別名「女の湯殿山」婦人病平癒としても崇敬をあつめる古刹『大日坊』

2025年12月号(254号)
特集|カラダに効く、効いた 逸話のもとへ
山形県鶴岡市大網

祈りを捧げる場所へ(その参)

作家・黒木あるじさんと往く、不思議をめぐる探訪旅。今回は「病」を抱えた先人たちが、平癒を願って祈りをささげた現場を訪ね、その逸話の由来を紐解きます。暮らしと健康に密接にかかわっていた知られざる郷土の物語をお届け。

湯殿山総本寺大日坊金剛院瀧水寺・第95世貫主である遠藤宥覚さんに直接本堂をご案内いただくという貴重な機会を得た。寺の歴史といま、そして宝仏についてわかり易く解説してくださった

いまもむかしも避けられないもの

病気や厄は予告されるものではなく、ましてや自らの意志で避けられる類のものでもない。医学の進歩によって、治療や予防の域は現在進行形で大きな進化を遂げているとはいえ、どんな病も完治する魔法の薬は人類にとっていまだ夢物語の存在だ。

信じるチカラこそ平癒への近道か

だからといって何もせず、ただ病に蝕まれていくことを良しとするのは否だ。神様仏様に祈りを捧げ、降りかかった厄を取り払おうと手を合わせる。そうした気持ちや土着の習わしこそが尊く、いまなお大切にされている所以ではないだろうか。

この度は、女人の頭痛・冷え性・婦人病はもとより、子宝のご利益ありと尊崇される古刹、鶴岡市大網(おおあみ)の『大日坊』を訪問。ちなみに、仙台藩を築いた戦国大名・伊達政宗の母はこの大日坊で梵天加持を受けて子宝を授かったという。米沢で生まれ、24歳までを米沢で過ごした政宗の幼名「梵天丸」はこれに由来しているのだ。

鎌倉時代に建造された大日坊の「仁王門」には、正面左右に異様な風格をそなえた風神雷神像が睨みをきかせている。写真は「風神」、ページ最上部の写真は「雷神」。その奥には、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した慶派の仏師・運慶の作と伝わる仁王像が寺を護る
田畑のなかに構える大日坊の「仁王門」。4本の門柱の前後に控柱(ひかえばしら)が計8本ある三間一戸の「八脚門(はっきゃくもん、やつあしもん)」としては日本最古であり、国宝級といっても過言ではない建築だ。
本堂に祀られていたのは、人魚の様な鱗のある身体に長い宝剣をくわえた波分大聖不動明王。原始仏教の教えを表現した稀有な明王像であり、海上安全と大漁を守護する神として、古くから漁を営む人々の篤い崇拝を集めてきた。宝剣にはなぜか二筋の牙跡があり「まさか此の仏像は生きているのでは…」と、畏れをなすほどの迫力で見る者に迫ってくる

女人・老人を哀れんだ弘法大師によって開創。「女の湯殿山」「女人湯殿」の別名も

古代山岳信仰の聖地として人々に尊ばれてきた湯殿山。“言わずの山、語らずの山”と言われ、湯殿山のことは人に話してはならない、聞いてはならないという厳しい掟があったほど。現在も写真撮影は禁止という、まさに生きた聖地(聖体)だ。古来から明治初期までの永い間、湯殿山は女人禁制の地でもあったため、「女人や老人でも湯殿山に参拝するのと同じくらいの功徳が得られるように」と、弘法大師が大日坊に湯殿山大権現を勧請(お招き)し、さらにお沢八万八千仏を祀って湯殿山礼拝所(湯殿山全てを祀る寺)として建立したのが、この湯殿山総本寺瀧水寺大日坊(りゅうすいじだいにちぼう)だ。弘法大師空海が大同2年(807年)に開創したとされ、1200年以上の歴史を誇る古刹である。

もとは真言宗を護持した湯殿山四ヶ寺の一つで、御本尊は空海の作とされる秘仏・胎金両部大日如来(湯殿山大権現)。丑歳と未歳の6年毎に御開帳がおこなわれており、現在では目や鼻などの判別が難しいほどすり減っている古い仏像であるとのこと。ちなみに湯殿山四ヶ寺とは、かつて、瀧水寺大日坊・本道寺・注連寺・大日寺(大井沢)が湯殿山の別当寺として結束し、湯殿山参拝を共同運営していた時代の呼称だ。

