特集の傍流

2020.4.13

パッケージには理由がありました。歴史と意匠から見える背景とは。【中編】

2020年5月号(187号)やまがた百年パッケージ。
玉屋総本店 常務取締役 佐藤恒夫さん
山形県山形市

 見れば無意識下で山形DNAが反応するパッケージの魅力に迫る、特集「やまがた百年パッケージ」。中編は、山形を代表するこのお菓子を。

 

樹上で真っ赤に熟した〝梅の木〟が顔。山形発祥の伝統菓子。

 江戸時代に山形が紅花産業で栄華を極めたことはよく知られている。その紅の発色を良くするために梅の酸が使われていたことから、山形は梅の栽培も盛んだった。その梅を使った伝統菓子「のし梅」は、江戸の文政年間に暑気除けや腹の妙薬として売り出されたのが起源と伝えられている。そんな「のし梅」を看板に掲げる『玉屋総本店』は1755(宝暦4)年創業の老舗である。

 

店内には、江戸時代当時の看板が残る。

 

隣には、客のひとりから譲られたという本店のチラシが。(年代不明)

 

 「のし梅」が山形銘菓と云われる所以を紐解くと、古くは出羽三山詣の流行した江戸時代後期の文献に「乃し梅」の記述がもっとも古いと伝えられているそうだが、その当時はまだ寒天ができておらず、流通もしていないことを鑑みると、完成形である現在の「のし梅」に落ち着いたのは明治時代に入ってからだろうと推測できるとのこと。とはいえ、優に100年以上の長い間、市民に愛されてきた山形銘菓であることは間違いようのない事実だ。

 

 

真夏に1年分の原料が仕込まれる

 玉屋総本店の工場の繁忙期は7月上旬から。収穫時期を迎えた梅が運ばれると一気に加速していく。届いた原料の梅(山形産)を完熟させ、水洗いし、さらにボイルをしたり種を取るなどの仕込みが施され、1年分の梅ペーストが完成する。この真夏に行われる作業はが2週間ほど続き、私たちが知る「のし梅」の味が代々受け継がれ守られてきたのだ。
「当社には長く働いてくれる職人ばかりで、夏の仕込みは風物詩です」とは工場を案内してくれた佐藤常務。「作るのも包むのもすべて人の手。機械に頼らない分、手間はかかりますが、それが伝統の味を継承していくことにつながるのだと思います」とも。

 

 

 

「爽やかな甘さと酸味で、年代問わず食べていただける菓子ではないでしょうか」と話す佐藤常務。

 

時代の思い出とともにある赤い箱、その変わらぬ味と新しい味。

 梅の花が満開に咲く枝と熟して梅の実が描かれた見慣れたパッケージ。なんと1965(昭和40)年頃に採用されて以来、基本的な図案は変わっていないという。
「昭和40年代の前半に、外箱の容器が木箱から紙製のボール箱に変わったんです。その時に現在のパッケージができたと思います」

 

江戸時代から続く郷土菓子として変わらぬ味を守り、紅花と梅の産地だったことをいまに伝える図案を採用。山形県民にとってはいつもの親しい顔。5枚入り(中央の袋)で税込583円。

 

ピンク、グリーン、イエローのリボンが施された袋タイプの「のし梅」。

 

 あれからおよそ50年、めまぐるしく変化する世相のなか、この赤い箱が変わらず店頭に並ぶ光景はあらためて貴重に思う。山形生まれ山形育ちの人々にとって、懐かしさや思い出を彷彿させるスイッチにもなりうるのではないだろうか。
 竹の皮をめくりながら食べると、ほんのり上品に香る梅香が漂い、やわらかな酸味と甘みが口中に広がる。歯切れの良い寒天の爽やかさは、日本茶はもちろん、紅茶にも合いそうだ。

 

 

「小さなお子様からご年配のかたにも、食べやすい菓子だと思います。もちろんそのまま食べていただいていいのですが、一風変わった食べ方としてはスライスチーズをサンドしてお召し上がりいただくのもおすすめです。ワインやブランデーなどのつまみに合う一品になりますよ」と佐藤常務は教えてくれた。

 

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