歴史ロマンのはるか彼方に、人々の切なる願いが見える「七所明神(1)」

2025年12月号(254号)
特集|カラダに効く、効いた 逸話のもとへ
山形県新庄市、鮭川村、戸沢村、尾花沢市

奇抜な逸話のもとへ(その四)

作家・黒木あるじさんと往く、不思議をめぐる探訪旅。今回は「病」を抱えた先人たちが、平癒を願って祈りをささげた現場を訪ね、その逸話の由来を紐解きます。暮らしと健康に密接にかかわっていた知られざる郷土の物語をお届け。

むかしの人の悩みは、いまとは次元が違う

頭痛や腹痛が起きたとき、あなたはどう対処するだろう。横になってカラダを休め、治らなければ常備薬に頼る。それでも体調が落ち着かなければかかりつけ医を訪ねることもあるだろう。

医者にかかったり薬が当たり前ではない時代

しかし今回取材で訪れた神社や仏閣、堂宇の類は創建が不明なほど古く、仮に鎌倉や安土桃山時代ともなれば手軽に医者へ薬を、というわけにはいかない。カラダの治癒や予防を懇願した先人と、語り継がれている逸話や手法について、その時代に思いを馳せながら学んでみよう。

七所明神第一の宮である宮内七所明神(頭)でおみくじを引いた黒木あるじさん。大吉であった。氏の今後の作品に神様も大いに期待しているということか

あるじルポ/歴史ロマンのはるか彼方に、人々の切なる願いが見える

七所明神は、ひとりの人物を〈分割〉して祀った珍しい神社である。応仁天皇の子・大山守命は出羽国に下向したおり殺されてしまう。彼の亡骸は遺言によって切り刻まれ、各所に祀られることとなった。

なんとも凄惨きわまりない由来だが、『古事記』と『日本書紀』に載っている大山守命の逸話はいささか内容が異なる。いわく、ひそかに皇位を奪う計画が露見した大山守命は宇治川で船を転覆させられ水死。その亡骸は奈良県の那羅山に葬られたと記されているのである。もっとも、上記を以て「偽史ではないか」と憤るのは早計だ。もしかすると、時の朝廷に名を残すことを許されなかった東北の豪族が、大山守命の名を借りて埋葬されたのでは──そんな想像を働かせたほうが、はるかにミステリアスで歴史のロマンに満ちているではないか。なによりも重要なのは、分割された遺骸が現在も病気平癒の神として信仰をあつめている点だ。正体よりも効能が、真偽よりも霊験が大事なのだ。人々が求めているのは、死者の素性ではなく病の平癒なのだから。(黒木あるじ)

七ヶ所を巡って健康祈願
病気を治す神様・健康祈願の神様の由来

由来の伝説はいくつかあるが、ここでは地元で一般的に伝わっている説を記載する。
言い伝えによれば、大和時代(西暦400年ごろ)15代応神天皇が亡くなった時、その第二皇子(みこ)・大山守命(おおやまもりのみこと)は、後の仁徳天皇となる兄との間に皇位継承をめぐる確執が生じ、兄の家臣たちの陰謀にあい、都から逃れました。しかし、ついに現在の庄内町余目(千河原)あたりで追手に捕えられ、切り殺されてしまいました。その時、命は「私を七つに斬って、最上鮭延庄(現最上郡)に祀れ」と言い残したので、彼の遺骸は、新庄市宮内に頭、升形に胴、角沢に右手、鳥越に左手、本合海に男根、戸沢村松坂に右足、鮭川村京塚に左足の7カ所に埋められました。するとたちまち霊験(ご利益)が現れたので、人々はそれぞれに社を建てて厚く尊び崇めました。七所明神は病を治す神様であり健康祈願の神様として、現在も地域内外の人々に信仰され続けています。(出典:宮内七所明神境内の由来より一部抜粋)

頭 七所神社(宮内)

