本合海の七所明神守に訊く『七所明神(2)』

2025年12月号(254号)
特集|カラダに効く、効いた 逸話のもとへ
山形県新庄市、鮭川村、戸沢村、尾花沢市

七ヶ所を巡って健康祈願(その弐)

作家・黒木あるじさんと往く、不思議をめぐる探訪旅。今回は「病」を抱えた先人たちが、平癒を願って祈りをささげた現場を訪ね、その逸話の由来を紐解きます。暮らしと健康に密接にかかわっていた知られざる郷土の物語をお届け。

最上地域で健康祈願の神として崇められる七所明神は、応仁天皇の第二皇子である大山守命(おおやまもりのみこと)にまつわる伝説が由来。王位継承に関し謀反の罪を着せられ追われる身となり、北へ向かって逃れてきた大山守命が、庄内町余目(千河原)あたりで追討使に捕われて処刑された遺骸が、現在の最上地区の7カ所に奉祀されているという伝説だ。新庄を中心に点在する明神様を黒木あるじさんとともに巡り、それがいまどのように地域とかかわり崇められているかを見聞した。

『社稷 栄光院』の24代院主・八向尚さんに本殿で話をうかがった。最上地域を中心に伝わる無病息災を願う新年の祭事「さんげさんげ」もこの場所で執り行う

歴史ある八向山信仰が残る本合海地区へ

新庄市南西部にある本合海は、最上川の舟運で栄えた歴史を持つ。中世には八向山の南方に八向楯が築城され、その本丸にあたる岩壁中腹には、奥州平泉に向かう源義経も伏し拝んだとされる矢向大明神を祀った『矢向神社』が建立されている。この地区にも七所明神が祀られており、一帯の土地と五穀の神を守る『社稷 栄光院』によって管理されている。「七所明神(1)」の記事に引き続き、残りの部位を祀る神社の紹介とともに、七所明神守でもある同院の院主・八向さんから話を訊くことができた。

豪雨災害を受け社は崩壊御身体はいま

「このあたりは昨年7月の豪雨によって、最上川の支流である新田川が氾濫し、甚大な被害を受けました。その際、本合海の七所神社の社も被害を受け、地盤の緩みから山崩れが起きて倒壊してしまったんです」と八向院主。「不思議なことに御身体は流されず、境内付近に埋まっていたところを土地の人が見つけてくれました」とも。もともと社があった場所には現在、鳥居と一部の部位が残されているが、再建にあたっては移築が検討されているという。

男根 七所明神社(本合海)

子授けと男性特有の病気治癒を願う。2024年7月の豪雨水害と地滑りで社が損壊し、社は解体され更地となっている。本尊は豪雨のさなかに損壊する間一髪のところで地元の人たちの手によって救出。現在は同地区の栄光院で保管されている。
新庄市本合海985
場所はこちら(GoogleMap)

豪雨水害による土砂崩れが発生し拝殿は倒壊してしまったという。現在(2025年11月)は拝殿を失い残った石鳥居が寂しげに立つ
境内にある句碑のそばにはかつて拝殿にあった男根(シンボル)の一部が祀られていた
本合海七所明神(男根)の御身体である、御玉(子ども)を抱く女性の像と内陣に祀られていた神物。現在は本合海の『社稷 栄光院』が管理している
境内はもちろん、眼下を流れる新田川も甚大な被害を受け取材時も護岸を修復中であった。豪雨災害の爪痕が未だあちこちに残っている状況だ

胴 七所明神社(升形)

安産祈願や胃腸など内臓疾患の治癒を願う。本殿に納めてある腹帯(腹巻)を借りて願掛けし、お礼参りに新しい物を奉納する習わしがある。
新庄市升形1713-31
場所はこちら(GoogleMap)

長閑な田園地帯にある升形の七所明神社。取材時は10月下旬であったため、周辺の稲刈り作業はほとんど終えられ静かな農村風景が広がっていた
胴体を表した木製の奉賽物。腹帯を持参して御祈祷しているのは安産祈願のしるし

