特集の傍流

2019.12.19

あの人に訊きました。若かりし頃通った、わたしの社交場。
【その1】

2020年1月号(183号)時代を語る、やまがたの大人の社交場。
芳賀晴之助さん
山形県山形市

 芳賀晴之助さんは知る人ぞ知る山形人。gatta!創刊当初から、誌面企画や特集内容の相談に乗ってもらったり、情報を提供していただいたり、ときには表紙モデルを務めていただいたこともあり、何かとお世話になっているかただ。
 軽く芳賀さんの人物像をまとめさせていただくと、現役時代は金融機関に席を置き、総合的な業務のほかブランド戦略や企画デザインに精通する要職を歴任。退職後はそうした経験と知識を生かし、商業実践および創業支援、地域資源の活用などといった分野を得意とする企業振興アドバイザーとして活躍された。
 一方プライベートでは、アメカジやアロハに魅せられたファッショニスタの顔でも知られる。ON・OFFどちらでも、どこかにピリッと個性を効かせたセンスある出で立ちは玄人はだしだ。
「だって、何でもカッコイイほうがいいべ。その服なんていうブランド?とか、アナタもウエスタンブーツ好きなの? 俺も!とか、知らない人と友達になれたりするしさ」と芳賀さん。
 そんな芳賀さんと、華やかなりし昭和の時代の社交場トークである。

 

芳賀晴之助さん(1945年生まれ/多趣味で多才な山形人)

 

「俺が行員になって初めての赴任先が白鷹町だったの。その数年後に本店配属になったんだけど、当時は山形市内がものすごく都会に見えてね。ギャップが大きかった分、本店で働くようになってからは毎晩みたいに出歩いたなぁ。もちろんソシュウにも行ったことはあるよ。まだ若造だったから上司や得意先のお供でついていっただけだけどね。ムード歌謡が流れてて、ステージショーがあって、全盛期からはちょっと落ち着いた時代だったのかな、それでもあの規模のキャバレーっていうのは他になかったし、そこにいるお姉さんがたはみんな綺麗できらびやかで、まぁ素晴らしかったね」と回想する。
「夕方の終業時間近くなると、小性町界隈にはホステスさんが、花小路付近には料亭に向かう芸妓さんたちがいて、それぞれまったく違う世界があった。我々はというと、まずは焼き鳥センターで一杯やって腹ごしらえ、その後行きつけの店へ行くパターン。多くは居酒屋とか寿司屋で同僚や友達と飲んで喋って、いま思えばなんのことはないんだけど、人と交流してエネルギーをもらうっていうかな、時間を共有する行為自体を楽しんでいた気がするな」
 休日や昼間の社交場はどうだろう。
「昼間、例えばデートっていったら、映画を見て喫茶店に行ってコーヒーかレスカを飲む(笑)。喫茶店にはマイカップを置いてもらえるところがあったり、好きなレコードをかけてもらえたり、独特な店って点では長源寺通りにあった『名曲喫茶らんぶる』が懐かしいなぁ。入り口にドアボーイがいてさ、席はお客さん同士が顔を合わせないような複雑な設計になってるの。ここはちょっと背伸びしながらいる場所だった。連れともヒソヒソ声で話すようなさ。個人経営の喫茶店の存在がいまはもうほとんど残っていないもんね」

 

芳賀さんの私物である『名曲喫茶らんぶる』のティーカップ&ソーサーを持ちながら。

 

 ここ山形は都心に比べたら小さな地方都市だけれど、スマホがあれば世界中どこにいたって話せるし、つながることもできる。街に出て、友と集まり、親交を深める、そんな社交場の存在はもはや稀有である。映画を見るのもゲームをするのもすべて自宅。食事だってデリバリーで済ませられる時代なのだから、欲しなければそれで済む。
 だけど顔を突き合わせて、体温を感じながら話した相手、見た景色、過ごした時間は、何十年の時を経ても記憶の欠片となって残る……ような気がするのは、筆者が1970年代生まれのせいだろうか。

 

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