だれかの散文

2020.5.30

第25回:井上ともやすさんとの想ひ出


井上ともやすというフォークシンガーを御存知でしょうか。

吉田拓郎を唄わせたら’70年代の拓郎が甦ったかのような錯覚を覚える程の歌唱及び演奏力で聴かせ、そして巧みなトークで楽しませてくれる… とはいっても単に拓郎のコピー歌手ではありません。反戦・平和・自然保護へのメッセージソングを作詞・作曲して歌うシンガーソングライターなのです。

 

フォークソングがプロテスト・アングラと呼ばれ高石、岡林、フォークル、高田らがメッセージを放った1960年代後半。そして拓郎、陽水、泉谷、かぐや姫らが登場する’70年代。1957年生まれの私は、拓郎の「結婚しようよ」でフォークに惹かれ、ギターを手にしたミーハー世代でした。そんな私より、井上さんは一世代下の1967年2月16日 ‪千葉県船橋市生まれの53‬歳。「結婚しようよ」が発売された頃は4歳になったばかりだからリアルタイムで夢中になったわけではありません。

 

2014年、山形市の八陽館でのライブ

 

その辺りは、「歌ってよフォークダディ」というオリジナル曲のなかで表現。「“ベトナム反戦・安保粉砕”で若者たちがアメリカのフォークソングをコピーするだけでなく、自らの言葉で自分がどう思われるかなんてお構いなしに明日を信じて唄って主張していたシンガーソングライターたち。」その頃は天地真理やフィンガー5が憧れだった井上少年13歳の1979年大晦日に、深夜ラジオで吉田拓郎の「落陽」を聴き衝撃を受けたのです。

「自由気ままな日記のように 自分勝手なもので、これこそはと信じられるものがこの世にあるだろうか。と拓郎の虜になった」と謳い、拓郎はじめ岡林信康・高石友也・高田渡・加川良らをリスペクトの想いを込めて「フォークダディ」と総称。そしてフォークダディたちに「あの頃のようにまた歌ってください!」とのメッセージを贈った曲なのです。

 

井上さんのファッションはあの頃のフォークダディたちのように長髪、ベルボトムジーンズにぽっくり下駄のような高く分厚い靴底のブーツを履き、ギターを掻き鳴らし歌います。その光景と彼が奏でる音楽で発するメッセージはまるで1960年代後半から70年代前半にタイムスリップしたよう。遅れてきたフォークシンガーという表現がピッタリ!

 

いま、これだけ政権が国民を無視して好き放題しても、若者は憤らず我関せずの風潮を見ていると、井上ともやすというフォークシンガーの存在は漆黒の中の一筋の光明に想えます。井上さんは、沖縄島唄にも傾倒して三線の弾き語りもやることから、毎年のように沖縄に足を運んでいますが、住民を無視した沖縄の米軍基地問題により自然破壊されていることにも心を痛め、琉球旋律でのオリジナルソングも唄っています。

 

井上ともやすさん県内初コンサート米沢のチラシ

 

その井上さんが、有難いことに毎年、山形市へフォークライブに来てくれるのです。

本欄 第16回で俳優・赤塚真人さんとの想い出を書きましたが、井上さんは赤塚さん主宰の劇団「裏長屋マンションズ」の団員・寺本岳矢さん(2012年退団)と親しく、劇団のカーテンコールの歌を作っていたのです。その寺本さんから紹介されて、2008年5月18日(日)に米沢市金池の置賜文化センターホールで初めてライブをやってもらったのです。

 

米沢にて井上ともやすさん県内初コンサート(2008年5月18日)

 

前述したように、吉田拓郎の若き日を彷彿とさせる見事なパフォーマンスに愉快なトーク、三線を奏でての島唄と琉球旋律の「あん美(ちゅ)らさ」など。そして、ギターとハーモニカを駆使して自然保護への想いを込めた「水の詩」、反戦・平和へのメッセージを謳った「どこへ行くアメリカ」などを時には語り掛けるように、また叫びガナるように熱唱し観客を魅了したのでした。

 

その夜は、小野川温泉「寿宝園」で、米沢の地酒「裏雅山流」と井上さん持参の大分麦焼酎その名も「井上」で深夜まで呑み食べ語り明かしたのでした。井上さんは初対面とは思えない親しみ易さと見識の広さで忽ち私たちを虜にしたのでした。

 

2016年5月28日、山形市の八陽館ライブ

 

