特集の傍流

2020.1.9

発見からおよそ100年。改めて知る、樹氷の不思議。

2020年2月号(184号)蔵王のふしぎ。
監修/山形大学 学術研究院(理学部担当) 柳澤文孝さん
山形県山形市、上山市

 気象学・雪氷学で使われる〝樹氷〟とは、「風で運搬されてきた過冷却水滴が樹木などに衝突して凍結したもの」のことで、これは英名ライム、別名エビノシッポと呼ばれている。このエビノシッポに着雪し、両者が焼結して一体化したものが英名アイスモンスターとなる。すなわち我々が一般的にイメージする〝樹氷〟は学術用語でいうアイスモンスターのことで、英名での呼び方についても、発見当初はホワイトモンスター、観光業界ではスノーモンスターと混在しているのが現状だ。アイスモンスターが冬季に常時見られるのは、世界中を探しても東北地方の一部の山岳地帯のみで、八甲田山、八幡平、森吉、蔵王、西吾妻の5箇所になる。

 

初見は大正3年2月、冬季初登頂の神山峰吉氏

 その存在は古くからマタギたちなどの間では知られていたが、大正時代以前の日本では冬山に登る装備が不十分だったため、樹氷は一般的に認知されていなかった。ところで、樹氷という呼び方はなんと勘違いから始まったものだという。発見初期の頃、大学や高等学校の学生たちは〝エビノシッポ〟である「樹氷」が樹木全体を覆ったと誤解して〝アイスモンスター〟を「樹氷」と呼び、のちにそれが定着してしまったのだとか。

 

アイスモンスターになるのを待つ、エビノシッポがついた松の木。

 

生成途中のエビノシッポ。

 

〝樹氷〟を最初に発見したのは神山峰吉氏らによるものとされており、冬の蔵王山に初登頂したことを報せる記事が1914(大正3)年2月に山形新聞に掲載されている。当時は〝雪の坊〟や〝雪瘤〟と呼ばれていたが、1921(大正10)年1月に慶応大学山岳部が宮城県側から山形県側に冬期初踏破した際の紀行文を、部報である「登高行」に投稿して〝樹氷〟という呼び名が初めて紹介されて以降、その名が定着していくことになる。

 

「復刻 登高行 III 1920-1921 慶應山岳部年報」(昭和62年 株式会社出版科学総合研究所発行)より。冬季の蔵王越えの様子について写真とともに書かれている。

 

学術用語の〝樹氷〟は世界中にあるが…

 学術的にはエピノシッポのことも〝樹氷〟と呼ぶため、それらは雪の降るエリアであれば国内はもとより世界中で見ることができる。しかし蔵王の樹氷、アイスモンスターができる気象条件は限られており、私たちが想像している以上に特別な存在なのだという。
 まず、常緑の針葉樹であるアオモリトドマツの存在が不可欠で、それらが自生できる自然環境であること。そこに北西〜西の適度な強風、多量の過冷却水滴、マイナス10〜15度の適度な低温、そして2〜3メートルの適度な積雪量が揃って初めて生成される。
 スキー場開設が活発化した大正10年代から昭和初期にかけて、この、他では見られない特異な姿が珍しいと全国から人が集まり、写真や紀行文で多数紹介されようになる。そして1935(昭和10)年には「Mt.Zao」という山岳スキー映画が塚本閤治監督によって撮影され、欧米での映画賞を4つも受賞。冬の美景観として世界中の注目を集めることとなった。また、スキー選手・俳優であるトニー・ザイラー氏が主演の映画「銀嶺の王者」の存在により、蔵王はさらに有名になっていくのだった。

 

蔵王で撮られた映画「銀嶺の王者」でのひとコマ。主演のトニー・ザイラー氏と共演の鰐淵晴子さん。写真提供/山形新聞 1960年3月12日

 

トニー・ザイラー顕彰碑。蔵王スキー場と樹氷の魅力を世界に広めた功績が称えられ、2011年にパラダイスゲレンデ内に建立された。写真提供/蔵王温泉観光協会

 

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