特集の傍流
山形市文化振興課 山形フィルム・コミッション担当:山川渉さん
山形県山形市
「るろうに剣心」や「3月のライオン」など山形で撮影された数々の映像作品。実は、それらのロケ撮影が実現している背景には、地元の人々による尽力が大きく関わっている。映画のほかテレビドラマ、CMといった映像作品のロケーションが円滑に行われるためのサポートを行う、フィルムコミッションという公的機関。山形市では観光振興、地域の活性化を目指して、2005年に山形フィルム・コミッションが設立された。当時から舵を取る山川渉さんは、設立にあたり半年前から準備を重ねたという。「それまで映画は人並みに観るくらいでした。映像制作の視点で、どのようなロケ地があるのかと映画を食い入るように観て、研究して。いざ看板を掲げると、予想外に製作者からの問い合わせがすぐにありました」

誘致活動により、年間平均60もの制作チームが訪れる。天童市や上山市など山形市近隣の5市2町も参加。(写真:山形フィルム・コミッション提供)

映画「るろうに剣心 京都大火編」では内務省の設定で文翔館で撮影が行われた。この時のエキストラは約100名にものぼる。中庭のほか、知事室では緋村剣心(佐藤健)が大久保利通(宮沢和史)と話を交わす場面も。(写真:山形フィルム・コミッション提供)
映画の街で歩みを進める山形市
フィルムコミッションの活動は、山形市を映画都市として位置付けていくための大切な役割を担っている。なかでも、文学や食文化といった7つの分野から特色のある都市を世界規模で認定しているユネスコにおいて、山形市は2017年に日本で初めて映画分野でユネスコ創造都市ネットワークの加盟認定を受けた。山形国際ドキュメンタリー映画祭のほか映像教育のワークショップやトークイベントなど、映画を軸としてさまざまな文化活動を展開。山形市が“映画の街”と呼ばれる所以がここにあるのだ。

映画「超高速!参勤交代」に参加したエキストラの皆さん。クライマックスの舞台となった霞城公園・東大手門の櫓門で。(写真:山形フィルム・コミッション提供)

女子高演劇部を舞台にした映画「櫻の園」は、桜が咲き誇る霞城公園でも撮影された。(写真:山形フィルム・コミッション提供)
ロケーション撮影を支える、縁の下の力持ち
山形フィルム・コミッションは、ロケ地の情報提供やロケハンへの同行など、誘致・支援活動が主な仕事。コロナ禍においてロケの本数は減っているが、それでも山川さんはロケ地のリサーチを欠かさない。観光地だけでなく、日常的な街の風景、道路や橋といった細やかなところまで四季の変化も意識しつつチェックするという。問い合わせが来たときのレスポンスをいかに速く行えるかが、実勢に来てもらえるかを左右する鍵となってくるからだ。

1946年のサンフランシスコという設定で撮影された文翔館には、500名ものエキストラが集まった。ドラマ「99年の愛〜JAPANESE AMERICANS」にて。(写真:山形フィルム・コミッション提供)
遥か海を超えて届いた、山形が持つ土地のポテンシャル
フィルムコミッションの活動やオープンセットの存在によって、ロケ地としてのブランド力を高めている山形では、海外作品も撮影されている。タイの人気ドラマ「ダンドゥアンハルタイ」は山形県タイ友好協会設立の足がかりとして山形フィルム・コミッションが誘致。撮影日を紅葉の見頃に合わせたところ、その景観の美しさから予定外のシーンも撮影されたそう。
全国各地のフィルムコミッションが海外作品のロケ誘致を加速させたのは、佐賀県の成功事例によるところが大きい。誘致した映画やドラマがタイ本土でヒットし、2015年にはタイ人宿泊観光客数は4680人を記録、前年比300%となる劇的な伸びを見せた。観光アプリサービスを始めるといった受け入れ環境の整備も功を奏していたという。海外の誘致活動も無地課しい現在だが、ロケツーリズムはそのブームを一過性と捉えるのではなく、いかに継続して観光客を呼び込めるかがポイントでもある。

タイドラマ「ダンドゥアンハルタイ」では、優雅な物語の世界観に合わせて文翔館で撮影。(写真:山形フィルム・コミッション提供)

鴫の谷内沼や蔵王温泉大露天風呂、幻想の森など山形の大自然を生かした撮影に。(写真:山形フィルム・コミッション提供)

フィルムコミッションの担当者が撮影に立会う際には、トラブルの有無や撮影許可条件が守られているかなどを確認。(写真:山形フィルム・コミッション提供)
山形のあらゆる土地を網羅。選ばれる理由がここに。
「実際にすべて足を運んで、納得した場所を紹介しています」とロケ候補地をくまなく網羅する山川さん。豊かな自然などの土地が持つポテンシャルに加え、山川さんのような熱意こそ、山形が選ばれ続ける理由ではないだろうか。山川さんは「山形の魅力を国内外へ発信することはもちろん、地元の人にも山形を誇りに思ってもらうきっかけになれば」と話す。そんな強い想いを携えて、スクリーン裏の尽力者は今日も山形を巡り歩く。

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