特集の傍流

2016.10.7

「自分が本当にやりたいことを」、魅了された剪定鋏職人の道へ。

2016年11月号(145号)やまがたを選んだわけ。
飛塚製鋏所:小木曽千鶴さん
山形市桧町

東京から山形にIターンする際、友人にもらったという手ぬぐいを頭に巻き、日々修行に励んでいる飛塚製鋏所の小木曽千鶴さん。東京生まれ東京育ちの小木曽さんが、山形にある町工場で剪定鋏職人を目指す理由を伺った。

 

「甥っ子に『ちいちゃんの夢はなに?』って聞かれたんです。その言葉に、ガーンと来たんです。更に、東京の広告代理店で派遣の仕事をしていた時でした。人間関係も居心地も良くて、このまま過ごしていくのかなと考えていたら社内で『あなたが本当にやりたいことはなんですか』と聞かれて、またガーンとなったんです。それから、これからの人生は、時間をかけて積み重ねた分だけ自分の力になる仕事がしたいと思うようになりました。」
その頃、同僚が退社をして日本語教師として新たな人生を歩み始めたということもあり、小木曽さんの中では「自分の人生をもっと真剣に考えなければ」とより一層考えるように。そんな時、小木曽さんを突き動かしたのは、ある一つのテレビ番組だった。それは「飛庄」という、イギリスでも愛用されている日本の剪定鋏だった。

 

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「職人になりたい」と思ったきっかけとなった世界からも賞賛される「飛庄」の剪定鋏。

「職人になりたい」と思ったきっかけとなった世界からも賞賛される「飛庄」の剪定鋏。

 

「もともと、職人に興味は持っていました。女性の職人にも色々な業種がありますが、私の場合は鍛冶でした。熱くなった鋼を打ちつけて形にする、それが自分の命を形にしているように感じて、胸が熱くなるんです。その中でも、なぜ鋏だったかというと、剪定鋏は不要な枝を切って養分を効率良く巡らせて、より強い木にするためにあります。それってつまり、命をつなぐためのものだと思ったんです。今までの仕事も、もちろん人の役にたつ仕事でしたし、やりがいも感じていました。でも自分が本当にやりたいことはこれだ!と思ったんです。」

 

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そこから小木曽さんの歩みは止まらなかった。その日のうちに剪定鋏が欲しいと東京を駆け巡り、刃物専門店の木屋で鋏を購入。その店の人に話を伺うと「剪定鋏の一番は、山形だよ。」と言われた。そこから山形を意識するようになったという。さらに、その一番を作る山形の工場とは、以前テレビ番組で魅せられた世界でも多く愛用される剪定鋏を作る『飛塚製鋏所』だった。

 

「堺の打刃物の組合に問い合わせもしましたが、女性や年齢といった面から叶いませんでした。代わりに関東で弟子入りできるようにと、相田義人さん(世界でもトップクラスのカスタムナイフメーカー)を紹介されました。そこで『本物はそこにしかないのに、なぜ皆そこに学びにいかないんだろう』という彼の言葉に出会い、衝撃を受けました。日本の剪定鋏は世界でも一番と言われていて、その日本の中でも一番は山形。中でも、最初に剪定鋏に感動したきっかけの『飛塚製鋏所』に行こうと決めたんです」。

 

そして、東京で開催された山形県の移住イベントに参加。そこで出会った山形県庁の人を介して飛塚製鋏所へ照会をしてもらうと、「ぜひ、鍛冶組合の専務(飛塚製鋏所)に直接連絡を取ってみてください。」と返事をもらう。そして2015年の6月、山形県へと向かった。その時、すでに会社に辞意を伝ていた小木曽さんの決心は強かった。

 

「アポイントはあえて取りませんでした。声を聞いて、女性だと知ったら電話の時点で断られてしまうかもと思ったので。会社に突然お邪魔して、『職人になりたいです』って言ったんです。社長夫婦と専務がその場で話を聞いてくださって。それだけでも、なんて温かい方達なんだろうと感動しました。そのあと、専務が作業場を見てもらえば?と言ってくださったんです。実際の現場を見たら私が諦めるだろうと思ったからかもしれません。でも私は前よりもずっと、ここで働きたいという思いが強くなりました。『もし断られたらどうするの?』と社長に聞かれて『近所に住んで毎日でも来ます』って答えてました(笑)」。

 

そうして8月、初めは一週間から、小木曽さんの職人への道がスタートした。
「本当にあの1週間楽しかったです」と笑顔で語る小木曽さん。その後、正式に飛塚製鋏所の一員になった。小木曽さんの背中を押した県庁の人に後から話を聞くと、実は弟子入り希望の件を鍛冶組合に照会した時点で本当は断られていたのだという。小木曽さん自身の行動力とその思いに打たれた人たちの協力が実を結んだのだろう。「学ぶことの連続で毎日が楽しいです」と笑顔で話す。

 

「もう何言ってもあきらめなかったね」と取材のやり取りを聞いていた社長の奥様。初めから誰よりも前向きに話を聞いてくれ、今では社長とともに小木曽さんの山形での生活の支えとなっている。

 

飛塚製鋏所の代表、飛塚精仁さん。ちょうど1年前、gatta!2015年11月号でも取材に伺っていた。小木曽さんが入社をしたのはその一ヶ月後のこと。

飛塚製鋏所の代表、飛塚靖仁さん。ちょうど1年前、gatta!2015年11月号でも取材に伺っていた。小木曽さんが入社をしたのはその一ヶ月後のこと。

 

「山形にはいい人しかいないんじゃないかと思うくらい、心温まる出会いばかりです。山形に来てよかったと思っています。」と話す小木曽さん。

「山形にはいい人しかいないんじゃないかと思うくらい、心温まる出会いばかりです。山形に来てよかったと思っています。」と話す小木曽さん。

 

「色んな人との繋がりの連続があって、山形に来たことは運命じゃないかなと思います。初めて生まれ育った地元を離れることに、もちろん家族の反対はありました。飛塚製鋏所に勤めてから初めて実家に帰省した時は『もう満足しただろう?』なんて言われました。それでも最近は父に『頑張れよ』と言ってもらえて。少しずつ認めてもえていることが嬉しいです。突然、飛び込んだ私を受け入れてくださった社長を始めとする飛塚製鋏所の皆さんには本当に感謝しています。今の私があるのもチャンスをくれた社長のお陰です。私の職人への道は始まったばかり。一生をかけて、次の世代にも残るような〝切って生かす鋏〟が作れるよう、日々励んでいきたいです」。

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