特集の傍流

2018.5.9

かつての信仰を、思い浮かべながら歩いてみる。

2018年6月号(164号)山形の姥神に会いに行く。
鹿間廣治さん
山形県山形市

奪衣婆像に魅せられ、それを研究し、県内の像を訪ね歩いている男性がいる。寒河江市在住の鹿間廣治さんだ。半世紀以上続けた研究と、一人でコツコツと調べ上げ、訪ね歩いた百十カ所以上の奪衣婆の像についての解説は本にもなっている。今回ガッタ編集部は、鹿間さんに案内していただきながら、山形市内の奪衣婆に会いに行ってみた。

 

鹿間廣治さん)昭和9(1934)年生まれ。寒河江市出身。若い頃から野生の花が好きで、特にスミレや高山植物に造詣が深い。山野を廻るうちに出会った奪衣婆像に興味を持つ。「奪衣婆は表情ひとつ見ても面白いですよ」とは鹿間さん。

 

鹿間さんの著書『奪衣婆 山形のうば神』(東北企画出版)。奪衣婆信仰の概要と、県内各地の像が愛情深く解説されている。

 

大きな興味のきっかけは、ささいな出会いだった。

 鹿間さんと奪衣婆との出会いは、今から50年以上前。野の花が好きだった鹿間さんは、スミレを探して葉山を歩いている最中、八丁坂と呼ばれる急な坂道の途中に、見慣れない等身大の石像が座っているのを発見する。
それは「笑っているような、かと思うと泣いているような、まるで幼児が描いた絵のような素朴で純粋な人間そのものの表情でした」と振り返る鹿間さん。それが奪衣婆と分かったのは随分後のことだが、これがその後の奪衣婆との長い付き合いの始まりだった。奪衣婆像は全国にあるが、詳しく書かれた本や文献、研究は見つからず、奪衣婆を知っている人もおらず、興味はさらに募ったという。
奪衣婆像は、胸を開けて片膝を立てているほかは、決まったパターンというものはない。立てている膝も像によって違い、容貌も、恐ろしい形相だけでなく、優しい顔もあれば、まるで無表情と様々だ。そんな像を一体一体訪ね歩くうちに鹿間さんは、まるで奪衣婆が自分を待ってくれているような気持ちになっていったという。

 

今回向かったのは山形市平清水。千歳山大日堂が、今回のトレッキングのスタート地点。どんな奪衣婆に出会えるか楽しみだ。手前にいるのは地蔵様。

 

まずは階段を登って、さっそく一体目発見。鳥居の前に、色鮮やかなストールと帽子をまとった奪衣婆が。心優しい誰かがかけてくれたのだろう。奪衣婆像としては珍しく、昭和に作られたものだ。

 

一行は南に向かい、岩波地区へ。石行寺を背に、川沿いの坂を下って行くと、坂の先で通行人を見守るように佇む奪衣婆を発見。

 

そばには川があり、奪衣婆は橋の方を向いている。ここが〝境〟なのかもしれない。

 

松波地区へ向かった一行。万松寺付近を歩いていると、頭部が欠けた像たちが。

 

頭がなくとも片膝を立てたその姿は紛れもなく奪衣婆だ(中央)。「廃仏棄釈のとばっちりによるものでしょう」と鹿間さん。かつてこの奪衣婆像は、像の上にある大きな石の上に座っていたという。

 

お昼をとったあと、双月地区へ向かうと、無量寺の山門前に発見。まるで、後ろにあるたくさんの墓を一手に守っているかのような、どこか心強さを感じる奪衣婆だ。

 

無量寺の山門と奪衣婆。

 

花楯地区へ向かうと、住宅地の中にある花楯公園のそばに発見。笑っているような、穏やかな表情をしている。そばの角柱には「姥神」の字と、江戸末期の石像で、井戸から発見されたという記載が。「こちらも廃仏棄釈の影響で、かつて井戸に投げ込まれたのを住民が発見したのでしょう」と鹿間さんは解説。

 

七日町へ向かった一行。来迎寺の像は、鹿間さんでさえ「これほど恐ろしい奪衣婆は初めて」というほど。実物の毛を垂らし、大柄で肉付きのよい奪衣婆だ。

 

三日町に向かうと、代々続く石屋、株式会社石駒の敷地内に発見。最初に出会った、千歳山の大日堂のものとそっくりだ。鹿間さんは「おそらく、同じ人が刻んだものなのでしょう」と語る。

 

先祖が託した心や、捧げた祈りを慈しむ。

 奪衣婆と出会った当初は、山の中などでポツンと座っているのを見ると、不気味さや、ある種の畏怖めいたものを感じたという鹿間さん。しかし今は、どんなに怖い顔の奪衣婆に出会っても、少しも恐ろしさや不気味さを感じることはないという。その恐ろしい形相の裏に、人の幸せを願う心が見えるからだ。
鹿間さんは話す。「かつては奪衣婆講や、うば神講も数多く存在したのでしょう。昔は大勢に信仰されたのに、今はすっかり忘れられている。今も草に埋もれ、暗い林の中で、誰かに会いたいと待ちわびている奪衣婆がまだいっぱいいるような気がします。長年、奪衣婆に語りかけてきた者としては、なんとも言えない寂しさを感じます」
今、奪衣婆がそこにある理由や由来。我々がそれを覚えていられるのは、いつまでだろう。ふと、そんなことを考えてしまう。

 

国道13号線沿いの、伊豆神社(大野目地区)の奪衣婆。かつての信仰を思うと、地区の人に親しまれているだろう奪衣婆でさえも、そこに座っているだけで、どこか寂しげに見えてくる。

 

巡ってみて気づく、日常への問いかけの少なさ。

 道端の奪衣婆を巡っていると、日常のふとしたことを疑問にも感じないことが、いかに多いかに気づかされる。これは一体何で、なぜここにあり、何のために作られたのか。像に問いかけるように、普段は気にも留めないことに焦点を当てるのが小誌「ガッタ」でありたいものだ。

 

記録にも残らないことが、実は大切なことなのかも。

 今は、先人が路傍の石に祈ったことを、まるで現代人には無関係で無意味なものと考える風潮さえあると話す鹿間さんは、自ら次のように語ってくれた。
「先人の思いや、歩んできた歴史を、そのように考えるのは悲しいことです。誰かが調べないと分からないこと、記録に残らないような他愛のないものが世の中にはたくさんありますが、そんなものこそが、今まで我々に流れてきた、暮らしの中の最も基本的なものなのではないでしょうか。私はそういったものを、記録として残していきたいんです」

 

鹿間さんいわく、奪衣婆は賽銭をもらうより、背中をさすってもらうほうが嬉しいのだとか。鹿間さんが奪衣婆に触れる手やそのまなざしも、優しいものだった。

 

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