特集の傍流

2016.8.5

二度と“幻”と呼ばせないために。新庄から、再び始まる絹織物。

2016年9月号(143号)紡いで織りなす想い。
新庄亀綾織伝承協会 会長 阿部友香さん
新庄亀綾織伝承協会「体験工房 機織り長屋」(新庄市)

“幻”と呼ばれた亀綾織

新庄駅前を真っ直ぐ、趣があり独特な雰囲気のある建物が並ぶ中、「機織り長屋」と看板が掲げられた工房の戸を開けた。そこには大きな機織り機が4台が並び、その雰囲気とは予想外に、若い織師が出迎えてくれた。ここは、新庄亀綾織伝承協会の活動の場であり工房だ。

 

昔ながらの機織機が4台。ここで機織から製品の作成、販売、卓上機の体験までを行っている。

 

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新庄亀綾織とは、新庄藩9代藩主・戸沢正胤が特産品として、1830年に群馬県より技術者を招き、奨励したのが始まりの新庄を代表とする絹織物だ。細やかな文様の模様としっとりとした肌触りが特徴。はじめに生糸で白生地を編み上げた後に精練をして染色を施す後染も、また特徴の一つである。染め上がった織物は、上品でありながらも、色や商品の表現の幅は広い。最近ではつまみ細工やヘアゴムなどの商品も作っており、女性であれば心ときめくものが必ずあるはずだ。

 

亀綾織は「斜文織」に含まれ、字のごとく糸が斜めに入っているのが特徴。きめ細やかな織り目が大変美しい。

 

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しかしながら、「山形県の織物」と言って、この新庄亀綾織を挙げる人はなかなかいないだろう。それはこの織物が途絶え、語り継ぐ者がいない時期があったことによる。亀綾織は、そのきめ細やかな斜文織が特徴であるがゆえに、手織りで15mを織るのに3か月かかるほど、高度な技術を要する。そのため機械化が困難で、大量生産ができないのが現状だ。奨励された当時は新庄で盛んに織られ、模様の種類は50種類にも登った。しかし戦災などにより衰退、幾度か再興を試みたものの、復活までには至らず、「幻の織物」そして人々の記憶からは薄れていってしまった。

 

しかし、昭和56年に、国の「最上モデル定住圏地域特産品の開発調査」の対象特産品に亀綾織が選定されたことにより、昭和60年に新庄亀綾織伝承協会が発足。翌年に亀綾織の基本型が完成し、ようやく努力と願いが実を結び復活を果たした。現在では約20種類もの模様の復元に成功している。

 

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若き織師が紡ぐ想い。

その中で、若い織師が尽力していた。今年で亀綾織歴6年になる。新庄亀綾織伝承協会会長の阿部友香さんだ。新庄出身である彼女は、高校は県外で、仕事もアパレルの販売員と、織物とは無縁だったという。その仕事を辞め、山形にUターンした時、緊急雇用の求人で初めて亀綾織という名前を目にした。「初めは読み方も存在も知らなかったです。なにか怪しい仕事かな、とも思っちゃいました。」と笑いながら話した。調べていくと、新庄にもこんな織物があったのか、とその存在を知り、応募したところ見事合格、現在では会長をも務めている。現役の織師は4人で、常駐で織ることができるのは阿部さんを含め二人のみ。人員や時間などの面でも、未だ亀綾織にとって大変厳しい状況であるようだ。それでも、織物の体験や地元イベントへの参加など、伝統の広報活動を積極的に行っている。

 

 

今後の目標は?と尋ねると「とにかく、これ以上途絶えさせないことです。もし私が亀綾織を織れない状況になったら、また元どおりになってしまうので。市全体をあげてアピールするくらい、多くの人に亀綾織の良さを知ってもらうことがこれからの夢です。」と語った。現在は新庄市長が亀綾織のネクタイや名刺入れを使用したりと、少しずつ夢の実現に向けて歩みを進めている。洗練された模様の美しい織物には、その中心を担う会長であり職人である若き織師の未来への願いが、ともに織り込まれていた。

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