特集の傍流
山形美術館 副館長 岡部信幸さん
山形県山形市
ものづくりや、日々の暮らしを考えるとき、芳武氏の考え方や、彼がデザインした作品から得られるヒントは多いのではないだろうか。ここでは、山形美術館の副館長兼学芸課長の職にあり、特に山形に関わりのある作家の研究を専門としている岡部信幸さんに、モノに囲まれて暮らす私たちが何を考え、意識するべきか、ご意見をうかがった。身近にあるのに、普段はあまり意識していない工芸を、少しでも心にとめるために。

芳武氏の著書『用のかたち・用の美 ー芳武茂介クラフトデザイン作品集ー』(左)、『焼もの 塗もの 金もの 暮しのデザインを求めて』(右)。現在は入手が難しい書籍だが、研究のため探し求めるデザイナーや学生もいるのだという。
「見る工芸」ではなく「使う工芸」を考えた芳武茂介に学ぶ、
暮らしを潤わせる〝モノの選択〟とは。
山形鋳物の魅力に惹かれて芳武氏を知り、研究するうちに、氏のデザインにもますます惹かれていったという岡部さん。「芳武さんは工芸作家として、生活の中でどのように工芸をとらえるかということからスタートし、見る工芸ではなく使う工芸を実践した。素材と技術をうまく組み合わせ、より質の高いものをデザインしていったことは、やはり素晴らしいと思います」と評する。
「〝生活の中で、道具としてどう使うか〟ということを前提にして、素材と技術を組み合わせてより良いものにしていくことが、芳武さんの考えの基本にあります。ですから、デザイナー、職人さん、流通させる人、使う人、それぞれが意識を持って、モノを仲介に意識を通わせていくことができた。そういう大きい流れを作ったのも芳武さんですね」

岡部信幸さん)斎藤茂吉記念館を経て、1993年から山形美術館勤務。山形美術館では山形ゆかりの作家、モダニズム絵画や写真の展覧会を企画してきた。2015年から現職。東北芸術工科大学、山形大学非常勤講師。
暮らしの中で〝これが好き〟という気持ちを育んでいくこと。
私たちが普段使っている日用品の形や機能、素材と技術の組み合わせ。暮らしの中の工芸を照らし出した芳武氏が作り出したモノたちが、そんなことを感じとったり考えたりするためのきっかけになれば、と岡部さんは語る。
「道具には用途があるわけですが、自分は何をこの道具に求め、何のために使うのかを意識し、もう一度しっかり考え、選んでみる。そうして自分の気に入ったモノを実際に使ってみることが、その人の心や生活の感じ方を豊かにしていくのではないかと思います」

手にしているのは、かつて山正鋳造で購入したという、山形鋳物の小さなフライパン鍋。岡部さんの愛用品だ。
「また、山形には、山形の風土が培ってきた素材や技術が伝統としてあります。その伝統をただ守り伝えるだけではなく、自分たちの今の生活にどう生かせるかということを、使う人も考えるし、デザインをする人も考えることができる。そういう意味で山形は、ものづくりと技術がまだ残っている場所だと思うんですよね。素材と技術というものを踏まえた上で形にしていくことが、まだできる場所だと思います」と岡部さん。
「たとえば農作業であったりなど、人間が自然と関わる中で、道具が生まれてきたとするなら、山形はまだ自然とのつながりが残っている。そんな山形は、自然や、人、道具を関連づけて考えられる適当な大きさの場所だと思います。そこに、伝統的な技術や職人さんも残っている。さらにそこに、例えば芸工大生などの、若い感性に基づくデザイン力が上手く組み合わせられると、また新しい道具や、生活を心豊かにするようなモノが生み出されてくる可能性があるかなという気がしますね」
日々、様々なモノが生み出され、消費される世の中。そんな中で、暮らしに本当に必要なもの、ずっと使われ続けるものは何なのか。作家はものをどのように生活の中で使ってほしいのか。芳武茂介氏が生まれた山形から、それを考える意義は大きい。
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