特集の傍流

2020.1.7

戦時中、蔵王の山中で秘密裏に行われた研究とは?

2020年2月号(184号)蔵王のふしぎ。
監修/山形大学 学術研究院(理学部担当) 柳澤文孝さん
山形県山形市、上山市

 レジャーに温泉、山岳信仰……。多くの人が訪れる蔵王に、実は謎めいた面があることをご存知だろうか。
 東京大空襲の日、3機のB29爆撃機が宮城蔵王の不忘山に墜落したが、なぜ山形に向かっていたのかは未だ謎であるし、蔵王山系の大岡山(通称・三吉山)の山頂手前、岩肌が露出したところの一部は、なぜかそこだけ雪が積もらないことで知られている。また、かつて蔵王が噴火した際、2歳の女の子を捧げると噴火が収束したといい、それを受けて近くの村では、昭和50年頃までは2歳の女の子を温泉に連れていかない風習があったという(「日本の伝説4 出羽の伝説」昭和51年 株式会社角川書店発行より)。
 そこにまたひとつ、近年新たに明らかになった〝蔵王ミステリー〟がある。樹氷ができる蔵王の気候を生かして、第二次世界大戦のさなか、陸軍による軍事研究が行われていたのだ。

 

蔵王の中腹にかつてあった「蔵王小屋」の様子。戦中は軍が使っていた記録が残るが、近年まで何をしていたのかは解明されていなかった。写真提供/柳澤文孝氏

 

 陸軍の主導でスタートしたその目的は、「着氷による戦闘機墜落の防止」。着氷による重量増加や、プロペラが回転しなくなることは、戦闘機にとって致命傷だ。陸軍気象部は、樹氷ができる蔵王の気象を利用して着氷の研究を進め、氷点下の厳しい環境下でも安全に飛行できるようにしたのだ。

 

1942年、現在は地蔵岳を臨むパラダイスゲレンデのリフト小屋がある標高1,400メートル付近で観測・研究が開始された。写真提供/山形市観光協会

 

陸軍が飛行機への着氷を研究していたという記述が書かれていた「陸軍気象史」(昭和61年陸軍気象史刊行会発行)

 

 1942(昭和17)年12月、中央気象台山形測候所は陸軍の委託を受けて、蔵王山中腹にあった「蔵王小屋」に「蔵王山臨時気象観測所」を開設。すでに前年より「蔵王小屋」は国の管轄下となり、気象観測と着氷防止の研究が始められていたが、観測所の開設によりそれまで以上に本格的に進んでいくことになる。

 

国を挙げて行われた、航空機凍結防止の研究

 蔵王の樹氷地帯は、人の出入りが比較的容易な世界的にも珍しい一帯であり、着氷の研究には適していたと思われる。測候所には居住スペースも設けられ、研究が進められていた。 「蔵王山臨時気象観測所」開設の翌年には、地蔵岳山頂に「蔵王山測候所」が竣工し、観測業務は全て測候所に移行される。

 

昭和27年出版の絵葉書「嚴冬の藏王⼭雪景(⼭形縣・宮城縣)」にみる蔵王山測候所(右)。大部分が着氷で覆われている。写真提供/柳澤文孝氏

 

 一方、終戦まで行われていた飛行機着氷防止に関する研究では、世界で初めて人工雪をつくった北海道帝国大学の故中谷宇吉郎教授が研究代表者を務め、東北帝国大学の加藤愛雄助教授が研究を担当した。その内容は当時の世界的にも最先端で、終戦後、陸軍から報告を受けたGHQは、研究事例に驚愕。戦後、中谷教授はアメリカに招聘され、研究が続けられた。一方、終戦時、研究所も陸軍から資料の破棄を求められたが、それらは破棄せずに中谷教授の助手に預けられたという。しかし、その詳細な内容は現在も不明だ。

 

残された実験の記録。着氷棒への着氷の様子について記載されている。

 

陸軍の報告文書(複写)。付箋部分より3行上に「Mt.zaoo」の文字が確認できる。

 

 蔵王での研究が始まった経緯や詳細は、2017(平成29)年に山形大学の柳沢文孝教授が解明し、2019年には蔵王山測候所の地図と写真も発見され、それまでは文献でのみ存在が確認されていた測候所の輪郭が明らかになった。また、当時は、高い高度で着氷の有無などを計測する観測装置、ラジオゾンデ(着氷ゾンデ)の開発が陸軍気象部により進み、蔵王でも実証試験が行われ、戦後も中央気象台と合流して開発が進められたという。このラジオゾンデは現在も気象観測に使われている機器でもある。
 性質上、戦後は語り継がれることが少ない蔵王の環境を活かした研究ではあるが、その内容は形を変えて現在の気象観測にも利用され、生活に役立てられている。

 

現在は美しい樹氷を楽しめる場所で研究がされていたとは驚きだが、樹氷ができる〝蔵王〟でなければならない理由があったのだ。

 

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