山形の〈昔の〉怖い話「其の一・得体が知れぬモノたちの話」

だれかの散文|黒木あるじの山形あやかし取材帖

 山形県内に〈記録〉として残る奇談を、山形市在住の怪談作家・黒木あるじ氏が取材し、レポート形式でお届けする新連載がスタート。初回は豪華仕様の拡大判で4話を公開中。連載のはじまりを記念して「零話と壱話」を特別掲載。

 出羽国──山形では古より怪しい話があまた語り継がれてきた。しかし、一見すると恐ろしいばかりの話でも、じっくり眺めてみれば山形の新たな一側面が浮かんでくる。故郷の別な顔に気づいてしまう。さあ、先人が書き残した〈怪しい記録〉から、もう一度〈山形とはなにか〉を確かめてみようではないか。

第零話

 山形の怪談・奇談と聞いて、あなたはどんな話を思い浮かべるだろうか。天狗にかどわかされた、狐に化かされた、亡者が枕元に立つ、神々の怒りにふれる……なるほど、たしかにそうした話は数多く伝わっている。その多くは語り継がれた土地の風土や文化、信仰や習俗に根ざしている。

 たとえば、県内各地に天狗の話が伝わっているのは出羽三山の影響にほかならない。また、奇怪な現象の解決を巫女に頼む話が多いのはオナカマをはじめとする口寄せ信仰が浸透していた結果と考えられる。とりわけ、狐が人を誑かす話の豊富さは実に興味深い。夜道で遭遇する怪女、野原を追いかけてくる大入道……。現代の我々なら幽霊や妖怪と見なすような現象も、当時の人々にとっては「狐のしわざ」と解釈したほうが合理的だったようだ。

 しかし──すべての話がそうではないのだ。あまりに説明がつかず、あまりに理屈に合わず、あまりに得体が知れない。つまり、聞いた側もどう判断して良いのか戸惑う話も、少なくないのである。

そして、そのような話は総じて怖い。正体がわからないというのは、なによりも恐ろしいことなのだ。本稿の第一回では、そんな正体不明、理解不能な奇談をご紹介してみよう。

第壱話

 まずは、私の大好きな奇談から。

 新庄市にあらわれたという、得体が知れぬモノの記録だ。《》で括られた箇所が要約部分、最後の()内が引用した文献である。

《大正のころ、新庄市の畑という集落に住む人々が、鮒を獲るため天池と呼ばれる池の水を掻きだした。ところが四日にわたり掻いても水がいっこうに減らない。そのうち「天いぬ子が出たぞ」と誰かが言い、恐れをなした人々は家に逃げ帰ってしまった。このとき参加した者はいずれも熱病にかかって長らく苦しみ、それから天池の水を掻きだすのは禁忌になったという。この「天いぬ子」がどのようなものであったかは伝わっておらず、語ってくれた人も知らないそうだ。》(『かつろく風土記』笹喜四郎)

 これほど謎だらけの話も珍しい。「天いぬ子」という名前以外、姿形も素性もなにひとつわからない。なのに、人々はそれを恐れ、ついには病みついてしまったのだから。

 池の主だとすれば水神のようなものか、それとも未確認生物の類なのか。「天狗子」の漢字をあてて「天狗の仲間かもしれない」と推察することも可能だが、ならばなぜ「いぬ」と平仮名にしたのか、謎は残る。そもそも天狗であれば「誰も知らない」という理屈はありえない。この話を収録した『かつろく風土記』にも、天狗にまつわる話は数多く載っている。広く知られた存在の天狗を「正体不明」とは書かないはずだ。

 音の響きだけで考えるなら、ここ最近で知名度を増した「アマビエ」か、あるいはその元ネタといわれる「アマビコ」を思いだしてしまう。もっとも「天いぬ子」はアマビエ・アマビコのように予言を告げるようなことはなく、それどころか熱病に罹らせたというのだから、むしろ疫病を使役する側なのだろうか。
考えても考えてもたどりつけない答え。それが、ぞくりとさせつつも愉しい。

