だれかの散文

2018.6.11

第2回:大杉漣さんとの想ひ出〈前編〉


先月16日に急性心不全で63歳の若さで西城秀樹さんが亡くなりました。ルックス、アクション、そして歌唱力など全てにおいて憧れの歌手でした。インタビューを1度したきりでお付き合いは無かったですが、悲しみ、喪失感はやはり深いです。今年は本欄でその思い出を綴った高畑勲監督、そして、2月21日未明に急性心不全で66歳で急逝した俳優・大杉漣さんと私が敬愛する人が相次ぎ亡くなり心にポッカリと穴が空いたような想いです。

 

大杉漣さんは高畑監督同様親しくさせてもらっていました。4月14日青山斎場で執り行われた【大杉漣お別れの会 さらば!ゴンタクレ】では北野武監督、水谷豊さん、石坂浩二さんなど沢山の映画人たちが参列し涙にくれていました。中には嗚咽している人も。他にも、私のように地方在住で親しくお世話になった人たちも沢山参列。外では一般ファンが長蛇の列を作り、漣さんに最後のお別れをしていました。誰にでも分け隔てすることなく誠心誠意付き合う漣さんの人柄をそのまま表した「お別れの会」でした。

 

大杉漣さんとの出会いは20年前の1998年1月9〜11日開催の『第7回あきた十文字映画祭』でした。SABU監督『ポストマン・ブルース』(1997)で殺し屋ジョーを演じた漣さんはSABU監督と共に参加。サングラスをかけクールで近寄り難い雰囲気だった漣さんに、恐る恐るインタビューを申し込んだところ意外にも快諾。お話をしてみると謙虚で気さく。何より笑顔がチャーミングなおじさん(失礼)でした。

 

『第7回あきた十文字映画祭』で大杉漣さんに初インタビュー(1998年1月)

 

数日後には当時 山形新聞に連載していた「シネマ遊楽館」で漣さんを取り上げました。以来、私が担当するラジオ番組には度々電話出演して戴くなど親しくお付き合い。山田洋次監督『たそがれ清兵衛』に出演が決まった時は電話で「僕のようにアングラ出身で、インディ−ズ畑の役者からすると、山田作品に出るのは抵抗があるんですけど、山田監督から直接電話を戴いて〈君の声が欲しいんです〉と言われると やっぱり断れないですよね」と心中を語ってくれました。2005年9月『ひがしね湯けむり映画祭』、2010年10月鶴岡まちなかキネマ、2012年8月『米沢シネマステージ(伴淳映画祭)』、2016年12月酒田市希望ホール、2017年10月29日酒田港座 それぞれトークショーをご一緒させてもらいました。

 

「東根グランドホテル」にて、皆んなで夕食を(2005年9月4日)

 

『ひがしね湯けむり映画祭』トークにて(2005年9月4日)

 

他にも15年ほど前にTUY『寒河江太鼓の祭典』ドキュメンタリー番組のナレーション、2013年12月には山形放送ラジオドキュメンタリードラマ『港町の幸福な昭和~日本一と世界一を酒田から発信した男』で佐藤久一さん役とナレーションを務めてもらいました。また、山形国際ドキュメンタリー映画祭 企画・制作ドキュメンタリー映画・佐藤広一監督『世界一と言われた映画館 酒田グリーン・ハウス証言集』(2018年4月から順次公開)のナレーターを務めて戴きました。 20年前に初めてインタビューを快諾戴いてから、ト−クショ−、ラジオ出演、ナレーションどれもこれも例外なく快諾して下さいました。山形という地方で不器用に奮闘努力している私を応援してやろう という漣さんの優しさだったのでしょう。

 

“優しさ”といえば、『冷たい熱帯魚』『マエストロ!』『世界から猫が消えたなら』『honey』などの衣装を手掛け、今や映画界で大活躍の真室川町出身スタイリスト荒木里江さんが、初めて映画の現場に助手で付いたのが滝田洋二郎監督『秘密』(1999)でした。慣れない仕事でミスをして師匠に叱られ、衣装部屋で泣いていたら、漣さんがギターの弾き語りをして慰めてくれたのだそうです。漣さんは滝田監督とはピンク映画『連続暴姦』(1983)出演以来の常連で、劇中で母娘が入れ替わるキッカケとなるバス転落事故を起こす運転手という小さな役で出演。恐らく荒木さんがきつく叱られている場面に漣さんが居合わせたのでしょうね。あの時、漣さんの弾き語りがなければ、荒木さんはスタイリストを断念していたかもしれないです。

若い映画製作者への協力も惜しみませんでした。新潟の高校生 田卷源太監督のアマチュア自主製作短編映画『黒いカナリア』の主役としカラス役で出演したり、早稲田大学と慶應義塾大学の学生が中心となった自主制作映画『Mogera Wogura』へも出演しています。当時、高校生だった田卷源太さんは現在は第一線で活躍する映画の編集マンになっています。因みに、漣さんにナレーションを務めて貰った『世界一と言われた映画館 酒田グリーン・ハウス証言集』の佐藤広一監督は『黒いカナリア』の現場スタッフをしていました。ナレーション録音の時にそのことを知り、漣さんはいたく感激し、当時を懐かしんでいました。

 