右足 七所明神社(戸沢村下松坂)

内陣には、右足の悪い人が願掛けに奉納したと思われる義足や靴、靴下、スリッパなどが納められている。
戸沢村大字松坂東塩沢632-3(諏訪神社内)
場所はこちら(GoogleMap)

鮭川が流れる田園地帯のなかでひときわ目を引く杉の巨木群のなかに神社はあった
苔むした参道。そこに隣接して児童公園があったが、遊具も人の気配もなかった
鳥居をくぐってすぐの社には男根のシンボルとともに観音像が祀られていた。子孫繁栄、精力増強、良縁、恋愛成就、夫婦円満などにご利益があるとされている「麻羅観音(まらかんのん)」のようにも見てとれる

左足 七所明神社(鮭川村京塚)

京塚愛宕神社と一緒に合祀されており、社の周辺には稲荷の小社、弁才天、湯殿山の大石碑がある。また、東方の峰には山神社があり、御神体の男根形の大木棒は毎年4月3日(旧3月3日)に地元の子ども達が「山の神勧進」の奇祭を行う。さらに、境内には農村歌舞伎の土舞台跡があり、以前は村芝居(県無形民俗文化財・鮭川歌舞伎)がここで上演され賑わいをみせた。
最上郡鮭川村京塚1118(京塚愛宕神社内)
場所はこちら(GoogleMap)

鳥居から苔むした参道を登り、社までは40段ほどの石段を登って辿り着く
京塚愛宕神社と一緒に合祀されおり、内陣の右側が明神様にあたる。社殿からさらに奥には細い山道がいくつかあり、山岳信仰の石碑やお稲荷さんの祠などが点在していた

腰 伊豆七所両神社(尾花沢市名木沢)

大山守命の願いとは裏腹に七太刀浴びせられ誤って8つに切り分けてしまったため、残りのひとつ(腰)をここ名木沢に葬り、祀った「もう一つの七所明神」とも呼ばれている。諸説あるが遺骸を投げた沢であったことから投げ沢と呼ばれていたのが名木沢になったなど、様々な伝承が残る地である。


尾花沢市名木沢西裏747
場所はこちら(GoogleMap)

境内とその付近から眺める最上川と田園風景の景観は見事。さらにその東方に名木沢川が流れる伊豆七所両神社

本合海地域で24代続く『社稷 栄光院』

最上地域を中心に行われている師走の越年伝統行事「さんげさんげ」。ここ栄光院でも毎年年末になると、不動明王など地元に点在する神社の138体にもおよぶ御神体に祈る、地域をおさめる神仏への感謝・厄落とし・無病息災を願う祭事が執り行われている。院主である栄光院の八向さんは「祭事では毎年、地域住民の健康と幸せを願っています」と話す。

「カラダに効く」といえば、ここ本合海で吹き出物や歯痛を平癒してくれる神様として崇拝される『白蛇大権現』も栄光院が管理している社のひとつだ。「令和6年夏の大雨でこの辺り一帯は大変な惨事に見舞われた。近くにあった本合海七所明神は大雨被害にあってしまったが、白蛇大権現の社は免れた。白蛇大権現様のお社は昔から最上川の乗船場を見守り続けてきた存在で、地域の人々がいまも大切に守り継いでいる」と八向さんは続ける。

社稷栄光院・院主の八向尚さん。物腰穏やかで気さくな御人であった。地域にまつわる不思議なエピソードや伝説はどれも興味深く、訊いているうちに時が経つのを忘れるほどだった

