だれかの散文

2020.4.7

第23回:仙元誠三さんとの想ひ出


日本映画界屈指の名カメラマン仙元誠三さんが3月1日午後8時2分に急逝されました。山形県川西町の自宅で誤嚥(ごえん)による81歳での死でした。私は、‪4月25日‬に川西町フレンドリープラザで仙元さんとトークショーをご一緒する予定でした。川西町フレンドリープラザの栗田政弘館長の話によると、亡くなる前日の2月29日には仙元さんと電話で「映画をDVDで映しながらトークしましょう!」と提案されるなど意欲的で、本当に楽しみにしていいたそうです。

 

仙元さんは、扁平上皮癌を患い、昨年‪12月25日‬に入院。年明けに退院されました。入院前、退院後も電話でお話をして「フレンドリープラザで楽しく話しましょう!」と元気に語り合ったばかりでしたので未だに信じられません。

 

ムービーオン山形での『さらばあぶない刑事』先行試写会での舞台挨拶。左から仙元誠三さん、舘ひろしさん、村川透監督(2016年1月27日)

 

仙元さんは、1938年7月23日、京都府に生まれ。学生時代は野球部で鳴らし、プロ野球選手を志して、阪神タイガースの入団テストを受けています。同志社大学を中退し、映画全盛の’58年に松竹に入社し、松竹京都撮影所で撮影助手を務めました。’67年よりフリーとなり、’69年に大島渚監督『新宿泥棒日記』で撮影監督としてデビューを果たしました。仙元さんの名を一躍世に知らしめたのは村川透監督、松田優作主演の『最も危険な遊戯』に始まる遊戯シリーズからでした。日本テレビ、石原プロ制作『大都会II』(’77年4月~’78年3月)で一緒に仕事をした村川監督から誘われてのものでした。

 

村川監督とは4年間で『最も危険な遊戯』(’78),『殺人遊戯』(’78),『処刑遊戯』(’79),『蘇える金狼』(’79),『白昼の死角』(’79),『野獣死すべし』(’80),『薔薇の標的』(’80),『獣たちの熱い眠り』(’81)の8本、他にテレビドラマ『大都会シリーズ』『探偵物語』『西部警察シリーズ』『大激闘マッドポリス’80』でも仕事を共にするという濃密な時代を過ごしています。

 

『最も危険な遊戯』で、前半クライマックスの真っ暗な廃墟ビルでの銃撃シーンの撮影。照明のセッティング等に時間がかかるので「3日かけてもできない」と誰しもが思っていたら、 村川透監督が 「一晩で撮る。このシーン、ワンカットでいくぞ」と無茶な指示を出したら、仙元さんは「そんなアホな」と思ったが村川監督から「大島監督の『新宿泥棒日記』とかやってるんだから長回しできるんだろ⁈」と半ば挑発的に言われるとプロ野球選手を目指したほどの仙元さんは 「俺は体力に自信あるから、ワンカットで行くよ」と応えたといいます。10kgほどある35ミリのカメラを肩に担いで廻しながら、松田優作が階段を駆け上がりながら銃撃するのをついて行く。ビルの最上階で人質を助けるまでを3分17秒ワンカットワンシーンで見事に撮り切ったのです。これは、村川透×松田優作×仙元誠三の3人だからこそ成し得た芸当であったともいえます。

 

また、“仙元ブルー”と言われるブルートーンの絵造りも、この『最も危険な遊戯』の冒頭の新宿副都心の早朝の光景が始まりでした。当時、京都の美術館で観たゴッホの『青の自画像』に感化されてのもので、これは後に“キタノブルー”と呼ばれ世界的に評価される北野武作品にも影響を与えたものと思われます。

 

村川監督と仙元カメラマンのコンビは4年間で一旦終止符を打ちます。これは1996年9月公開の村川監督『あぶない刑事リターンズ』撮影現場に同年5月取材に訪れた際、舘ひろしさんに直接伺ったことです。「(舘さん主演の)『薔薇の標的』(’80年4月公開)で、俺のアップを撮る時に、村川監督と仙元さんが山形弁と京都弁で喧嘩が始まって、それぞれ「やってらんない」って最終的に俺を残して二人共いなくなっちゃったんだよ」と笑いながら教えてくれたのでした。この後『獣たちの熱い眠り』(三浦友和主演81年9月公開)を1本撮っただけで、’96年の『あぶない刑事リターンズ』まで15年間袂を分かっていたのです。

 