『秘密』でバス運転手役をやった漣さんでしたが、実は運転免許を取得したのは50代後半のこと。2010年9月公開の国本雅広監督『おにいちゃんのハナビ』で主人公兄妹を演じた高良健吾さん、谷村美月さんの父親役を演ることになったのですが、その職業は個人タクシー運転手。運転免許取得が絶対条件とされ、遅ればせながら自動車教習所に通い、試験を受けるのですが、中々合格できない。いよいよクランクインが近づき、ここで合格しないと他の俳優に替えられてしまうというタイムリミットになった路上試験。女性教官が、目の前で結果を発表。いくつかのミスを指摘された時「また、ダメか」とうなだれていたら「合格です!」の声。漣さんはその場で号泣。晴れて免許を取得した漣さんは『おにいちゃんのハナビ』で堂々たるハンドルさばきを見せています。亡くなる直前の2月10日に放送されたBS朝日スズキ提供ドライブ&トーク番組『極上空間』に、漣さんは本上まなみさんと千葉県勝浦までドライブして会話を楽しんでいましたが、ハンドルを握っていたのは本上まなみさんでした。まだ運転には自信が持てなかったのかもしれませんね(苦笑)

 

“泣く”と言えば、2010年10月に鶴岡まちなかキネマでトークショーをした時、漣さんの出身母体である沈黙劇の転形劇場時代の話で、1988年、長期の海外公演から帰国、成田空港で劇団が解散した時の気持ちを伺おうとしたら、漣さんは、感極まり、涙する場面があり、私ももらい泣きしそうになるほど場内は感動につつまれました。渡辺マネージャーによりますと漣さんがトークショーで涙する場面は初めてとのこと。漣さんにとって如何に転形劇場が大切な存在だったのかが伺えました。

 

鶴岡まちなかキネマでのトークにて(2010年10月9日)

 

佐々木蔵之介さんとの二人芝居「抜け穴の会議室」の開幕中、渋谷PARCO劇場の楽屋で(2010年12月19日)

 

「荒井さん、『象』の公演で山形で30日に公演をするんですけど、男女併せて10名ほどですが、何処か温泉に入れませんか?」と2013年7月20日夜に漣さんから突然の電話。この芝居は東京の新国立劇場で7月2日から21日まで上演してから、30日に山形市でやるとのこと。私は、2010年版を観て、2013年版のリハーサルにも陣中見舞いにお邪魔していることもあり喜んでお引き受けしました。『象』は別役実が50年以上前に書いた戯曲で、2010年に漣さんとSMAP稲垣吾郎さん主演で上演されたものを、2013年に稲垣さんから木村了さんに替わり再演。奥菜恵さん、山西惇さん、羽場裕一さん、神野三鈴さんは前作のままで、金成均さん、野村修一さん、橋本健司さんが加わってのもの。メイクの女性も含めて総勢10人でした。漣さんによると「折角、山形に行くのにホテルと劇場の往復だけなんですか⁈」と女優さんから突き上げられた(笑)らしく困り果てての依頼だったようです。

 

『象』公演翌日、見送りの山形駅1番ホームで、漣さん、山西惇さん、羽場裕一さんと(2013年7月31日)

 

私は蔵王上野にある「天神の湯」が絶好と思い、経営者の荒井進さんにお願いして、前日のゲネプロ後の20時半に送迎車を出して戴き、温泉に入れてもらいました。私も含め男子8名、女子3名が男女浴場に分かれて入浴。敷居越しに漣さんが女湯に向かって、あのドスの効いた声で「恵、美鈴、一緒に入ろう!」次の瞬間、女湯からお湯が降ってきて、我々は頭から被ることになったのですが、折悪しく1人だけ一般の方が居て、その方も被害に遭ってしまいました。我々の平謝りに笑って赦して戴き事無きを得たのでした。

 

風呂上がり夜10時過ぎに、また送迎車で全員を山形三中北側の居酒屋「山力」に運んでもらいました。予め同級生である親方 渡辺隆敏君にお願いしていたので、飾り切り野菜で彩られた刺身盛りや鮎の塩焼き、芋煮、ダシ、漬物等々山形の美味いものを召し上がって貰ったのでした。刺身盛りがテーブルにやって来たら、その盛り皿の見事さに全員一斉に携帯で撮影!食べたら「美味しい!美味しい!」を連発。女性陣は天神の湯で風呂上がりに缶ビールを呑んでいたので、山力で座るなり「地酒お願いします!」明日が芝居本番なのに大丈夫だろうか?と心配になるほど盛り上がったのでした。みんなが喜ぶ様子を目を細めて満足気に眺める漣さんを見て、私も喜びに浸ったのでした。山力での飲食代や入浴料の支払いは全て座長である漣さん。ゴチになりました。翌30日の公演は言うまでもなく素晴らしいものとなりました。羽場裕一さんはギターも上手で渡辺君のギターを弾いていましたが、山力を気に入り公演後も呑みにきてくれたそうです。

そして、31日朝、山形駅ホームに皆さんを見送りに行ったら、奥菜恵さんと木村了さんだけいない。聞けば2人は庄内に遊びに行ったとのこと。そして二人は2016年3月に晴れて結婚したのでした。

 

〈後編〉に続く。


幸博荒井

プロフィール:

荒井幸博

1957年山形県山形市生まれ。地元での銀行員、自主上映及び映画館スタッフとして勤務し、1995年4月から独立。山形を拠点にシネマ・パーソナリティとして映画の魅力の醍醐味を語り、執筆し、映画ファンの裾野拡大に奮闘中。

公式サイト「いい日。ミーハーでいこう」
http://www.araiyukihiro.com

バックナンバー
過去の記事

上へ