7つの明神の第一の宮とされ、江戸時代には多数の坊があったという。頭脳が良くなる=受験の合格祈願に訪れる人も。
新庄市宮内町9-5
場所はこちら(GoogleMapコード Q76R+4V 新庄市、山形県)
※MAPコードで検索する際は数字記号と市町村名のどちらもご入力ください。

雪が降り積もる毎年1月には、地元の「七所神社護持会(七所神社の環境を良くする会)」の人たちが主体となって結界をひいた境内で御祭燈祭(おさいとう)が開催され、無病息災や合格祈願などを祈る。
宮内七所明神(頭)にあったおみくじ。桜と骸骨のスタンプが押印された木札のなかにおみくじがある。
豊穣を祈願するものだろうか、宮内七所明神(頭)にて販売されていた蛇と稲穂の御守り。蛇は湿地や水辺に生息することから、日本には蛇が水神の使いであるという信仰が古くからある。また、脱皮を繰り返すことから、生命の再生やその高い生命力を畏怖され、神聖なものとして捉えられている。

右手 七所大明神(角沢)

右手の不器用な人がここにお参りすると器用になるともいわれている。願掛けに右の手袋だけが奉納されている。神社の境内の南側には老木「角沢八幡神社のスギ」があり、新庄では『石動神社』の親杉に次ぐ杉の巨木と言われている。当地は明治戌辰戦争の激戦地として知られているが、この杉は戊辰戦争で庄内軍から攻め入られた当地区が壊滅的な打撃を受けたときの戦火もまぬがれ、角沢の歴史を見続けてきた神木だ。
新庄市角沢1777(角沢八幡神社内)
場所はこちら(GoogleMapコード P7HJ+5Q 新庄市、山形県)
※MAPコードは数字記号と市町村名を併せてご入力ください

鳥居と勧世音菩薩と七所大明神が同じ境内に祀られている神仏習合形態。
戊辰戦争の激戦では既に大木だったはずだ。兵士たちの記憶にも残ったことだろう。
「角沢八幡神社のスギ」は目の高さに相当する部分の木の幹の太さから見た目通りで6.4mもある巨木
「角沢八幡神社のスギ」の荘厳さからか、見下ろされているような視線を感じる

左手 七所明神社(鳥越)

国指定重要文化財でもある鳥越八幡神社境内にある。脳卒中予防にご利益があると信仰される「青麻神社」が隣接しており、併せて参拝したい。また、昭和の初めに宮沢賢治の弟子として学んで帰郷し、当地に農村演劇運動をおこした篤農家・松田甚次郎が、村の青年を集めて「鳥越倶楽部」を結成し、土舞台を築いたのもこの境内である。
新庄市鳥越1224(鳥越八幡神社境内)
場所はこちら(GoogleMapコード P8R8+J8 新庄市、山形県)

鳥越八幡神社の社殿に向かう石段から左の参拝道を進むと鳥越七所明神社が見える。木の葉が隠れない時期はここから新庄市の街並みが一望できるはずだ
古くから鎮守の神として祀られてきた鳥越八幡神社の本殿は国の重要文化財に指定されている。松田甚次郎が座長を務める「鳥越倶楽部」の演劇は36回も上演された
参拝して小休止する黒木あるじさん。この「青麻神社」は古来より中風病退除などの特殊信仰があり「三度詣でれば生涯中風の難よりのがれる」と伝えられる各地青麻神社のひとつ
鳥越八幡宮の境内にある授与所では鳥越七所明神(左手)の朱印も用意されていた。七所明神で御朱印があるのは鳥越八幡の左手だけのようである

作家 黒木あるじ
青森県出身山形県在住。東北芸術工科大学卒業。同大学文芸学科非常勤講師。2010年に「怪談実話 震(ふるえ)」でデビュー。著者に「黒木魔奇録」「怪談四十九夜」各シリーズのほか、ノベライズ作品「小説ノイズ【noise】」や連作短編「春のたましい神祓いの記」などミステリー作品も手がける。河北新報日曜朝刊にて小説「おしら鬼秘譚」を連載執筆中。

gatta! 2025年12月号
特集|カラダに効く、効いた 逸話のもとへ

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