特集の傍流
歩いて気づく、宮町周辺のもうひとつの表情。「山形宮町の七不思議」
黒木あるじさん、『鳥海月山両所宮』宮司:中野俊助さん
山形県山形市
山形市の北、宮町地区は現在まで七不思議が受け継がれているエリアで、史跡も数多く残っている。「どうせならこの目で見てみよう」と思い立ち、今回は宮町不思議散歩と洒落こんだ。
スタートは鳥海月山両所宮。広々とした境内にある池には〈片目の鯉〉の言い伝えが残っている。謂れによれば武将の鎌倉権五郎景正が矢で討たれた目を洗い、そのため池の鯉も片目になったのだという。同様の伝承は各地に残るが、とりわけ歴史ある寺社に多いと聞く。柳田國男『一目小僧その他』には「神に仕えるものは一般の民と区別するため片目をつぶした。片目の魚はその名残だ」と記されていた。両所宮の鯉も神域の証明書なのだろう。
歴史と神域を証明する、隻眼の魚。この日は発見できなかったが、いつか目撃したいものだ。

鳥海月山両所宮の宮司、中野俊助さんは「神社は街のオアシス的広場であり、心の拠りどころ」と話す。
不思議を遺した暴れ天狗。実は山形の鋳物に関係が?
境内を抜けた先には〈しずみ坂〉、そこからさらに歩いていくと天狗の破壊した〈扉なし門〉、その際に足をかけた〈天狗橋石〉などが待っている。七不思議のうち4つは天狗がらみというのも面白い。宮町の隣は銅町。江戸期、馬見ヶ崎川の上質な砂が鋳物に適していたため職人が集められ、その名がついたとされる。天狗は修験道・山岳信仰の象徴であり、かつて製鉄は山中で行われていた。「もしや、そのあたりに謎を解くヒントが…」などと想像を巡らせつつ、旅篭町方面へ足を向ける。
最後に到着したのは、どんなに日照りでも枯れないという〈鴻の池〉。訪ねた日も猛暑だったが、石造りの窪にはきちんと水が溜まっていた。保存会の山岸さんによれば、かつては子どもが入れるほどの大きさだったという。現在も地区では10月1日にお祭りをおこなっているとのこと。地域に守られている七不思議、恐ろしさより暖かさを感じてしまう。
ひとめぐりして「普段なにげなく通り過ぎていた宮町周辺も、じかに歩いてみると別な表情が見えるものだな」と気づいた。なるほど、もしかしたら七不思議とは「街を知る」ための装置なのかもしれないと、思った。
(文:黒木あるじ)
山形宮町の七不思議
山形市宮町を中心に北山形駅周辺の北町、六日町に分布。観光の際は住民の迷惑にならないようご配慮ください。
❶善光寺の扉無し門
慈光寺の山門には扉がない。最初は扉と作ったが一夜にして取り払われることが続いた。「天狗の仕業だろう」とされ扉をつけないままになった。

山形市宮町一丁目12-21にある曹洞宗寺院。北山形駅東口から徒歩4分。大きく立派な山門であり、この扉を取り払える怪力の持ち主となるとやはり…。
❷五本杉
夏は日陰を作り冬は雪が積もらず、そのため杉の根元にはいつも不思議と蛇がとぐろを巻いていたという。

慈光寺の扉を飛ばした天狗が足場にしていたという言い伝えもあるので、山形市宮町二丁目周辺か。特定されていない。
❸天狗橋
馬見ヶ崎川はかつて暴れ川として知られ、洪水が起こると宮町堰の水が溢れ、橋が何度も流されていた。ある時大きな平たい石が堰の上に架けられており、以来、大雨が降ってもその石橋は動じなかった。

山形市宮町二丁目14「なかよし公園」地内。大人1、2人の力では持てず、人々は天狗の仕業だと納得したという。
❹天狗の七ツ石
このあたりの田んぼの中に大きな石が7つもあった。百姓たちが総出で片付けたが、翌朝になると石は元の場所に戻ってしまう。これは「天狗が慈光寺の大木の上から投げてよこすため」と考えられたとか。

山形市宮町二丁目5周辺。鳥海月山両所宮へまっすぐ伸びる道路沿いに、小さな三角形の公園として残されている。まるで住宅街に潜むオアシス的空間。
❺鴻の池
ここの池の水は日照りが続いても枯れない。明治40年頃には子どもが溺れかけるくらい大きかったとも。その名は宝沢の炭焼藤太の子・吉次が、コウノトリめがけて砂金を投げ入れたことに由来するという。

猛暑でも枯れることのない「鴻の池」。小さいながらも水はしっかり溜まっている。

山形市六日町4地内。山形デザイン専門学校の西側、道路の角にある。現在は「鴻の池保存会」の皆さんが守り継いでいる。
❻片目の鯉
後三年の役の戦いで、鎌倉権五郎景正という源義家の忠臣が右目を負傷した。この池で癒したところ、池の鯉はみな片目になったという。地下水が湧き出て池へ流れ込み、その冷水のせいだという説も。

『鳥海月山両所宮』は山形市宮町三丁目7-5。片目の鯉がいるという弁天池のほとりにて。

池には鯉などの魚たちが70〜80匹ほどいるそう。水神社、菅原神社、厳島神社が祀られている。
❼雀坂・しずみ坂
かつてこのあたりは馬見ヶ崎川の堤に向かって高く、町場に向かって低くなっていた。砂や砂利を敷いても沈んでしまう大変急な坂道だったことから「しずみ坂」と呼ばれたそう。

山形市宮町三丁目の県道172号十字路付近。雀も転ぶほどの急な坂だということから「雀坂」と呼ばれた説もある。

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