また、湯殿山総本寺とするために「本地法身の大日如来を安置して成就せしめた」と記されている文献もある。だが、その大日如来をあらわした本地法身といわれる“仏の姿ではない本来の姿の御神体”が何であるのか?どこにあるのか?は知る人ぞ知ることであろうが、未だ一般的に明解にはされていない秘密である。

春日局(徳川家光の乳母)により家光公の名義で奉納された「金剛界大日如来像」。家光の三代将軍栄冠成就と病の平癒、さらには世継ぎ(後の四代将軍家綱)の誕生など、その格別なご利益に感嘆したという春日局。徳川将軍家からの篤い崇敬を受けた大日坊は、徳川家全国七ヶ寺の一別當祈願寺と定められた

ぜひ間近で拝見するべき、由緒ある宝仏や宝物

幾重にも連なる山林のグラデーションをしばらく登ると見えてくる、茅葺き屋根の「仁王門」は素朴でありながら荘厳。境内には、全国でも稀に見る大きさと美しさが称えられる「宝筐印塔」や、日本最古の金銅仏像といわれる「金銅仏釈迦如来立像」、仏門に一生を捧げた即身仏「真如海上人」を安置するなど数多の仏像や寺院史跡を有している古刹『大日坊』。徳川将軍家の祈願寺で春日局が参詣した寺として、かつて全国に名を轟かせた古刹ゆえに、日本屈指の貴重な宝仏・宝物が納められている。『血の池権現』もそのひとつで、女性の頭痛や冷え性、婦人病などにご利益があるとされている。現在本堂のなかに鎮座する「血の池権現像」だが、かつては旧境内の山中にあった『血の池』付近のお堂内にあったという。

中央に鎮座するのが「血の池権現」。また、子授けや安産のご利益があるとされる「如意輪観音」も傍にあり、比較的女性の参拝者が多いという。壇の傍には女性の長い毛髪・ハンカチ・ストッキングなどが奉納されていた。

広大な大日坊の旧境内地に想いを馳せる

ひと通り本堂をご案内いただいたあと、突然「本物の血の池権現に行ってみますか?」と遠藤貫主。えっ!と思わず声をあげた、我われgatta!取材班。“本物の〜”とは一体どういうことだろう?「カラダに効く、効いた逸話のもとへ」をテーマに、取材の目的としていたのは同寺の本堂にある「血の池権現」だったはずなのだが、“本陣”はまた別の場所にあったということなのだ。「では、私が案内しましょう。この本堂からさらに車で山を登ったところです」と貫主。我われは二つ返事で同行させていただくこととなった。

「出羽三山は古くから神仏習合だったのですが、明治の神仏分離令に際して、大日坊は寺としての存続を曲げなかったために激しい迫害を受けました。廃仏毀釈により湯殿山は没収され、焼き討ちにより伽藍は焼失し、83世貫主は暗殺者によって命を絶たれてしまった。さらに明治27年には地滑り被災に遭うなど、打ち続く悲運に見舞われましたが、昭和11(1936)年に現在の地に規模を縮小して移転したのです。古代から守り継がれてきたことが近代化の波に紛れて余外の都合のいいように歪曲され、それがさも当然のように周知されてきたのもまた事実なのです」と貫主。

大日坊の旧境内に立つ風格ある老杉「皇壇の杉」。幹周は5.6メートルもあり高さは27mにもおよぶ。近年パワースポットとしても注目されている

そんな激動の変遷をうかがいながら車で移動していたが、ほどなく旧境内地に到着。12代景行天皇の皇子である御諸別皇子(みもろわけのおうじ)が当地で亡くなった際に、陵所(墓所)に植えた「皇壇の杉」が樹齢1800年の老杉となったいまも大切に管理されていた。その周辺には、大日坊歴代貫主の墓碑をはじめ、萬霊を慰める供養塔、即身仏 真如海上人の記念碑、日本一大きい庚申塔(こうしんとう)、弘法大師が湯殿山に入る前に雪解けを待って護摩を焚いた護摩壇跡、山内寺院住職らの墓碑など、苔むしてはいるが幾多の由緒ある遺構が目にとまる。

