2025年12月号(254号)
特集|カラダに効く、効いた 逸話のもとへ
山形県新庄市
七ヶ所を巡って健康祈願(その壱)
作家・黒木あるじさんと往く、不思議をめぐる探訪旅。今回は「病」を抱えた先人たちが、平癒を願って祈りをささげた現場を訪ね、その逸話の由来を紐解きます。暮らしと健康に密接にかかわっていた知られざる郷土の物語をお届け。
最上地域で健康祈願の神として崇められる七所明神は、応仁天皇の第二皇子である大山守命(おおやまもりのみこと)にまつわる伝説が由来。王位継承に関し謀反の罪を着せられ追われる身となり、北へ向かって逃れてきた大山守命が、庄内町余目(千河原)あたりで追討使に捕われて処刑された遺骸が、現在の最上地区の7カ所に奉祀されているという伝説だ。新庄を中心に点在する明神様を黒木あるじさんとともに巡り、それがいまどのように地域とかかわり崇められているかを見聞した。

あるじルポ/歴史ロマンのはるか彼方に、人々の切なる願いが見える
七所明神は、ひとりの人物を〈分割〉して祀った珍しい神社である。応仁天皇の子・大山守命は出羽国に下向したおり殺されてしまう。彼の亡骸は遺言によって切り刻まれ、各所に祀られることとなった。
なんとも凄惨きわまりない由来だが、『古事記』と『日本書紀』に載っている大山守命の逸話はいささか内容が異なる。いわく、ひそかに皇位を奪う計画が露見した大山守命は宇治川で船を転覆させられ水死。その亡骸は奈良県の那羅山に葬られたと記されているのである。もっとも、上記を以て「偽史ではないか」と憤るのは早計だ。もしかすると、時の朝廷に名を残すことを許されなかった東北の豪族が、大山守命の名を借りて埋葬されたのでは──そんな想像を働かせたほうが、はるかにミステリアスで歴史のロマンに満ちているではないか。なによりも重要なのは、分割された遺骸が現在も病気平癒の神として信仰をあつめている点だ。正体よりも効能が、真偽よりも霊験が大事なのだ。人々が求めているのは、死者の素性ではなく病の平癒なのだから。(黒木あるじ)

七ヶ所を巡って健康祈願
病気を治す神様・健康祈願の神様の由来
由来はいくつかあるが、ここでは地元で一般的に伝わっている説を記載する。
言い伝えによれば、大和時代(西暦400年ごろ)15代応神天皇が亡くなった時、その第二皇子(みこ)・大山守命(おおやまもりのみこと)は、兄の大鷦鷯命(おおさざきのみこと/後の仁徳天皇)との間に皇位継承をめぐる確執が生じ、彼らを取り巻く家臣たちの陰謀にあい、都から逃れました。しかし、ついに現在の庄内町余目(千河原)あたりで追手に捕えられ、切り殺されてしまいました。その時、命は「私を七つに斬って、最上鮭延庄(現最上郡)に祀れ」と言い残したので、彼の遺骸は、新庄市宮内に頭、升形に胴、角沢に右手、鳥越に左手、本合海に男根、戸沢村松坂に右足、鮭川村京塚に左足の7カ所に埋められました。するとたちまち霊験(ご利益)が現れたので、人々はそれぞれに社を建てて厚く尊び崇めました。七所明神は病を治す神様であり健康祈願の神様として、現在も地域内外の人々に信仰され続けています。(出典:宮内七所明神境内の由来より一部抜粋)

頭 七所神社(宮内)
町名の由来にもなっている宮内町の七所明神は、戸沢氏の入部以前からこの地に鎮座していた社であるが、戸沢氏入部後は新たな保護が加えられ、城下町鎮護の使命を担った。初代藩主政盛(まさもり)は同社を敬い、新庄移封直後の寛永4年(1627)に釣鐘を奉納している。また、2代藩主正誠(まさのぶ)は、元禄7年(1694)に社殿を造営し、3代藩主正庸(まさつね)もまた楼門を寄進して尊敬を深めている。同社には、歴代藩主ゆかりの絵馬が奉納されており、毎年正月に参詣すべき社と定められていた。(新庄市広報誌:新庄市の維持向上すべき歴史的風致コラムより文章引用)
7つの明神の第一の宮とされ、江戸時代には多数の坊があったという。頭脳が良くなる=受験の合格祈願に訪れる人も。
新庄市宮内町9-5
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宮内明神の元宮のはなし
じつはこの宮内七所明神の伝説にはもうひとつの逸話が伝わっている。宮内の明神は、元は萩野二枚橋の御所橋という所にあって、新庄の海藤帯刀(たてわき)という豪族が朝夕そこにお参りに行っていたのだが、あまりにも遠いので自分の居城(海藤楯)近くに移したというものだ。確かにその伝説を裏付けるかのように、二枚橋から金山町に抜ける道の右手に、地元で「ご明神様」と呼んでいる小さな神社があり、石で造られた小さな祠のなかには人の頭部を模した御神体もしくは奉賽物がいくつか祀られている。ここは、元宮ともいえる所なので、宮内七所明神に劣らない霊験が宿っているかもしれない(広報しんじょう2012年8月発行号より一部抜粋)
七所明神社元宮(新庄市萩野地内 最上内川・二枚橋近く)
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右手 七所大明神(角沢)
右手の不器用な人がここにお参りすると器用になるともいわれている。願掛けに右の手袋だけが奉納されている。神社の境内の南側には老木「角沢八幡神社のスギ」があり、新庄では『石動神社』の親杉に次ぐ杉の巨木と言われている。当地は明治戌辰戦争の激戦地として知られているが、この杉は戊辰戦争で庄内軍から攻め入られた当地区が壊滅的な打撃を受けたときの戦火もまぬがれ、角沢の歴史を見続けてきた神木だ。
新庄市角沢1777(角沢八幡神社内)
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左手 七所明神社(鳥越)
国指定重要文化財でもある『鳥越八幡神社』境内にある。同神社は市東南の鳥越楯跡にあり、古くから鎮守の神として祀られてきた。八幡神社の本殿は新庄藩祖戸沢政盛の養子定盛が江戸初期の寛永15年(1638)に造営したもので、新庄最古の建造物だ。また、境内には七所明神社(左手)のほかにも、脳卒中予防にご利益があると信仰される「青麻神社」も祀られており、併せて参拝したい。また、昭和の初めに宮沢賢治の弟子として学んで帰郷し、当地に農村演劇運動をおこした篤農家・松田甚次郎が、村の青年を集めて「鳥越倶楽部」を結成し、土舞台を築いたのもこの境内である。
新庄市鳥越1224(鳥越八幡神社境内)
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作家 黒木あるじ
青森県出身山形県在住。東北芸術工科大学卒業。同大学文芸学科非常勤講師。2010年に「怪談実話 震(ふるえ)」でデビュー。著者に「黒木魔奇録」「怪談四十九夜」各シリーズのほか、ノベライズ作品「小説ノイズ【noise】」や連作短編「春のたましい神祓いの記」などミステリー作品も手がける。河北新報日曜朝刊にて小説「おしら鬼秘譚」を連載執筆中。

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