また井上さんはこの2008年には、吉田拓郎の曲が全編に流れる佐々部清監督『結婚しようよ』(三宅裕司主演 ‪2月2日‬公開)公開前のキャンペーンでは、映画会社からの依頼で東京新橋駅前SL広場にて拓郎ナンバーを唄っています。ということからも、如何に井上さんが唄う拓郎ソングの精度が高いのかをご理解戴けると思います。さらに当時、佐々部監督がブログでは、井上さんの吉田拓郎ソング歌唱の素晴らしさのみならずオリジナルの素晴らしさを書いてたものでした。とくにオリジナルソングで彼が初めて行った外国、北朝鮮との友情を歌った「アンニョンハセヨ カムサハムニダ」は「チルソクの夏」と同じだ、と書かれていました。

『陽はまた昇る』(2002)『チルソクの夏』(’03)『半落ち』(’04)『カーテンコール』(’05)『夕凪の街、桜の国』(’07)『八重子のハミング』(’16)等を手掛けた骨太な監督でした。今年12月には新作『大棚引の恋』が公開予定で、その次の作品を故郷・‪山口県下関で準備中の今年3‬月31日に心疾患のため62歳で急逝されたのは残念でした。

 

2020年3月31日62歳で急逝した佐々部清監督と。2017年3月松竹支社室にて。

 

井上さんの拓郎好きは筋金入りで、50歳を過ぎた今も「吉田拓郎のオールナイトニッポン」にメールを出して今年4月10日の放送で僕のメールを読んでくれた!次回のコンサートでやってほしい曲のリクエスト募集コーナーで「あの娘といい気分」をリクエストしたら、楽しそうに読んでくれた!しかも弾き語りでAメロ全部歌ってくれた!」と少年のように無邪気に喜んでいるのです(笑)。

 

左上)喫茶店エスプレッソにて。右上)蔵王上野で荒井と。左下)上山市中華料理店「天竜」で。右下)山形市 食味亭「山力」で

 

米沢でのコンサートから7年後の2014年春先に井上さんから電話がありました。「5月末に友人がいる仙台・秋田でライブをやるんですよ。その中日の‪5月30日‬に山形市でライブをやるんで周りの方に呼びかけて来てください!」というものでした。山形市本町ダイニングバー&ライブ「八陽館」を会場に、井上さん自ら予約して設定してのもので、その後2017年まで「八陽館」での初夏のライブは続き、2018・’19年は七日町のカフェ&バー「風の吹く丘」に会場を移して8月に山形ライブは続いていますが、今年は残念ながら新型コロナウィルス感染拡大により予定を立てられない状態です。

 

風の吹く丘でのライブ前(2018年8月)

 

ライブごとに屋台村で山形の仲間と打ち上げ

 

そして次のライブがある仙台へ

 

今年4月3日には「姿なき君へ~新型コロナウィルスに捧ぐ」を作詞作曲し歌いYouTubeで発表しています。

 

 

井上さんは、1992年から毎年上野恩賜公園の水上音楽堂にて『アコースティックボイス』というライブを主催していますが今年もvol.33を秋に開催予定です。『吉田拓郎トリビュートライブ』そしてギターと三線を使ったオリジナル曲のライブ活動を精力的に行っています。様々なミュージシャンとの共演も行い、拓郎さん所縁の「猫」、四角佳子さん、六文銭、田中清司さん(ドラム)、柳田ヒロさん(キーボード)とも共演をしています。

 

体力作りにも余念がなく、ツアー先にもランニングシューズを持参し、年に一度那覇マラソンに出場して連続13回完走。趣味で家庭菜園で無農薬の野菜作りをするなど、将来自給自足生活への憧れも抱いてるようです。

今は只、この人懐っこくも気骨あるフォークシンガーが今年も山形でライブがやれますようにと祈るばかりです。

 

〈2020年6月18日追記〉

2020年9月4日(金)山形市七日町うちカフェ&バー「風の吹く丘」でライブをやることが決定しました。との吉報が届きました。

 


幸博荒井

プロフィール:

荒井幸博

1957年山形県山形市生まれ。地元での銀行員、自主上映及び映画館スタッフとして勤務し、1995年4月から独立。山形を拠点にシネマ・パーソナリティとして映画の魅力の醍醐味を語り、執筆し、映画ファンの裾野拡大に奮闘中。

公式サイト「いい日。ミーハーでいこう」
http://www.araiyukihiro.com

バックナンバー
過去の記事

上へ