特集の傍流

2016.2.7

夫の技と創意を繋ぎ一束のわらにいのちを吹き込む、躍動感あふれる干支のわら細工。

2016年2月号(136号)やまがた猿話
わら細工職人:石川たかさん
山形県西村山郡河北町

年の暮れも押しせまるこの時期としてはめずらしく雪もなく、頬をなでる冷たく乾いた空気に襟を立てながら一路めざしたのは、谷地の田畑がひらけた場所にひっそりと佇む『わら細工職人 石川たか』さんの工房。なかに入ると土間にはところ狭しとわら細工や藁材が置かれていて、その奥ではたかさんがラジオを聴きながらこつこつと仕事をされていた。年季の入ったものさしや工具を巧みに使いこなしながら、丁寧かつ正確に組み上げられていくわら細工の動物たち。縁起物としての注文が多いだけに、12月は一年のうちでもっとも多忙だ。そんな最盛期にもかかわらず、「お茶いっぷくどうぞ」と笑顔で迎えてくださったたかさん。お言葉に甘えて茶を啜りほっと安堵のため息をつきながら、わらで作られた干支人形を眺めていると、同じくわら細工職人だった夫・石川清治さんが手描き遺したという十二支わら細工の“設計図”が目に留まった。おそらく本人らにしかわからないような図や記号や文字なのだが、清治さんの創意工夫が詰まったその図面は、どこか強烈に惹きつけられる引力があった。

 

夫・清治さんが描き遺した干支(申)わら細工の設計図。

 

当初はわら細工職人だった夫・清治さんと二人三脚で作っていた。干支人形全体の組み方と仕上げを清治さんが行い、たかさんはおもに部品作りを手伝っていたという。「おれよりも上手いんじゃないか?なんて言われて、うま~くおだてられながら作ってたんだぁ」とはにかんで当時を振り返る。1997年に死別したとき一時は辞めようと考えていたそうだが、清治さんが遺してくれた手描きの図面と自分の記憶を頼りに「やってみたら、なんとなくできてしまったんだぁ」とさらり語るたかさん。だが、清治さんの仕事を傍で支え続け、その技と心得が体に染み込んでいたからこそ成せたものなのだろう。

 

たかさんの手仕事を支える年季の入った道具。

 

棚に飾られた干支のわら細工、どれも肉付きが良く躍動感がある。なかには「申」のようにユーモアある表情やポーズをとっているものもあって、いつまで眺めていても飽きることがない。「作品にいのちを吹き込む」という言様があったと思うが、これが手間をかけて手作りされたモノだけが持つ、独特の“生命感”なのだろう。部品作りから組み立てまでひとつひとつが手作りであり、若者でも根をあげるほどの力作業と気が遠くなるほどの手間をかける作業工程は並大抵ではない。さらに、朝は6時半から夜は11時くらいまで工房まで黙々と作業台に向かう日々、その矍鑠(かくしゃく)とした様には恐れ入る。ただ、仕事に追われたりやらされているという印象はまったく見受けられないのだ。若い頃は病弱で長く入院していたことなども伺ったが、「いまが元気、人形づくりは退屈すなくていいし、楽しみに待っててくれる人たちに励まされて頑張ってこれた。若い頃働けなかった分、いま働かなきゃぁね」と言うたかさん。自身の生業に「働き甲斐」をもって仕事をされているのが伝わってきた。

 

多忙な最盛期ながら、笑顔で迎えてくださったたかさん。

 

「おばあちゃん、こんにちは」。工房にひょっこりと、近所に住む小学生の子供たちが遊びに来た。親に買ってもらったというお菓子を見せ、ちょこんとたかさんの傍に座ってお菓子を頬張りながら、「学校はたのしいかい?」「うん、楽しい。○○なことがあったよ」などと“いつもの話”をしている。私たちが幼い頃は、こんな風にもっと近所の人たちとの距離が近かったよなぁと思い返したし、こういう光景をこの子たちが大人になる次代でも見られたらどんなに素晴らしいだろうと感じた。そして遠い将来、いつの日か会ってみたい、こつこつと干支のわら細工を紡ぐ“誰か”の姿を。

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