特集の傍流

2019.3.6

あんこをふんだんに使い、縁起物をかたどる。鶴岡であんこが親しまれるその背景とは?

2019年4月号(174号)山形あんこひとくち話。
有限会社木村屋 代表取締役 吉野隆一さん
山形県鶴岡市

 鶴岡の雛菓子は、白餡と求肥を混ぜて練った、練り切りを使い、果物や野菜、魚の切り身などをかたどっている。紅花などで交易が盛んだった北前船により京都から伝わったと言われていて、当初は落雁のような干菓子や、飴菓子が主流だったそうだ。昭和初期頃から、現在の形となり、今に受け継がれている。

 

地元の和菓子職人らが発展させた、雛菓子文化。

 明治20年に山形県内初のパン屋として鶴岡に創業し、和洋菓子の製造・販売も手がける木村屋。吉野隆一社長は鶴岡の雛菓子について、「当時の和菓子職人たちが『鶴岡の雛菓子とはどうあるべきか』と考えて切磋琢磨し、発展していったものが現在の形だと思う」と話す。
 雛菓子は鯛や桃はもちろん、「子どもの健やかな成長を願うタケノコ」や、「丸々としたカブ」など縁起物をかたどり桃の節句を祝う。木村屋では毎年、3月3日までに約4000箱、旧暦の桃の節句が行われる4月3日頃までに約1200箱を販売するという。吉野社長は、「旧暦のひな祭りまでに何度も訪れ、述べ4箱購入するという旧家の方もいらっしゃいます。それだけ今でも根付いている文化ということだと思います」と話す。鶴岡の春の訪れは、毎年、あんこの甘いお菓子により告げられるのだ。

 

鶴岡に残るあんこの文化について語る吉野社長。

 

あずきは専用の釜で煮詰め練り上げる。練り切りには白インゲン豆の「手忙豆」を煮詰めた白餡につなぎとして求肥餅を加える。

 

冷ましながら寝かせた餡に、食紅で色をつけていく。ちょうどいい色具合を出すには長年の経験と熟練の技が必要。

 

色染めが終わったら、職人の手作業により実際にかたちをつくっていく。種類によって異なるが何層にも重ねて表現するものも。

 

まるめた餡を木型ではさみ形を整える。この木型はみかんの房をつくり上げるもので、隠れてしまう内部まで作り込まれる。

 

表皮は別の伸ばした餡で包み、楊枝の先を押し当てボコボコとした質感を表現。緑色の餡でヘタをつけて仕上げる。

 

最後にみかんに切り込みを入れて皮をめくると出来上がり。みかんの房が顔を出すという遊び心に職人の技が光る。

 

木村屋の雛菓子は、鶴岡産のもち米「でわのもち」を使用。さくらんぼをはじめ、だだちゃ豆や外内島きゅうり、孟宗竹といった地場の名産がモチーフ。

 

水ようかんは冬の菓子? 鶴岡独自のあんこ文化

 木村屋は、初代の民吉氏が「酒種あんぱん」で知られる東京銀座の木村屋で修行をし、暖簾分けを許され鶴岡に創業した。創業当時から、当然「酒種あんぱん」も製造・販売し、パン文化が全く根付いていない地で、和洋折衷の新たな味として好評を博したそうだ。木村屋とあんこの繋がりは深く長い。

 

 

 あんこを使った菓子の一つ、水ようかん。全国的には夏の食べ物として知られているが、木村屋には「冬の水ようかん」が店頭に並ぶ。鶴岡では冬にも食べられているのだ。「こたつにミカン」ならぬ、「こたつに水ようかん」の文化が残る。
 「乾燥する時期ですので、のどごしは夏よりも良いと思います。水分補給を目的に食べられ始めたようで、実際、夏は砂糖を多めにし水は少なめの配合なのに対し、冬は水分を多めにしています。当初は、各家庭で水ようかんを作り食べていたようですね。私が子どもの頃には食べられていて、私は夏よりも冬の方がよく食べていたように記憶しています。冬の水ようかんは、かなり昔からの風習だったのだと思います」と吉野社長。
 ではなぜ、鶴岡でこんなにもあんこを食べられているのだろうか。「昔は『あずきを食べると顔色がよくなる』、『体のむくみがとれる』ということが経験則として伝わり、よく食べられようになったのではないかと思います」と吉野社長は推測する。「また、『あずきの赤色に邪気を払う魔除けの力がある』と私も親に教えられました。実際、雛菓子や赤飯などハレの日に食べることが多いです。そのような背景から、あんこ文化が根付いてきたのではないでしょうか」と続ける。体にも、縁起にも良い食物として、長年、あずきは生活に寄り添ってきたのだ。

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