『かつろく風土記』は、1972(昭和47)年に刊行。昔の新庄での暮らしを記録した歴史書で、怪談奇談のみならず四季の風物や町名の由来なども詳しく記載されている。作者の笹喜四郎は明治42年生まれ。教員生活のかたわら新庄市文化団体会議会長をつとめ、新庄市史編集委員長として郷土史の調査研究・編集をおこなった。

不思議な話を愛する読者諸兄は、ぜひ市町村史やそれに準ずる郷土史を手にしてほしい。きっと好みの一話と出会えるはずだ。

第弐話

 さて、続いては江戸の庄内に登場したという怪物の目撃談。こちらもなかなか不気味な話である。

《中台傳治郎という男が若いころ、白山林の川(現在の鶴岡市白山地区にある湯尻川、あるいは大山川か)で釣りをしていたところ、急に川波が起こり水面が泡立ち、見たこともない怪物が姿を見せた。その怪物は頭部が真っ黒、皮膚は唐犬(外国産の犬)のように垂れていて、開いた口は朱色をしており、目はよほど細いのか有無が確認できなかった。体長は行燈ほどであったという。》(『大泉百談』杉山宜袁著・大泉散士訳)

「天いぬ子」に比べると容姿が知れているぶん、別な怖さがある。江戸時代の話であるから「広く知られていない生き物だったのでは」と考えるのが、真っ当な意見かもしれない。川から出現し、黒い頭部と外国産の犬(当時の外国犬は長身で細身なものが多かった)に似た皮膚であったということは、アザラシやニホンカワウソではないのか──との推察もできる。事実、河童の目撃談のいくつかはカワウソと共通する部分が多い。

 だが、江戸中期に幕府が動植物や名産品をまとめた「羽州庄内領産物帳」には、熊や鹿とともに水獺(かわをそ)の名前がある。つまりカワウソは正体不明ではないのだ。

 同様にアザラシもスケッチが残っている。江戸時代の人間とて無知ではない。すでに名も姿も知られているものを「怪物だ」と騒ぐような真似はしないだろう(そもそも舞台を鶴岡市白山付近と仮定するなら、海から離れすぎている。たまたまアザラシが川を遡上するにしても距離がありすぎるだろう)。
つまりこの怪物も正体は謎のままなのだ。山形、改めて不思議な土地である。

『大泉百談』は、阪尾宗吾、万年、清風の三代にわたる荘内藩の諸々を記録した全139巻の大著述『大泉叢誌』の10巻目にあたる。作者の杉山宜袁(すぎやまよしなが)は文政時代の庄内藩士で、藩業所に勤めて家老にまで出世し、とりわけ郷土史に造詣深かった。庄内の古今にわたる事跡を調査記録して後世に残した。しかし、まさか宜袁も自身の集めた話が百年を経たのちに怪談として注目されるとは、思いも寄らなかったのではないか。

第参話

 もっと生物からかけ離れている、妖怪じみた存在はないのか──そんな向きには、河北町の谷地八幡宮に出没した「夜陰の入道」なる妖怪変化の説話をお聞かせしたい。西村市郎右衛門作とされる『新御伽婢子』に載っている。

《神仏分離以前、谷地八幡宮は円福寺が祭祀をつかさどっていた。ある雨の夜、この寺の僧・秀達が縁側を歩いていると、寺と八幡宮のあいだにかかる堀の対岸に、黒々とした毛だらけの足が見えた。驚きのままに顔をあげると、寺の軒に巨大な法師の首がみっつ、三角形を描くように浮かんでいる。首はこちらと目が合うなり蝶のようにひらひら飛んできたので、秀達は腰を抜かして室内へ逃げこんだ。秀達は「他人に語っては祟りがあるかも」とこの出来事を黙っていたが、その日から法師の幻影に悩まされるようになり、ついには寝ついてしまったという。

 しばらく経った夜、出家したての小坊主と寺小姓が、おなじ縁側で法師の首を目撃した。恐怖のあまりふたりはその場で気絶し、幸いにも寺小姓は蘇生したものの、小坊主はそのまま死んでしまった。このありさまを見た秀達がすべてを語ったので僧たちは恐れおののき、夜は縁側に出なくなったそうである。謎の足と法師の首の正体は、ついぞわからずじまいだった。》(『江戸怪談集〈下〉』高田衛 編)

