特集の傍流

2018.5.5

先人があらゆる想いを託した、やまがたの〝姥神〟とは。

2018年6月号(164号)山形の姥神に会いに行く。
鹿間廣治さん ほか
山形県山形市

山形の町中や、旧い道を歩いていると、様々な種類の石碑や神仏の像が、道端に佇んでいるのに出会うことがある。それら路傍の石碑や神仏をよく見てみると、「南無阿弥陀仏」「観世音菩薩」「十八夜塔」「庚申塔」「山神」「湯殿山」などと、文字が彫られていることに気づく。また、日付が彫られていることもあるが、大体は江戸時代から明治初期にかけて建てられたものが多いことが分かる。

 

旧歴18日に餅をついて月に供えた月待講の記念「十八夜塔」や、湯殿山への篤心の深さがうかがえる「湯殿山碑」など、道端の碑にも日本人独特の宗教観などを感じられる。

 

ひっそりと佇むそれは、かつての願いの証。

 こういった石碑などは、日本人独特の、多様でおおらかな宗教観や民間信仰と結びついており、その数はかつての信仰の多さや、その篤さを物語るものだ。しかし今では、その民間信仰の意味さえも知らない人がほとんどだと言っていいのかもしれない。かつては、今よりはるかに神や仏たちに畏怖を感じ、それと同時に様々な願いを託した時代があった。講中たちとともに講を開いて、夜通し祈りを捧げたり、神仏像に会うために汗をかきながら高い山に登ったり、あるいは路傍に座る神仏像に手を合わせたり、その姿が真剣そのものであったことは想像に難くない。そんな人々の願いを一身に受けてきた神仏や、願いの証である碑や塔も、今は忘れられつつある、寂しい存在になってしまっている。

 

その忘れられつつある存在のひとつに、「奪衣婆(だつえば)」がある。姥様(うばさま)や姥神様(うばがみさま)と呼ばれていることが多く、たいていのものは石を彫って作られている。胸をはだけ、片膝を立てた(まれに立てていないものもある)老女の像を目にしたことはないだろうか。それが奪衣婆だ。

 

山形市岩波地区の奪衣婆像。

 

奪衣婆(姥神)は、山岳信仰の聖域である山の入り口や、登山道の途中、神社の参道、寺院などに祀られていることが多い。山形県内には今も数多くの奪衣婆像が残っているが、それはつまり、かつてそれだけ信仰されたという証だ。
そんな奪衣婆は、亡くなった人の罪科をあの世で裁くという十人の王(十王)とセットになって信仰されてきた歴史があるが、像になるほど信仰された彼女は一体何者で、どんな願いが託されてきたのだろうか。なぜ、寺院だけでなく、山に多く存在するのだろうか。今回はその答えを探りに出かけてみた。

山形県内における奪衣婆研究の第一人者ともいうべき、寒河江市在住の鹿間廣治さんとともに、山や道端にぽつんと座っている、謎のお婆さんの像「奪衣婆(姥神)」の背景や、それに込められた願いをひもとくプチトリップへ出かけた「山形の姥神に会いに行く」。特集のレポートは順次更新していきます。お楽しみに。

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