宅で本場仕込みの中華料理を振る舞う須藤さん。

 

翌年春に公開なった際に中国にいるはずの須藤さんが出演していて驚き、本人にメールしたものです。2013年には押井守監督『パトレイバー』実写版に中華料理店「上海亭」の店主役で出演。須藤さんにとっての“オヤジ”村川透監督の『さらば あぶない刑事』(2016年1月30日公開)では、新興ヤクザ幹部 伊能役で出演し前半で惨殺されましたが、得意の中国語、韓国語を披露しています。

 

2019年6月20日 村山市伊佐沢で。須藤さんと荒井。

 

今年6月19・20日と奥様を伴い山形を訪れ、さくらんぼ狩りや山形の食、地酒、そして温泉を満喫していった須藤さんです。今年、3月と併せ2度の山形訪問で、山形を気に入り、「中国ドラマのロケを誘致したい」と嬉しいことを言って下さり、「中国は飛行機で3時間半、時差1時間しかないですから近いですよ。荒井さんも撮影を見に来てくださいよ!」と言い残し、6月30日に北京に帰り『血盟千年』という8月中旬クランクインの新作準備に入りました。

 

2019年3月 山形市「文翔館」前で。

 

2019年3月 尾花沢市 銀山温泉にて。

 

須藤さんは、ある時、路奇監督に「中国人の役に私のような日本人を起用して問題はないんですか?」と尋ねると「あなたの国籍は問題ない。役者としての実力が全てだ」との答えが返って来たそうです。中国での苦労が報われた瞬間だったのではないでしょうか。今年1月には《第4回 ASIA RAINBOW TV AWARDS》で紋付・羽織袴姿でレッドカーペットを歩き、プレゼンターを務めています。その威風堂々とした姿は誇らしいものでした。

 

孫の話をする時は目を細め好々爺の顔を見せる時もありますが、まだまだ老け込むことなく中国の若手俳優に負けじと対峙する姿勢は、我々 中年の星です。

 

近年、MLBロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手(24歳)の目覚ましい活躍、そして、NBAワシントン・ウィザーズにドラフト一巡目で指名・入団したの八村塁選手(21歳)、レアル・マドリードに入団した久保建英選手(18才)への期待と、世界のひのき舞台で活躍する若者ばかりに目が向きがちですが、どっこい、頑張っている中年もいるんですよ!

須藤正裕62歳を刮目して見よ!!

 


幸博荒井

プロフィール:

荒井幸博

1957年山形県山形市生まれ。地元での銀行員、自主上映及び映画館スタッフとして勤務し、1995年4月から独立。山形を拠点にシネマ・パーソナリティとして映画の魅力の醍醐味を語り、執筆し、映画ファンの裾野拡大に奮闘中。

公式サイト「いい日。ミーハーでいこう」
http://www.araiyukihiro.com

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