特集の傍流

2016.9.6

干し物に見る、置賜の食文化の知恵と恩恵。

2016年10月号(144号)置賜の干し物。
たかはた食文化研究会 顧問 島津憲一さん
たかはた食文化研究会(東置賜郡高畠町)

日本における干し物の文化、その歴史は古い。縄文時代の貝塚からは魚や貝を干した形跡が見られ、『万葉集』には蒸した米を乾燥させた、長旅の携帯食が登場している。また、奈良時代には海の幸を干物にして宮廷への献上品や租税として納めていたといわれ、この頃には既に、塩味をつけて干す、煮てから干すなど、今にも伝わる製法が確立していたことが判明している。
平安時代は漁獲量とともに干物の生産量も増えたが、生鮮魚介類は少なく、魚を食すには干し物が重宝され、酒の肴として貴族の食卓に欠かせないものだった。

 

干し物づくりが大きく発展したのは江戸時代。各地の大名は幕府への献上品として、また、藩の産業振興のため、競うように干し物づくりに励み始めた。今に残る小田原干物や長崎のカラスミなどは、その成果の例だ。また、食生活が豊かになりだしたこの時代、干し物は庶民の食卓にも現れるようになり、庶民の食べ物として親しまれていった。
そんな干し物を語る上で外せない存在なのが、米沢藩中興の祖、上杉鷹山公だ。

 

江戸時代屈指の名君が広めた、今に伝わる糧の教え。

雪国であり、農家の多い山形県では、冷夏や洪水などで凶作になれば、それが真っ先に飢饉へとつながった。その中、米沢藩第9代藩主である鷹山公は、凶作・飢饉に備えた食の手引書である『かてもの』を編纂し、藩内に配布した。
かてものとは、主食に混ぜて炊く食物のこと。書の中には、主食のかてとなる植物の特徴と調理法、食べ方についての解説がされており、食料の保存法、長期保存のきく干し物などについても述べられている。

こうした施策により、藩では、山菜や採れすぎた「くきたち」や「なす」などを漬物や干し物(乾物)にして蓄えておき、一年中利用できるようにするなど、飢えを避けるための工夫が凝らされた。実際、この備荒対策によって、天保4年の大飢饉を乗り越えており、この実績によって他藩も備荒備蓄に一層力を注ぐようになった。

 

置賜の食文化を築いた、「もったいない」の精神。

5年前の東日本大震災時、首都圏の量販店では乾物が購入されずに残ったという。それは、「そのような製品の使い方や食べ方が分からない、知らないことの表れですよ」と、たかはた食文化研究会顧問である島津憲一さんは指摘する。

 

「売店を見ましたか。たくさん(干し物が)あったでしょう」と島津さん。道の駅たかはた「まほろばステーション」の、「レストラン縄文」前にてお話しをいただいた。

「売店を見ましたか。たくさん(干し物が)あったでしょう」と島津さん。道の駅たかはた「まほろばステーション」の、「レストラン縄文」前にてお話しをいただいた。

 

置賜は四方を山で囲まれているため、山菜やきのこが豊富に採れる。そのような食材を旬の時期に採り、食べきれない分は備蓄しておくことからも察することができるように、置賜の食の根底にあるのは、食べ物に困った時、周囲にあるものを利用する「もったいない」の精神であると島津さんは話す。

 

取材班は、取材前に売店内を拝見させていただいたのだが、確かに、乾物の種類の多さには驚かされてしまった。中には、山形県中心部の市ではなかなかお目にかかれない山菜や野草の姿も。(写真:道の駅たかはた「まほろばステーション」売店内)

取材班は、取材前に売店内を拝見させていただいたのだが、確かに、乾物の種類の多さには驚かされてしまった。中には、山形県中心部の市ではなかなかお目にかかれない山菜や野草の姿も。(写真:道の駅たかはた「まほろばステーション」売店内)

 

写真:よねおりかんこうセンター内

写真:よねおりかんこうセンター内

 

食べ物に困った時、周囲にあるものを利用するということ、つまり、凶作や不時の災害に備えた考えが、日頃の食生活の教えとして根付き、今なお郷土料理という形の中で、置賜地方のみならず県内全般の食生活に脈々と息づいているのだ。

置賜地方を代表する料理に「冷汁」があるが、これは旬の野菜や山菜を、干し貝柱と干ししいたけの出汁で食べる贅沢な料理で、旨味もぐっと増している。どうすれば美味しくなるのかということを先人は経験的に知っており、そのような料理で食事の度に接待をしていた。昔は冠婚葬祭を家で行ったため、家庭に食材を備蓄しておく必要もあったのだ。

 

山菜でさえ貴重な食料だった昔、それらは備蓄用として干され、保存された。それをふんだんに使った「冷汁」は、滋養満点の野菜料理として、季節を問わず行事料理に欠かせないものとなっている。なお、元々は陣中食であったと伝えられている。

山菜でさえ貴重な食料だった昔、それらは備蓄用として干され、保存された。それをふんだんに使った「冷汁」は、滋養満点の野菜料理として、季節を問わず行事料理に欠かせないものとなっている。なお、元々は陣中食であったと伝えられている。

 

現在は冠婚葬祭を家で行うことが少なくなり、核家族化が進むことによって昔ながらの食文化が次世代に伝わりにくくなっているなど、伝承の課題はあるが、保存食に強い文化を持つ土地ならではの「美味しいものを残す」という考えが生んだ、奥深く豊かな食文化。それは一見、質素な食事ではあるかもしれない。しかし、決して貧しくはない。我々が普段口々に言う、飽食の「豊かな暮らし」は本当に「豊か」なのか、今一度考えてみたいものだ。

 

(左)こめごめ干し、(右)くきたち干し。 こめごめ干しとは、落葉低木ミツバウツギの若芽の干し物。くきたちは、アブラナ科野菜の花茎をいう。

(左)こめごめ干し、(右)くき立ち干し。こめごめ干しとは、落葉低木ミツバウツギの若芽の干し物。くき立ちは、アブラナ科野菜の花茎をいう。

 

「もったいない」の精神で、地域の力を高める。

料理に旬のものを使い、一番美味しい時期のものを干して残すという食文化について、「食の核心は保存です。そのような食文化は災害にも強い」と島津さんは語る。

 

写真は「うこぎご飯」。うこぎは低木の落葉樹。とげがあることから、鷹山公が防犯と備荒備蓄の目的で垣に植えよと奨励したことは有名。若芽は食料になり、春の訪れを告げる味として親しまれている。

写真は「うこぎご飯」。うこぎは低木の落葉樹。とげがあることから、鷹山公が防犯と備荒備蓄の目的で垣に植えよと奨励したことは有名。若芽は食料になり、春の訪れを告げる味として親しまれている。

 

そういった食文化を作るには、地域力を上げることが大事だという。そのためには、今に残る食材やその食べ方をただ享受するだけでなく、自分たちで新しい食べ方を創造することが重要とのこと。そんな島津さんは現在、セイヨウタンポポの干物に着目しており、その食べ方を発信していくつもりであることを静かながら熱心に語ってくださった。

周囲の食材になりそうなものに興味を持ち、食べ方や、どの部分を保存するのが良いのかということを模索し、発信していくこと。それが、今を豊かに生きる知恵を生むのだろう。

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