特集の傍流

2020.7.15

蜜源を求めて北から南へ。 みつばちと生きる仕事。

2020年8月号(190号)Funky Honey !!
山形養蜂場 取締役・山形県養蜂協会 会長 鈴木新栄さん
山形県山形市

 山形県養蜂協会によると、現在の会員数はおよそ90名。そのうち専業として取り組んでいる養蜂業者は5〜6社で、農業や会社勤めなど別業態との兼業で取り組んでいる養蜂家が5〜6名ほど。あとの残りは個人間で蜜を収集したり、趣味でみつばちを飼っているメンバーだという。

 

とちの木は、日本で古くから蜜源樹として親しまれてきた。

 

 養蜂家の仕事について伺うため訪れたのは、山形市にある『山形養蜂場』。1912(大正元)年から続く養蜂業の草分け的存在で、はちみつのほかローヤルゼリーなどの関連商品も手がける老舗企業だ。同社の取締役であり山形県養蜂協会の会長を務める鈴木新栄さんは「西日本では畑の花から、東日本では樹木の花から蜜を採る。安定した量を得るには東が有利でしょうが、養蜂家は皆、みつばちを連れて季節ごとに全国移動するのが常です。当社でも秋田の北部から、南は千葉まで蜜源を回ります」と話す。

蜜源で収穫した巣箱を遠心分離機にかけ、蜜とロウに分ける作業

 

小さなみつばちたちが懸命に集めた蜜がびっしり。

 

西洋みつばちの登場で一気に産業化が加速

 日本で養蜂が本格的に行われるようになったのは江戸時代からだが、日本原種の野蜂や山蜂、いわゆる日本みつばちによる養蜂は難しく貧弱だったとのこと。産業化が進んだのは、明治中期にアメリカやイタリアから採蜜能力の高い西洋みつばちが輸入されてからで、それが現代にも通じているそう。「日本みつばちは逃避癖があるので飼育が困難。そして複数の花から蜜を採る性質があり味が統一できないんです。一方、西洋みつばちは19世紀半ば頃から家畜として人間とともに歩んできた歴史があるので飼育しやすい。体も大きいので蜜を集める能力も高い」と鈴木会長。
『山形養蜂場』では、現在およそ400群800万匹の西洋みつばちとともに国内の蜜源を旅し、味の違う10種類のはちみつを製造している。「100年以上経っても、蜂屋の仕事はほとんど機械化されていないね」と笑う。

昭和20年代、戦後間もない頃。山形養蜂場の前身、鈴木養蜂場の名が見える。

 

はちみつという甘美なパートナーシップ

「我々が組んでいる相手は生き物だということを忘れちゃいけないよね。彼らの働きで花が咲き、実が成る。またその実を私たちがいただくわけけだから、自然の営みを妨げず共生しなきゃならない」と鈴木会長。
「じつは当協会では蜜源樹を守る活動も50年ほど前から続けています。毎年植栽していますが、トチの木は花が咲くのに15年以上、蜜をたくさん出してくれるようになるには、最低でも50年以上かかる。私の代ではそのも成果を見届けられない活動ではありますが、日本のはちみつ産業を守る、後進に繋ぐ思いです」と続ける。

 

山形養蜂場の取締役で、山形兼養蜂協会の会長を務める鈴木新栄さん。

 

山形養蜂場では10種類ほどのはちみつを販売している。写真はあかしや、栃の木、混花。

 

山形養蜂場)山形県山形市落合町144 TEL/023-642-8311 WEB/http://www.yoho.co.jp

 
 

関連記事

上へ