特集の傍流
メガネハチヤ 店主 蜂屋孝司さん、記念日 店主 渡辺大輔さん
山形県山形市
1957(昭和32)年、華やかにオープンした東北最大規模のキャバレー「ソシュウ」(山形市小姓町)。当時の新聞には毎日のように「山形新名所」として広告が打たれ、開店時には故 淡谷のり子さんを招いてショーが開かれたという。全盛期には100人以上のホステスが在籍。東京の有名人を招いたショーも開かれ、連日連夜賑わいを見せた。そんな大人の夜の社交場が山形市にもあったのだ。

2階を増築した後のソシュウ。建物は白い壁面で覆われた、横長の飾り気のない造りで、体育館2つほどの大きさがあったという。写真提供/荒井範子氏
若者にも憧れの場。大金片手に足繁く通う人も
「開店の前年には大沼の新店舗や丸久百貨店がオープンし、街がとても賑やかでした。私は昭和30年代後半からソシュウに顔を出すようになりました。当時20代前半だった私は1000円を握りしめ、お店に向かったものです」と蜂屋孝司さんは当時を振り返る。

蜂屋孝司さん)山形市中心市街地の移り変わりについて資料を集め、研究を進めている七日町「メガネハチヤ」店主。
百貨店のアルバイトが日給260円の時代。大金を握りしめ、小姓町に足を運ぶ人は多かった。とはいえ、蜂屋さんが握りしめた1000円もすぐになくなってしまうような金額。時間はまだあるがお金を使い切ってしまったときには、ホステスが気を利かせ「あそこに若いのがいるんだけど、お酒がなくなったから一本(奢って)あげて」と懇意にしている他の客のもとにお願いに行くこともあったという。

蜂屋さんが集めた、「ソシュウ」にまつわる新聞記事。 山形新聞/2010年10月19日、2010年11月2日、2011年2月22日、2011年5月24日、2011年9月27日
ホステスとおしゃべりするだけではない、キャバレーの魅力
「芸能人の来店も多く、店で勝新太郎さんを拝見したこともありました。また、『今日は○○が来ているらしいぞ』なんて噂も回っていたようです」と蜂屋さんは振り返る。漫才コンビのツービートや細川たかし、欧陽菲菲、藤田まことらも来店。売れていた歌手の多くがショーに出演したというが、一方で山形のバンドマンも大いに活躍したという。営業していない時間帯には練習場ともなり、数多くのバンドマンが在籍し演奏をしていた。また社交ダンスは、大学でもパーティーが開かれる若者を中心とした文化だった時代。お酒を飲んで女性と話すだけではなく、ショーを見たり、ダンスを楽しんだり、さまざまな娯楽を楽しめるのがキャバレーだったのだ。当初は1フロアのみであったが、2階を増築しステージを見下ろせる席も追加したという。

自身のスクラップブックを眺める蜂屋さん。
社交場文化の衰退。ひとつの時代が終焉する
しかし、時代の流れとともに、席が埋まらない日も目立つようになってしまう。売り上げ減少により、ショーもグレードダウン。今後の身の振り方を考えたホステスは退職し全盛期の半分以下になっていき、1984(昭和59)年5月に閉店する。当時は全国的に「日本からキャバレーの明かりが消えた」と記事になったそうだ。ひとつの時代の終焉を象徴した出来事として、記憶に残っている人も少なくない。
東北最大級のキャバレーの隆盛を残した一冊の本
そんな「ソシュウ」に関わったホステスや客、バンドマン、町の住人などに聞き取りを行い、24人の語り手の回想をつなげた物語『キャバレーに花束を』を自費出版したのが、ソシュウがあった山形市小姓町に小料理屋「記念日」を構える渡辺大輔さんだ。

渡辺大輔さん)山形市小姓町の小料理屋「記念日」の店主。小姓町の遊郭を舞台にした書籍も出版している。
渡辺さんが「ソシュウ」を知ったのは2011年の春のこと。「料理屋を開いたものの、あまりにお客さんが来ないので外に出てみると、人も通らないですし、紙袋が風で転がる音すら聞こえてくる。ところが、向かいのスナックのマスターが『ソシュウがあった頃はここも賑わっていたんだよ』と教えてくれて。それが始まりでした」と渡辺さんは語る。
その後も、店を訪れる年配客などが誇らしげに話すのを聞いて、興味が湧いたという渡辺さん。2016年に「ゼブンプラザ」でグランドキャバレー再現イベントを開くと、それを機に当時の「ソシュウ」の情報が集まるようになったという。作家を志していたこともあり、「ソシュウ」を知る人が健在のうちに本にまとめたい、との気持ちを強くした。
「昔の人は、今日頑張れば明日もいい日が待っているということを知っていましたよね。経済成長期の時代にあって、頑張れば頑張った分だけ希望を持てました。『ソシュウ』はそんな時代の象徴でもあると思います」

「ソシュウ」を知らない人も当時の熱量に触れることができる渡辺さんの著書は、2017(平成29)年に発売された。市内の書店などで取り扱っている。問い合わせ/023-665-4290(記念日)

「ソシュウ」があったのは、渡辺さんの店から南に数十メートル。現在はコインパーキングとなっているが、「ソシュウ」閉店後は建物がテナントビルに改装され、「ソシュウプラザ」として営業した時期もあった。
「ソシュウの証言の聞き取りを行うなかで、自分の失敗談や恥ずかしい話を自ら話す人もいれば、羞恥からか内容を改変して話す方もいらっしゃいました。かと思えばオープンにさらけ出したり。そういったところに人々の煌びやかな部分だけでなく、欲望が渦巻く部分をも感じましたし、そういうところが結局は〝人〟といいますか。これからも人という存在の良い面も悪い面も含めてまるごとを表現するような、そんな話を描いていけたら」と渡辺さん。
人々がもつ生々しさや愛おしさも含めて、記憶ではなく、記録として残すこと。当時の「いい時代」をこうした形で残すことは、今自分が生きている時代を振り返ってみることにもつながるのかもしれない。栄華を極めた社交場はさまざまな想いをのせて、次世代に伝えられてゆく。「いい時代だったね」という感想だけで終わらせないために。
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