特集の傍流

2016.4.21

世界に通用する人材が、山形を選んだ理由

2016年5月号(139号)妙なる調べ
飯森範親さん/髙橋和貴さん
山形交響楽団

なぜ山形を選んだのか。その理由を知りたくて、マエストロの飯森範親さんとソロ・コンサートマスターの髙橋和貴さんを訪ねた。いずれもこれまでヨーロッパを中心に活躍してきた音楽家。そのお二人の言葉から、山形に住む私たちが故郷を誇りに思える要素がたくさん見つかった。山形の印象を尋ねると、共通していたのは「ドイツの田舎町とどこか似ていて、初めてなのに懐かしさを感じる街だった」ということだった。

 

憧れのヨーロッパと山形が似ている…?

髙橋/そんなに高い建物があるわけでもなく、四方に山々が見えるちょっとした景色や雰囲気が、ヨーロッパの山間の小さな町と似ている気がしました。山響のメンバーと一緒に演奏してみたら、響きもヨーロッパのオーケストラのような、例えて言うなら、僕が昔、LPやCDで聴いていた、ドイツの中でも東部にある田舎町のオーケストラという感じですかね。各都市の楽団に客演に行きますが、その土地土地に根付いた音というのがあるなあと
感じてて、山響の音にも山形の様々な景色が反映されていると思っています。

 

飯森/山形とドイツの地方都市の良いところが共通しているなと僕も思いました。自然、人、食べ物…それによって培われたオーケストラの響き。それが非常に特徴的ですね。25万人くらいの都市にプロのオーケストラが存在していること自体が奇跡的なことなんです。ドイツのバンベルクという、人口が10万人にも満たない都市にもバンベルク交響楽団というオーケストラがあって、定期演奏会を年に6回くらいやっているよね。

 

髙橋/良いオケなんですよね、これが。

 

飯森/ホールがあり、なおかつ市民の一割くらいは定期会員という町でね。山形でもそういう奇跡が起こせないかなと思い、常任指揮者の話をいただいた時に二つ返事で引き受けました(笑)。

 

髙橋さんの飯森さんに対する第一印象も気になるところ…。

髙橋/飯森さんとは大阪の日本センチュリー交響楽団で初めてご一緒して、その時は山形でのご縁がひらけるとは想像もしていませんでした。その時の様子は今でも鮮烈に覚えています。僕は2002年からウィーンで活動を始めたので、ヨーロッパでの生活が長く、外国の指揮者を多く見てきました。飯森さんは音楽の捉え方やフレーズの持っていき方、曲の見え方が日本人らしくなく、「日本人のマエストロの中にも外人みたいな指揮者がいるんだ」というのが第一印象でした。日本人のマエストロとヨーロッパ的な音楽をつくっていける、そのつくる過程を含めて新鮮でしたね。

 

飯森範親さん 神奈川県出身。2003年より山形交響楽団常任指揮者(音楽監督)を務める。オーディオ、鉄道模型作り、スポーツなど幅広い趣味を持つ。

飯森範親さん 神奈川県出身。2003年より山形交響楽団常任指揮者(音楽監督)を務める。オーディオ、鉄道模型作り、スポーツなど幅広い趣味を持つ。

 

理想のリーダー像って…

飯森/嫌でも付いてこいというタイプや、話し合って平均をとるタイプ、切り捨てるタイプ…いろんなリーダーがいるけど、僕は優柔不断(笑)。人に合わせる場合と、ポリシーを貫く時とケースバイケースでスタンスを変えますね。だけど、経営的な側面と芸術的な側面とのバランスを常に考えていかないと楽団のリーダーは務まらないと思っています。

 

山響に対してどんなイメージを持っていたんだろう…

飯森/初めての出会いは18年前。県民会館での定期演奏会に呼ばれた時でした。当時は山響の存在は知っていたけど、首都圏や他県に対して全く姿が見えない楽団でした。どんなオケかはわからないけど行ってみようと思って来てみると、なんと県民会館はほぼ満席。山響のモチベーションと技術の高さに驚きました。リハの間にメンバーが美味しいところや温泉に連れて行ってくれて、すっかり山形の魅力にはまってしまいました。
それから、常任指揮者となり、まずは山響を知ってもらうため、メディアに取り上げてもらえるような様々な仕掛けを考えました。楽団としてのポテンシャルはあったので、「山響が注目されている」ということをメンバー自身が感じ、自分達のパフォーマンスを聴かせるだけでなく「魅せていく」ことが大事だとわかってもらえたらと思い、そのことをメンバーに伝えていきました。

 

髙橋和貴さん 2002年にウィーンへ留学。2015年山形交響楽団のソロ・コンサートマスターに就任。

髙橋和貴さん 2002年にウィーンへ留学。2015年山形交響楽団のソロ・コンサートマスターに就任。

 

山形の人たちの音楽への向き合い方にシンパシー!?

高橋/地方のオーケストラは地元の方たちに、どれだけ自分たちの音楽を愛してもらうかということが活動するうえでのモチベーションに繋がります。コンサートでは、山形の人たちの温かさというか、音楽への向き合い方にシンパシーを感じました。音楽会の雰囲気をつくり出すには聴衆の雰囲気が重要なんです。プレイヤーと観客とが一体になったときに出る奇跡的な音の瞬間というのがあって、その音を引き出してくれる山形の人たちの感じ方が凄い!

 

飯森/その感覚わかる!

 

髙橋/山形テルサの広さって絶妙ですよね。プレイヤーに力を与えてくれる。よく、音楽やプレイヤーが聴衆を育てるという言い方をしますが、僕らも観客の方々に見守られ、育ててもらっている気持ちのほうが強いなあ。

 

飯森/山響は発足当時から、県内の学校を廻って演奏をしたりしていたので、子ども達も少なからず「山響」という名前は知っていると思うし、小さい時に聴いたのは学校の体育館だったから今度はホールで聞いてみようという人もいるかもしれない。音楽を好きになってもらうにも、地域の芸術文化を守り続けていくためにも、我々が子ども達と接するということに大きな責任があると思うし、山響が常に取り組んでいかなければならないことだと思っています。

 

髙橋/音楽は終わりのない旅。常に、良い音楽を、良い音の瞬間を提供していくというのが我々の永遠のテーマ。山響は不思議な力があって、この一年間で何度もそういう良い瞬間をメンバーと共有しています。可能な限り自分たちのベストを尽くして、一人でも多くの人にメッセージを伝えていきたいし、それを受け取りたいと思う人が多ければ多いほど僕たちの力になる。山形だからこそのプレイヤーと観客との距離感を大事にしながら、一人でも多くの人たちと感動を分かち合いたいですね。

 

飯森/どうしても音楽が好きでないと山響の必要性をあまり感じてもらえないことも多いかもしれない。人生にどう刺さるか、音楽の捉え方は人それぞれ。だからこそ、おもしろいし、難しいところだね。

 

多趣味で、休日は子どもとスキーに行ったり、鉄道のジオラマ模型を作って楽しんでいるという飯森さん。スマホにはたくさんの鉄道模型の写真が。「休日は何もしない時間を楽しんでいる」という髙橋さんだが、これから山形のいろんなところを見て回りたいと話してくれた。

 

身近にプロの楽団があるというぜい沢。そして、芸術文化が根付いている空気感を時々感じながら暮らせたら、いつもの日常がもっと豊かになると思えた。

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