特集の傍流

2018.3.5

山形の酒の造り手から、山形の日本酒の今昔をたぐります。

2018年4月号(162号)やまがたの日本酒と蔵人。



 やわらかく、透明感があるといわれる山形県の日本酒。ふくよかで、はばがあり、調和のとれた旨みがあると評されているその味と品質は、国内の鑑評会において、他の酒どころと上位争いを繰り広げるだけでなく、世界でも高い評価を得ており、すべてがその蔵元ならではの美酒にあふれている。

 そんな山形県産日本酒(清酒)が、2016(平成28)年、国が保護する地理的表示(GI)に指定された。県内で造られている日本酒、全ての品質が高いことが認められたのだ。
 地理的表示GIとは、産品の名称(地理的表示)を知的財産として登録し、保護する制度。伝統的な生産方法や、気候風土などの特性が、品質にも結びついていることなどの基準がある。
 このGI指定によって「国のお墨付き」を受けたことで、消費者は商品を適切に選択できるようになり、製造者は地域ブランドの価値が守れる上、山形の酒の特性を消費者に伝えやすくなった。都道府県単位の清酒の指定は初であり、他の酒どころを抑えて先陣を切る形となる。

 

地理的要因はもちろん、人的要因が指定の決め手。

 本県産の日本酒の旨さを支えているのは、良質の米と、連峰・山系を源にした清冽な雪解けの地下水、雑菌の繁殖を抑え、低温長期発酵を促す冬の厳寒、そして、県を挙げての人材育成と醸造技術向上の取り組みだ。古い事例では、大正14年から昭和8年に、山形工業学校(現・山形県立山形工業高等学校)に、醸造科が設けられていたことがあり、後に県内の酒蔵の重鎮となる卒業生を数多く送り出した。
 こうした取り組みが熱心にされてきたのには、元々本県に、庄内の十里塚杜氏(昭和後期に消滅)と大山杜氏以外の杜氏集団がいなかったことも関係している。
 本県は、農漁村から出稼ぎでやってきた、岩手県の南部杜氏や、秋田県の山内杜氏、福島県の会津杜氏、新潟県の越後杜氏を迎え、酒造りを学んでいた。本県の酒蔵の多くは南部流の流れを汲み、次に山内流、越後流の順で多かったという。
 しかし、杜氏制度には、技術が杜氏に付いて蔵に残らないという点がある。また、現在では、経験豊かな杜氏のもとで従業員を杜氏に育てる酒蔵が増えてきたが、その当時は、杜氏の高齢化や後継者不足で、出稼ぎの杜氏が減少してきていた時代でもあった。そこで、地元山形県の酒蔵における技術者のレベル向上を目指して、1987(昭和62)年に組織されたのが、「山形県研醸会」だ。

 

醸造技術の底上げとともに、形作られてきた山形酒の特性。

 技術者の会を組織し、県内の酒蔵が協力して技術を高め合ってきたため、今では本県の製造責任者は皆、地元出身の社員であり、蔵人もほとんどが地元の人間だ。これは全国的にみても珍しい。こうして人も技術も蔵に残るようになり、酒質も飛躍的に向上。山形は、国内でも新しい銘醸地として期待される県になっていった。
 現在、県内にある酒蔵は53軒。県内全域にこれだけの数があるのは全国的にも稀で、県内の酒蔵の多くが、江戸・明治時代に創業した老舗だ。歴史ある酒蔵が、多くの個性豊かな酒を造り上げている。
 今日も山形出身の杜氏と蔵人の手によって、その土地の気候や風土、文化、そして蔵の味を生かした日本酒が造られている。今回は、そんな「杜氏や蔵人(造り手)」を糸口に、山形の日本酒についてたぐっていこう。
 特集のレポートは、順次更新していきます。お楽しみに。

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