八向山、八向楯、矢向神社を代々守る由緒ある社として

本合海の七所明神はもとより、最上川右岸の『八向山』の山頂に天正年間(1573〜92)に木戸周防が築いた城(楯)の史跡が残る『八向楯』。そして、古来より最上川を上下する舟人の信仰が篤く、文治3年(1187)に兄頼朝と対立した源義経が舟で最上川をさかのぼり、本合海で上陸して奥州平泉に向かうさなかに義経も「矢向大明神」を伏し拝んだと「義経記」に記されている『矢向神社』。さらには、健康祈願の神として吹き出物・歯痛を治すとして崇められる本合海の『白蛇大権現』など地元の様々な社や史跡の管理を務める『栄光院』。かつて兄頼朝に追われた義経一行が平泉に逃げのびる途中に、栄光院が建つこの場所で一行が宿泊をしたという記述も残っている由緒ある社だ。

本合海七所明神(男根)の御身体を守る修験宗本山派栄光院(新庄市本合海96)。最上地域におけるおよそ百三十以上の社や祠に祀られる神々をこの1ヶ所で崇め、祭祀を司る
栄光院の裏庭に立つ御神木。環境省巨樹データベースには「夫婦イチョウ」の名で載っている。イチョウは1本しか見当たらないのだが、何故「夫婦イチョウ」と云われるようになったのかは謎である
本合海七所明神(男根)の御身体である、子どもを抱く女性の像と内陣に祀られていた神物
比較的に交通量が多い本合海の国道47号線沿いにあり、栄光院が管理する『白蛇(はくだ)大権現』の拝殿。祭壇の供物には蛇の好物である生卵が捧げられていた
白蛇大権現の祭壇奥に掲げられていた弁財天と思わしき絵。白蛇は弁財天の化身であり神聖な存在とも言われる

八百万の神々と向き合い守り継ぐ存在

この『栄光院』では、土地の神と五穀の神、国家を意味する「社稷(しゃしょく)」を冠し、はるか昔から当地の八百万の神々に捧げる祭祀を主宰してきた。たとえば先に紹介した「さんげさんげ」は、出羽三山や村内の神仏を呼び出して礼拝し、翌年の豊作や健康を祈願する。こうした神事はかつて日本のあちこちで執り行われていたものの、我々の暮らしや社会の変化によって年々縮小し、またそれらを執り行う宮司や験者の減少も相まって、希少な存在になりつつある。

八向大明神大鳥居落慶神事 平成11年9月8日大安吉日(撮影:樋渡興作氏 写真提供:栄光院)

手を合わせ祈る日本の原風景がここに

「じつは私も八向家の次男坊。長男は進学で首都圏で暮らし、地元に残った私が跡を継ぎました。25代についてはいまのところ私の娘が継ぐと申し出てくれていますが」と院主の八向さん。「百数十あるお社を私ひとりで管理するのは難しく、多くはその地域のかたがたにお任せしています」とも。神々に手を合わせ祈りを捧げることが、天候を左右したり病を治すための直接的な策でないかもしれない。だがそうあってほしいと信じ、心に拠りどころを持つことで前を向くことができたらそれで充分だ。人々の信心によって幾多の時間が紡がれてきたその歴史は尊い。

本合海の「さんげさんげ」は、2021年に新庄市の無形民俗文化財に指定されている。画像協力:新庄市、新庄デジタルアーカイブ(新庄市史別巻 民俗編400ページ サンゲサンゲ 本合海・栄光院)

作家 黒木あるじ(記事監修)
青森県出身山形県在住。東北芸術工科大学卒業。同大学文芸学科非常勤講師。2010年に「怪談実話 震(ふるえ)」でデビュー。著者に「黒木魔奇録」「怪談四十九夜」各シリーズのほか、ノベライズ作品「小説ノイズ【noise】」や連作短編「春のたましい神祓いの記」などミステリー作品も手がける。河北新報日曜朝刊にて小説「おしら鬼秘譚」を連載執筆中。

gatta! 2025年12月号
特集|カラダに効く、効いた 逸話のもとへ

gatta! 2025年12月号
特集|カラダに効く、効いた 逸話のもとへ

(Visited 177 times, 1 visits today)