特集の傍流

2019.9.5

やまがたで育まれた弁当の物語と今を探ります。

2019年10月号(180号)やまがた弁当巡行。
九十九鶏本舗、(有)ミートデリカ・クドー、(株)松川弁当店、山形県健康福祉部 健康づくり推進課 ほか
山形県山形市、鶴岡市、米沢市 ほか

卵焼きや唐揚げ、ウィンナーなど、おかずがぎっしりと詰め込まれたお弁当を前にすると、世代を問わずワクワクするもの。日本の弁当は、現在では「BENTO」として、海外でも広く人気を集めている。そんな弁当の歴史は古い。当初は、狩や農作業の合間に食べるために、蒸し米を乾燥した糒(ほしい)を持ち歩き、水にふやかしたり、乾いたまま食べていたという。

 

織田信長が名付け親?「弁当」の意味とは

 時代の移り変わりとともに握り飯などに形を変え親しまれ続けてきた携行食だったが、「弁当」を発明したのは、天童織田藩の祖先・織田信雄の父でもあり、16世紀に活躍した武将・織田信長と言われている。信長は安土城で多くの軍勢に食事を与えるときに、食べ物を簡単な器に盛り込んで配布したそうだ。
もともと「弁当」とは、中国南宋時代の俗語で「好都合」、「便利なこと」を意味する「便當」が語源と言われているが、言葉が日本に入った際に「弁(そな)えて用に当てる」ことから、「弁当」の字が当てられた。織田信長が考えた、「一人ひとりに配る簡単な食事」が、「弁当」の意味に適していたということで名付けられたのかもしれない。
その後、江戸時代に入り、花見や山の散策、芝居観劇時など、弁当は人々の生活に欠かせないものとなっていく。

 

天童市将棋資料館にて、常時展示されている「天童織田家野弁当将棋盤」。織田家の家紋である織田木瓜紋が入った野弁当で、ふたが将棋盤になっており、野外で弁当を広げて食事をした後、将棋をさして楽しまれたものと思われる。

 

進化する弁当文化、土地の魅力を詰め込んで

 明治時代になると、駅弁が登場。第1号は1885(明治18)年に栃木県の宇都宮駅で売られた、梅干し入りの握り飯だという。その後も現在に至るまで、地域の特色を色濃く反映した駅弁は広く人気を集めている。弁当の地域差は県内でも見られ、例えば、庄内地方は対外的な弁当には枝豆(だだちゃ豆)を使ったご飯や海の幸が多く、最上地方は最上伝承野菜やさくらんぼ鶏を使った弁当が見受けられるなど、比較すると楽しい。今回の特集では、小さな箱に詰められた弁当の、山形にまつわる物語と今を紐解いていこう。
2019年10月号(9/5発行号)特集「やまがた弁当巡行」。特集のレポートは順次更新していきます。お楽しみに。

 

一日二食だった四世紀前において、労働の合間の間食として生まれたのが、弁当の始まりだったという。農林水産省では6月19日を「弁当の日」としているほか、(一社)日本鉄道構内営業中央会は、4月10日を「駅弁の日」と定めている。

 

※TOP画像は(株)松川弁当店で製造、販売している「復刻版米沢牛肉すきやき弁当」

 

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