特集の傍流

2018.6.6

生涯をかけて〝暮らしに必要なモノ〟を問い続けた、芳武茂介。

2018年7月号(165号)芳武茂介とクラフトデザイン。
故・芳武茂介氏 南陽市宮内公民館 館長 星俊之さん
山形県南陽市

1950年代に、日本のクラフトデザインの再建を目指した人がいた。ヨシタケモスケ、1909年(明治42年)、山形県東置賜郡南陽市生まれのクラフトデザイナーだ。クラフトデザインとは、金属、木竹、陶芸、ガラスなどといった日常品を、使い勝手よく心地よく仕上げるために、専門的な知識や巧みな技を施す工芸デザインを意味する。手仕事の持つ人間的な温かみを表現した、新しい工芸品。その工芸品を、良質かつ量産できるものにしようと生涯尽力した彼の軌跡をたぐる。

 

名もなき家庭用品に光を。工芸作家・芳武茂介

 第二次大戦後の日本は、大きな痛手を負った国の再建を目指し、日本人の気質に伴う技術力と執念で、大量の工業製品を世に送り出してきた。その結果、現代につながる発展を成し遂げ、世界第3位となる経済大国へと成長した。この産業革命によって日本の工業化は進み、同時に欧米文化の波が急速に押し寄せてきた。より早く、より安く、質より量が重んじられる時代が続き、衣食住における日本人の暮らしや環境も大きく変わっていった。
そんななか、気づいた人がいた。工業化だけが発展なのか。手仕事の重みを軽んじて、本当に豊かなモノづくりはできるのか。
昭和31年、芳武氏は同志とともにデザインによる工芸の再建を目指し、日本デザイナークラフトマン協会【※1】を設立。日本古来の美意識である〝侘び寂び〟の思想や〝用の美〟を唱えた柳宗悦【※2】の民芸運動にも寄り添いながら、時代に則した独自の発想で質の高い日用品の制作とその意味を世に問うていく。

 

芳武茂介が志した工芸デザインの道。

 東置賜郡、現在の南陽市宮内で、料亭を営む両親のもとに生まれた芳武氏は、昭和5年に東京美術学校(現東京芸術大学)の工芸金工科へ入学。卒業製作の「鍛鉄花器」が学校蔵となるほどの優れた才覚を生かし、同10年に、仙台にあった商工省工芸指導所に入所。日本従来の工芸的手工業に最新の科学と技術を取り入れた製品作りなどに尽力する。その傍ら自身の製作にも打ち込み、多数の展覧会などに作品を出品し入選を果たす。

 

芳武茂介)明治42年(1909)山形県東置賜郡生まれ。戦後からの日本クラフトデザイン界を牽引した作家。武蔵野美術大学教授、同美術資料図書館長、同名誉教授を歴任。平成5年(1993)永眠。(写真は南陽市宮内公民館所蔵)

 

しかし文展や日展といった名だたる展示会で評価を上げる一方で「美術に傾く工芸が装飾を競い、その日常性をいよいよ失っていく姿に疑問を持ち【※3】」とのちに本人が語った通り、進みゆく工業技術と芸術の方向性のなかに悩みを深めていく。そして戦後の産業復興期におけるデザイン運動【※4】をきっかけに美術工芸を脱し、工芸デザインの本道を極めるに至る。

 

氏がデザインを手がけた作品の一部を展示している、宮内公民館(南陽市宮内)2階「芳武茂介絵画・デザイン展示室」にて。平成元年に、氏より作品の一部が寄贈されて今に至る。

 

室内には作品のほか、氏が寄贈した書籍や図録、絵画等も数多く保存されている。展示室は無料で見学可能。来館の際は事前に電話連絡を。

 

50年以上前に生まれた山形鋳物に残る意匠。

 クラフトデザインには、手加工の度合いが強く量産しづらいものが多いが、芳武氏の功績は良質主義を掲げながらも流通や消費をも踏まえた生活用品づくりを目指した点にある。
「私はデザインの姿勢に立つ工芸家のつもりで仕事をつづける」
生前、繰り返し放ったこの言葉に、氏が目指すクラフトデザインの方向性が集約されている。使い勝手とは、良質であることはもちろん、民衆に届く販路があり価格であることも重視されるべき課題なのだ。
芳武氏は、昭和36年にはデザイン事務所東京クラフトを設立。翌年には人間国宝である金工家、故・高橋敬典氏の工房「山正鋳造」とデザイン契約を結び、伝統的地場産業のひとつである山形鋳物を用いた製品を発表する。
薄肉美麗と称される特性が生かされた鉄皿や鉄鍋、鍋敷きの佇まいを見つめてほしい。

 