仙元さんは、その後、相米慎二監督『セーラー服と機関銃』(’81),角川春樹監督『汚れた英雄』(’82),深作欣二監督『里見八犬伝』(’83),根岸吉太郎監督『探偵物語』(’83),澤井信一郎監督『愛情物語』『Wの悲劇』(’84)『早春物語』(’85)等のヒット作を次々と手掛けていきます。

 

『あぶない刑事リターンズ』撮影現場の横浜市日本郵船にて(1996年5月18日)

 

私が、仙元さんに初めてお会いしたのは、この『あぶない刑事リターンズ』の撮影現場でした。銀行強盗の場面を撮影した横浜市日本郵船で村川監督から紹介戴いたのですが、浅黒い精悍な顔で半袖ポロシャツ、ジーンズ姿。胸板厚く、二の腕が太い体育会系で正に“肉体派のカメラマン”という印象でした。仙元さんとは、その後2005年5月にも鳥井邦男監督『まだまだあぶない刑事』(’05年10月公開)撮影現場の赤坂氷川公園でお会いし、2016年1月に『さらば あぶない刑事』(’16年1月30日公開)インタビューと10年に一度のペースでお会いするだけでしたが、「川西町に別荘をもっていて年に数度山形で過ごしている」ことなどを伺い、2016年にお会いした時は川西町に移り住んだ後でしたので「伴淳映画祭にゲストで来てください」とお誘いしていたのでした。

 

『まだまだあぶない刑事』撮影現場の赤坂 氷川公園にて

 

『さらばあぶない刑事』公開前2016年1月27日にムービーオン山形にて

 

仙元さんは、28年前に仙台の不動産業者の紹介で川西町東沢に別荘を建て、年に数回訪れていましたが、晩年の2015年11月から本格的に移り住んだのでした。雪景色や山々などの風景を見ていくうちに「良いところだな」と感じていたけど、いざ住んでみたら雪が多いのにはびっくりし、大変だったようです。

老夫婦の2人暮らしなので町役場に除雪を依頼し、地域ボランティアにお世話になったり、近所の人から山菜やお米を戴いたり、時にはお仲間と徹マンをしたりと地域に親しまれていたようです。「自然の四季が感じられるのが率直に素晴らしい。緑がきれい!東京のアスファルトジャングルとはまるで違う。
雷の音、川の音、カエルの鳴き声、朝起きたら鳥のさえずり、本を読んでいる時に屋根から雪が落ちる音など、日常で生きている瞬間の音がよく感じられる。自然の音が響く今の生活はとても贅沢な暮らしをしているなぁと感じる。
」と地域情報誌のインタビューに応えていることから、川西町での田舎暮らしを如何に楽しんでいたのかが伺えます。

 

その延長線上で浮かび上がった企画が、‪4月25日‬に予定された川西町フレンドリープラザでの《野獣のようなカメラマンと呼ばれて~仙元誠三の世界~》という、仙元さんの私を聴き手とするトークショーでした。このトークショーを楽しみにしていた矢先での突然の死でした。

 

その死により中止となった仙元さんトークショーのポスター

 

村川監督、松田優作さん、柴田恭兵さん、舘ひろしさん、仲村トオルさん、浅野温子さん、成田三樹夫さん、大島渚監督、寺山修司監督、相米慎二監督、澤井信一郎監督、深作欣二監督、根岸吉太郎監督、黒土三男監督、石原裕次郎さん、渡哲也さん、三浦友和さん、草刈正雄さん、真田広之さん、薬師丸ひろ子さん、原田知世さん、長渕剛さん、堤真一さん、岡田准一さん、成島出監督…、ドキュメンタリー映画『キャロル』(’74)も撮っているので、矢沢永吉さんはじめキャロルのことも、そしてプロ野球の話も沢山お話を伺いたかった。残念無念です。淋しいです。残された奥様・温香さんの悲しみは如何ばかりか想像もつきません。お元気な姿を我々に強く印象付けたままパッといなくなるのも仙元さんらしいと思うしかありません。あちらで先に逝かれた優作さんや大島監督、中条静夫さん、成田さんたちと酒でも呑みながら映画談義に花を咲かけてください。


幸博荒井

プロフィール:

荒井幸博

1957年山形県山形市生まれ。地元での銀行員、自主上映及び映画館スタッフとして勤務し、1995年4月から独立。山形を拠点にシネマ・パーソナリティとして映画の魅力の醍醐味を語り、執筆し、映画ファンの裾野拡大に奮闘中。

公式サイト「いい日。ミーハーでいこう」
http://www.araiyukihiro.com

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