「食べる、貼る」薬として。馬肉が必要とされてきた背景。

2023年9月号(227号)
特集|さくら肉の話

400年以上も昔から庶民に親しまれていた馬肉。とくに山形県内では新庄市と長井市に根強く残るその魅力と、支持されている理由について探ります。

馬肉が食用として活用された歴史

ぼたん、もみじ、かしわ、さくら、これら植物の名前はそれぞれの順番で猪肉、鹿肉、鶏肉、馬肉のことを指す。獣肉禁忌の江戸時代に、商人たちがお上の監視をかい潜るために使用し、流通させていた隠語だ。そう、馬肉が食べられた歴史は400年以上も前に遡る。その発祥は諸説あるが、熊夲藩初代藩主の加藤清正が朝鮮出兵した際、食料がなくなり仕方なく軍馬を食べたのが始まりとの説が今日まで語り継がれている。

赤身のロース肉を使った鮮やかな馬刺し。牛脂よりも融点が10度ほど低いため、肉の甘みを感じる柔らかい食感が特徴的。薬味にニンニクやネギ、生姜などをのせて、醤油でいただく。

高熱の治療薬として使用されていた?

馬肉は元来、滋養強壮の薬膳料理として利用され、また当時流行した高熱をともなう病気の治療薬にも使われていたと、農林水産省のウェブサイト「うちの郷土料理〈馬刺し/熊本県〉」※ でも紹介されている。いまでも熊本県では馬肉を患部に湿布して熱を冷ますという民間療法があり、その理由としては、塗布することで水分や保湿力を維持する効果や、不飽和脂肪酸の一種「リノレン酸」が含まれているので、血行促進効果が期待できることが挙げられている。また、火傷や肌荒れでダメージを受けた肌を油膜で菌から守り、抗酸化作用が働くといった作用もあるのだとか。

昔から民間療法でヤケドやケガの手当に、また万能のスキンケアに用いられてきた馬油。

熊本と福島では郷土料理として定着

馬は牛や豚と比べて体温が高く、食事でも反芻をしないため菌を保持しづらいのだという。
 そのため生肉で食しても安全性が高く、さらに加熱によって失われがちなビタミンなどの栄養素をそのまま摂取できるとあって、昔から重宝されてきた。国内の生産量では熊本県が圧倒的に多く、次いで福島県となっており、からし味噌をつけて食べる馬刺しは会津若松地方の名物になっている。

梅花藻が育つ水路沿いにある長井「馬街道」の記念碑。昭和20年代までは人馬一体となった生活が営まれ、多くの馬がこの道を往来したという。
長井市台町を通る旧越後街道の「馬街道」の碑。越後との往来・交流が盛んな大動脈であった。

さくら肉あれこれ豆知識

♯1 日本で馬肉を広めた人物はあの武将?

馬肉の圧倒的生産量を誇る熊本県。ここまで馬肉大国となったのは肥後熊本藩・初代藩主の加藤清正にルーツがあると言われている。いまから400年ほど前、加藤清正が朝鮮出兵した際に食糧難に陥り、しかたなく軍馬を食べたところ、大変美味しかったため帰国後も馬刺しや馬肉を好んで食べたというのが始まりだとする説が有名。明治時代に入り、肉食の広まりと共に馬肉も熊本を中心に広まっていった。

加藤清正公の墓碑があるゆかりの地、鶴岡市の『天澤寺』の墳墓(五輪塔)。この地に配流された清正の息子、忠広が密かに父の遺骨を熊本の本妙寺・浄池廟から分骨し埋葬したと伝わる。写真協力:櫛引観光協会、天澤寺
馬肉と山形にゆかりのある加藤清正

♯2 有名な産地はどこ?

国内における馬の枝肉生産量は、2位の福島県が902.6トンに対し1位の熊本県が2,134.3トンと群を抜いて多く、まさに名産地といえる。熊本県がサシの入った馬肉を食すのに対し、福島県とくに会津地方では赤身肉が根付いている。ちなみに山形県は6番目。

♯3 山形でも食べられる?

牛豚だけでなく馬肉まで畜産が盛んな山形県では、馬刺しなどのオーソドックスな食べかたはもちろん、馬肉チャーシューが乗った長井の馬肉ラーメン、馬のスネ肉を煮込んだ新庄の馬ガッキ煮など、全国的にも珍しい独特な馬肉文化をもつ。

馬肉をチャーシューやスープに使った支那そばの老舗として親しまれる長井市『新来軒』のチャーシューメン

gatta! 2023年9月号
特集|さくら肉の話

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