特集の傍流

2019.1.5

なぜいま、“ひっぱりうどん”なのか。脈々と食べ継がれてきた根底を支えているものとは。

2019年2月号(172号)山形のひっぱりうどん。
ひっぱりうどん研究所 所長 佐藤政史さん、創設メンバー 青柳フヂ子さん、
戸沢地域市民センター センター長 松田芳信さん、松田ハルさん、株式会社マルハニチロ山形、寒河江市の渋谷家の皆さん
山形県村山市 ほか

 レシピ検索サイト『クックパッド』で“山形のひっぱりうどん”を検索してみると、60品以上のレシピがヒットする。“山形芋煮”の150品強のヒット数にこそかなわないが、そこそこみんなが作っていると推測できる。ご当地の個性的な食文化を紹介するテレビ番組などでこれまで幾度となく取り上げられてきた山形の麺といえば、多彩な顔をもつ日本蕎麦であり消費量日本一の中華麺であった。しかしここにきて我々が取り上げる麺は“うどん”である。なぜなら、山形県村山地方を中心に愛されてきた『ひっぱりうどん』は、寒さ本番を迎えたこの時期にこそ欲されるソウルフードだからだ。

 

村山市、炭焼き、保存食がキーワード

 時代は昭和の戦争混乱期。かつて炭焼きをして生計を立てていた村山市戸沢地域の人たちが山籠りに入る際、保存のきく乾麺を調理して食べたのが始まりだという。当時、乾麺を手にすることができたのは豪商や旦那衆のみだったが、火種としての炭はどの家庭にも不可欠。炭焼き百姓の人々は、物々交換をして手に入れたのだろうと推測される。
 当時を知る年長者に、ひっぱりうどん研究所(村山市)の佐藤所長がかつて聞いた話によると「山籠もりをするのに荷物になる食料は持っていけないから、タレではなく塩をふりかけていたようです」と教えてくれた。

 

食べかたの変化は、時代を生き抜いた証

 塩に始まったものが家庭で食べる際には醤油ダレに変わり、時代が豊かさを増すにつれ納豆、ネギ、生卵、サバ缶といった具材も加わっていく。成長を遂げた日本経済の縮図といったら大げさだろうか。
 しかし茹で上がったうどんを熱々の鍋からひっぱる姿はおそらく原風景のまま。村山市から地方へ波及し、脈々と食べ継がれてきた根底を支えているものは何か。次の記事からはその根っこに触れていこう。

 

 gatta!2019年2月号(2019年1月5日発行)特集「山形のひっぱりうどん」。特集のレポートは順次更新していきます。お楽しみに。

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