特集の傍流
山形県を代表する花、紅花。
山形の伝統と文化を感じさせる、そのストーリーを紐解きます。
山形銀行 代表取締役頭取 長谷川吉茂さん
宝珠山 立石寺 住職 清原生田さん
山形市高瀬紅花生産組合 組合長 石山慶昭さん ほか
山形県山形市、寒河江市、天童市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町
山形県の県花にも指定されている紅花。山形と紅花といえば、紅花の生産地のひとつである山形市高瀬地区が舞台になった、映画『おもひでぽろぽろ』を思い出す人もいるだろうか。
山形県の村山地域は、最上川がもたらす肥沃な土壌と、朝霧の立ちやすい気候により、江戸時代には最上千駄(※1)と称される日本一の紅花の産地だった。紅花は最上(現・村山地域)だけでなく仙台、福島などでも作られたが、山形藩から他所への移出商品の中では上位に挙げられ、「最上紅花」の名で全国にも知られるように。上方に運ばれた紅花は華麗な西陣織や化粧用の紅に加工され、人々の暮らしを彩った。その値打ちは金の十倍、米の百倍になることもあったという。
現在の紅花栽培から、かつての繁栄を知る
盛んになった山形の紅花栽培も、明治時代に入ると化学染料の普及や、安価な中国紅花の輸入により大打撃を受け、急速に衰退。明治10年頃にはほぼ壊滅したといわれる。しかし戦後、農家から昔の種子が見つかったことを機に栽培が復興。昭和40年には山形県紅花生産組合連合会が組織された。現在、生産量は長期にわたり漸減しているが、産地をもつ市町は染物業者や草木染め愛好者の需要に応じながら、伝統文化としての紅花、観光資源としての紅花を守ろうと励んでいる。
私たちは、紅花のことをどのくらい知っているだろうか。実は山形県には、紅花交易を通してもたらされた豊かな富、華やかな上方文化が今も息づいている。今回は、山形県民こそ知っておきたい、紅花にまつわるストーリーを見ていこう。
gatta!2019年1月号(2018年12月5日発行)特集「山寺と紅花文化」。特集のレポートは順次更新していきます。お楽しみに。
(※1 1駄は馬1頭に背負わせる量のこと)
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