特集の傍流

2019.11.5

地元の方言について見直すと、新たな発見や理解の深化がありました。

2019年12月号(182号)やまがたと方言。
山形県ことばと文化研究会 会長 菊地仁さん、山形大学 人文社会科学部 教授 中澤信幸さん 
山形県山形市

 人類がほかの哺乳類動物より抜きん出て進化させてきたスキルのひとつに「言葉」がある。自分以外の人に何かを伝える手段として自然発生し用いられてきたわけだが、関わる相手が少ない古い時代は、集落、村単位で異なる言語が存在し、やがて居住地が広がるとともに地方、国へと伝播。生活様式や文化と併せて活発化していったと思われる。
 方言はそうした遥か昔の時代から、その土地ごとに育まれてきた伝統であり足跡でもある。その方言がいま薄れつつあると感じるのは大袈裟だろうか。

 

旧藩時代の領域と連鎖する〝山形弁〟の特徴

 では山形県の方言にはどういう特徴があるのか。1969年に山形県方言研究会より発行された『山形県方言辞典』によれば、「東北方言を大きく分けると北奥羽方言と南奥羽方言になり、その境界は岩手県を南北に分け、山形県を庄内と内陸とに分けている」とされ、「東北方言内部の小区画は旧藩時代の領域と一致する」と記されている。すなわち山形弁は、庄内、新庄、山形、米沢といった旧藩領ごとに異なる方言が共存する類稀な言語ということだ。

 

 旧藩領ごとの独特な言語文化が育まれた要因として、約270年続いた江戸の徳川時代に、村山地方以外の藩政が安定していたことが挙げられる。さらに山形県の中央部を走る出羽山地が隔たりとなり、各地の方言を際立たせつつ発展し、いまも保たれているのが原因とも。
「そうです」という言葉ひとつとってみても、村山地方では「んだず」、最上地方では「んだにゃー」、置賜地方では「んだごで」、庄内地方では「んだのぉ」と、旧藩領で異なる上に、同じ県内といえども他地域の方言に聞きなれない感じを覚え、大きく戸惑ってしまうのもこれで納得だろう。

 

 親から子へ、生まれた土地の言葉が継承される方言は、ある種アイデンティティにも通じる表現活動だ。街の景色がどんどん近代化し、郷土の原風景が薄らいでいくなか、その地に暮らす人々から方言すら聞かれなくなったら、物足りなさ以上に寂しくないだろうか。単なるコミュニケーションツールではない情感を揺さぶる存在、はたまた、人と人との距離を縮めるツールとしても近年ポジティブに捉えられている、そんなネイティブな山形弁をいまこそ〝おさらい〟してみたい。
 2019年12月号(11/5発行号)特集「やまがたと映画祭」。特集のレポートは順次更新していきます。お楽しみに。

 

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