 前のふたつは登場するだけだったが、こちらは(間接的とはいえ)人を殺めている。一見すると仏教講話のような雰囲気でも、仏の功徳は僧を救ってくれなかったようだ。法師ということは坊主頭の首と思われる。そんなものが三つも空中を舞っている光景、なかなどうして衝撃的ではないか。

 そもそも、話の前半に登場した「堀の対岸にあった太い足」は誰のものなのだろう。空飛ぶ三つ首の身体なのか。それともまったく別の怪異なのか(このような理解に苦しむ妖怪変化を、先人たちは「狐が化けた」と一括処理したわけである。なかなか合理的だ)。この足の存在が、恐ろしさに拍車をかけている。

 親本である『新御伽婢子』は1683年(天和3年)出版したとされる怪談集。京都の俳人、西村市郎右衛門が作者だとされている。当時は浅井了意の書いた奇談集『伽婢子』が好評を博しており、それに便乗するようなタイトルの本がいくつも作られていた。どうやら『新御伽婢子』もその一冊であったようだ。そのような江戸の怪談をまとめた本が、近世文学研究者の高田衛が編者を務めた『江戸怪談集』である。上中下の3巻からなる意欲作だが、いずれの収録作も非常に趣きある怪談ばかり。現代に生きる我々でも読みやすいのは有り難い。

第肆話

 最後は、出羽山中に姿を見せた不気味な子供の話で終わろう。その名は「かぶきりこ」。いったい何者なのだろうか。

《羽黒山で原因不明の出火(寛政八年二月の大火か)が起こる七日ほど前、火達磨になった子供が羽黒山本社の内陣を転がりまわっていた。ある者がそれを目にして「これは本社が火災に遭う前兆に違いない」と悟り、燃えさかる子供に「本社の焼けるが天運ならば是非もないが、願わくば七日の猶予をたまわりたい」と告げた。その途端、子供の姿は掻き消すように失せたという。火災で本社が焼け落ちたのは、それからちょうど七日目のことであったそうだ。》(『羽黒山二百話』戸川安章)

「かぶきりこ」は漢字で「髪切り子」と書き、髪をおかっぱにした童子をさす言葉だという。「かぶろ」が転訛して「かぶ」になったのだろうか。下総地方(現在の千葉県と茨城県)に伝わる、おかっぱ頭の小僧の姿をした妖怪「かぶきり小僧」や、岩手県に謂れが残る「カブキレワラシ」という木の精とも、名前の相似性がうかがえる。

 姿形は、なんだか『遠野物語』などに登場する座敷わらしのようだが、それなら寺の大火を防いでくれても良さそうなものだ。幸福を運ぶ存在というよりは、羽黒山に住む〈山の精〉的なものだったのだろうか。災厄を知らせるという点においては、こちらこそ「アマビエ」に近い要素を有しているとも考えられる。

 先の三話よりは整合性が取れているものの、結局子供の正体はわからない。他の文献を見ても、羽黒山に子供があらわれたという説話は見つからなかった。まさか寺と一緒に焼け死んだとも思えないが、たった一度きりというのがなにやらゾクリとさせる。

『羽黒山二百話』は、1960年(昭和35年)に羽黒山叢書と銘打たれたシリーズの第1巻として刊行、その後に単行本として再販された。名前のとおり羽黒山の逸話を集めたもので、総話数は200を越えている。怪談奇談のほか、寺社の由来や縁起、廃仏毀釈の際のエピソードなども載っている。作者の戸川安章は民俗学者で、出羽三山修験道の研究で知られている。致道博物館顧問や鶴岡女子専門学校校長を務め、1997年(平成9年)には羽黒町名誉町民となっている。まさしく出羽三山に精通した人物で、そのような彼が記した山の怪談であるから、どの話もリアリティが凄まじい。必読である。

黒木あるじ

怪談作家。1976年青森県弘前市生まれ。東北芸術工科大学卒。池上冬樹世話役の「小説家(ライター)になろう」講座出身。2009年、『おまもり』で第7回ビーケーワン怪談大賞・佳作を受賞。同年『ささやき』で第1回『幽』怪談実話コンテストブンまわし賞を受賞し、2010年に『震(ふるえ)』でデビュー。

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