【※1】現・社団法人日本クラフトデザイン協会
【※2】「用と美が結ばれるものが工芸である」など、工芸美、民藝美について説き、民藝運動を起こした思想家で美学者。長男はバタフライスツールで知られる世界的インダストリアルデザイナーの柳宗理。
【※3】「国井喜多郎産業工芸賞の人びと」(昭和59年/財団法人工芸財団)より
【※4】作家主義の美術工芸の世界を批判し、実用的なものづくり、用の美を提唱した柳宗悦を中心としたデザイン思想や、ドイツ人建築家ブルーノ・タウト(商工省工芸指導所の嘱託も務める)らによる日本美の再発見を促す啓蒙活動など。

 

芳武氏がデザインを手がけた、山形鋳物の鉄鍋、鍋敷、鉄皿(いずれも南陽市宮内公民館所蔵品)

 

芳武氏が手がけた色ガラス器(1972年)。戦後はガラス工業も長足の進歩を遂げ、色ガラスも豊かになった。色ガラス器は自然色が基調の日本のインテリアに特に効果的であると氏は述べている。

 

灰落としスタンド(1964年)。可塑性があり、大物や肉厚の物を造るのに最適な信楽焼の特性が生かされ、素朴な土の風合いが残る。

 

上から見ると、中に電球が入っていることがわかる。もちろん明かりが灯り、陶灯の役目も担う。

 

庶民の風懐に遊ぶ、使い続けたくなる手業を。

 類まれな鋳造技術による滑らかな鋳肌が美しい鉄皿や鉄鉢、和洋を問わず用立てられそうなモダンな存在感の鍋敷。色ガラスの花器や陶製の照明も、時を忘れて眺めていられる端正な美しさを携えている。これらは50年以上も前に芳武氏が世に送り出した日用品だ。現在、氏が手がけた山形鋳物作品は、次の記事で紹介する「鋳心ノ工房(ちゅうしんこうぼう)」がコレクションとして復刻版を販売している。いずれも3000〜5000円と手に届く価格で流通していることも思想を映しているといえよう。
氏の代表著書である『用のかたち・用の美〜芳武茂介クラフトデザイン作品集』に残された雑感から、印象的な言葉を紹介しよう。

 

〜 クラフトもまた庶民の風懐に遊ぶことだろうと答える。(中略)クラフトには家庭用品が多い。そこに求められるものは、真面目で小ぎれいで、丈夫で長持ちすることを私たちは心がける。長く付き合うからには魔女よりも女房タイプになる。(中略)ヌカミソ臭くならないように、日常性を保持するのが家庭用品だろう。 〜

 

いつも手にする暮らしに必要なものだからこそ、簡単に手放せない使い勝手の良さと、さらには私たちを飽きさせない、どこか風懐を刺激する魅力が必要と受け止める。魔女では長く続かない、しかし、気の緩んだ女房でもいただけない。替えのきかない存在となるモノ、それを生み出すのがクラフトデザインなのだと。

 

(有)東京クラフトでの氏やデザイナーたちの姿をおさめた写真(南陽市宮内公民館所蔵品)。酒を飲みながらデザインについて熱い議論が交わされることもあり、議論が終わると互いを認め合って握手が交わされたという。

 

南陽市宮内公民館前に建てられている顕彰碑。「鉄なべの わがデザインに 芸術と 名のつく受賞 きまりしと聞く」と、鉄鍋のデザインが芸術選奨文部大臣賞を受賞した際に詠んだ歌が彫られている。

 

「地元に住んでいても、芳武茂介のことや、なぜここに展示室があるのか知らない人もいます。彼のことを広く知ってほしいですね」と、宮内公民館館長の星俊之さん。そんな思いを込め、公民館では今秋に、氏の作品展示会の開催が決定している。

 

消費者をやめて、愛用者であるために。

〝モノを大切に〟と謳われるとき、エコロジーや節約といった視点が注目されがちだが、じつはクラフトデザインの生産的価値観、発想にも直結していると考えられないだろうか。近代社会において消費活動を避けて生きていくことはもはや困難な現状がある。しかし、単なる消費活動ではなく愛用者になることは、身近なところからはじめられるのではないだろうか。
そこにあるだけで安心する、好きという気持ちを育む〝モノ〟に出合ったときに人は「愛」を知る。なぜ安心するのか、なぜ選んでしまうのか、クラフトデサインとそれを生み出すデザイナーはそこに答えが出せるよう模索を続けている。
芳武氏が手がけた製品を通して、生活に潤いをもたらす心とモノの結びつきを知り、愛用者という選択をすること、それが、日々の暮らしを充足させるひとつの手段になるのかもしれない。

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