日本一の大きさを誇る庚申塔。道教に由来する「庚申信仰」に基づき、人体のなかにいる「三尸(さんし)虫」が天帝に悪事を報告して寿命を縮めるのを防ぐため、庚申の夜に徹夜で「庚申待ち(庚申講)」を行い、その記念や供養として建てられた石塔で、長寿・健康・家内安全・五穀豊穣などを願った

山形の古代信仰を感じる、その骨頂

そして旧境内地で巨大な「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」があったという地点へ。そこは深い森ならではの静寂に包まれ、一帯には大きな窪地と石塔群があった。かつて血の池権現の御神体ともいえる『血の池』と称される広い池と御堂があった場所だが、県道351号線の開通にともない池は分断され、いまは見る影もない。しかし、その聖地の森に包まれ経験したことのない清清とした雰囲気に、心身の蟠りが洗い流されていくような感覚を覚えた。

寛永年間に真言四ヶ寺(瀧水寺大日坊・注連寺・本道寺・大日寺)が協力して大日坊旧境内地に建立されたという巨大な「宝筐印塔」。写真は大日坊境内に移設された現在のもの

旧境内の山中には、大日坊歴代貫主の墓碑や萬霊を慰めるための石塔などが立つが、そのなかに「三界萬霊有縁無縁䓁(さんかいばんれいうえんむえんとう)」と刻まれている石塔があった。その最後の文字「䓁(くさかんむりに寺)」は「ひとしい。ひとしく。おなじ。差がない。仲間。ともがら。たぐい。」という意味の文字であり、「この世界は万物が等しく連鎖し繋がっている」との解釈もできる。この石塔に刻まれた文字こそが、まさに弘法大師が大日坊を開基した“真髄”のような気がしてならない。

昨今、「守られてきた秘密と神秘」をキーワードに世界から注目されている山形の自然信仰やパワースポット。その骨頂を知るひとつのきっかけは、此処ではなかろうかと。

旧境内の急斜面を降りて『血の池』跡地へ案内してくださる遠藤貫主。旧境内へ参るときはいかなる場合でも正装だ
旧境内の山中にある石塔。向かって左の石塔には梵字とともに「三界萬霊有縁無縁䓁(さんかいばんれいうえんむえんとう)」と刻まれている。
窪地になっている一帯が『血の池』跡地だったという。当時の池の様子や御堂があった場所など、貫主の鮮明な記憶と解説を頼りに辺りを歩いた
大日坊歴代貫主の墓碑が連なる
「大日坊から旧境内までの一帯は古代より伝わる神仏の神秘や数々の伝説を秘めています。湯殿山にまつわる真の背景を垣間見るために、ぜひ参詣いただきたい」と遠藤貫主

春日局により本堂が再建された
徳川将軍家全国七ヶ寺の一別當祈願寺

大同2(807)年に弘法大師によって開創。鎌倉時代建立の仁王門には運慶作と伝わる風神雷神像が立つ。徳川家の家督争いの渦中に春日局(三代将軍家光の乳母)が命懸けで祈願し、家光が三代将軍の栄冠が成就された御礼に奉納された「徳川家文状箱」や、さらには家光の病平癒と世継ぎ(後の四代将軍 家綱)が生まれた御礼として家光が奉納した金剛界大日如来など、多くの法仏・宝物が祀られている。
鶴岡市大網字入道11
場所はこちら(GoogleMap)

正面が現在の大日坊の本堂、向かって左が客殿。本尊である大日如来の「大」と、もともとの本地仏が阿弥陀如来であった月山の麓に寺が開創されたことから阿弥陀如来の「阿弥」、そのミクスチャーで「大阿弥(おおあみ)」。この土地の地名である大網(おおあみ)は、読んで字の如く大日坊を指すのである

作家 黒木あるじ(記事監修)
青森県出身山形県在住。東北芸術工科大学卒業。同大学文芸学科非常勤講師。2010年に「怪談実話 震(ふるえ)」でデビュー。著者に「黒木魔奇録」「怪談四十九夜」各シリーズのほか、ノベライズ作品「小説ノイズ【noise】」や連作短編「春のたましい神祓いの記」などミステリー作品も手がける。河北新報日曜朝刊にて小説「おしら鬼秘譚」を連載執筆中。

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